浪漫の箱【第7話】
↓第6話
…と、おっちゃんと初美さんの卑しい怪談話はこんなものだ。
話し終えたおっちゃんの額には汗が滲んでいるようだ。何の汗かは分からないが一気に話をして疲れたのだろう。
それから一通り畑仕事を手伝って、日が暮れる頃に夕食を作って待っている祖母の家へ戻った。
「どうやった貴ちゃん?久しぶりに体を動かしてみて。」
「…キツかったです。」
色々な意味で。
「そうかいそうかい。」
「……。」
何を話せばいいか浮かばなかった。
話したいことや聞きたいことは山ほどあるのに。
祖母は味噌汁を少し啜り
「でも、すっきりしたやろ?」
「あー…はい。」
「どしたんね?あんま食べちょらんが。」
「すみません…お腹がいっぱいで…。ちょっと疲れちゃったかもです。」
「よかよか。久しぶりやったからな。今夜ははよ寝ない。」
風呂などを終え、布団に入る前に携帯を見ると母からメールが来ていた。
『こんばんは。元気に過ごしてますか?今日担任の先生がいらっしゃって心配してました。一度話がしたいそうです。落ち着いたら連絡くださいとのことでした。』
うわ…。まぁそりゃそうだよな。学校を休んで約2か月。
あの頃はうだるような暑さだったくせに気がつけば冬が近づいている。
僕はどうすればいい?
学校を辞める?辞めたとしてその後は?
頭がこんがらがってきた。
『うん、分かった。』
とだけ返信した。
とりあえず今だけは忘れさせてほしい。
「んぐっがー!んごっ!ふぐぁー!んごごっ!」
眠たいのに眠れない。祖母のイビキにはだいぶ慣れてきた。
昼間の話が濃過ぎて脳内が真っ黒に塗りつぶされた。
一番知りたかったことを知ってしまった。
僕は正直聞かなければよかったと少し後悔している。
日高兄妹もだが何よりも父と初美さんの不倫の件だった。
――
平成元年8月。
2人が再会したのは祖父の葬儀だったという。
父はあの出来事以来、初美さんに会うことを極力避けていた。
おっちゃんの方はアキおばちゃんがいたので出くわした場合でも何とか取り繕っていたとか。
通夜・葬儀ともに自宅葬であり大勢の参列者であったため喪主である祖母はもちろん、その他の親族たちは悲しむ暇もなく参列者への対応に追われていたそうだ。
その頃には既に母と結婚しており僕も生まれ、僕はいとこで中3の亜由美さんに面倒を見てもらいつつ、度々母が様子を見に来ていた。
父も参列者へ挨拶をしている中
「お久しぶりです。この度はご愁傷様です。豊作おじちゃんには最近までお世話になっていたので残念です。」
父に声をかけてきたのは何と初美さんだった。
「…お久しぶりです。」
「ご結婚されたんですね。あら、可愛らしい。」
母と生後2ヶ月の僕を見ながら微笑んでいた。
「…じゃ、私は忙しいから行きますね。」
「あっ!宏くん。」
「何ですか。」
父はすぐにその場を立ち去りたかった。
『顔見たくなかったとに…クソが。』
下を向いているとほのかにコロンの香りがして視界に色黒の細い腕が見え、パンツのポケットの中に何かを入れられた。
「はい。」
「何すん…!」
とっさに周りをキョロキョロ見ると丁度人がいなくて安心した。
「疲れたら、これ読んで。」
ニコッと笑った。ポケットを外から触ると紙のような感触。
「は?」
「では。」
月明かりに照らされる色黒の肌、揺れる胸、とても10代に見えない色気、そして
『宏くんも一緒にどう?』
と言わんばかりの笑顔。
顔を見るとあの時の光景が蘇る。
少年であった父は彼女に恋をしていた。
だから無理矢理引き剥がして自分の物に…とか当時彼女がいたにも関わらず考えていた。
しかし何故か避けていた。引き剥がしが成功してしまったことが怖くなったのだ。
『親父の葬式なのに俺は何をかんがえとんじゃろ。』
父はお坊さんの読むお経にとにかく集中した。
――
「ンギャー!オギャー!」
「はーい。ミルク作るからねぇ。」
「手伝おうか?ちょっとは休め…」
「いいから!!あなたがやったら遅くなるし粉が飛ぶ!!」
「そげん言わんくても!」
「はーいそこ邪魔!!はーいできましたよ~。」
「……。」
こんな感じで母は出産してからよりヒステリックになることが増えた。
やったらやったで怒られ、やらなかったらやらなかったで怒られる。
正直仕事の疲れも相まって押しつぶされそうだった。
『疲れたら、これ読んで。』
その時、初美の言葉が頭をよぎった。確か紙はビジネスバッグに入れていたはず。
父の中で何かが弾けた。
それから初美さんとの不倫が始まるのは時間はかからなかった。
彼女の家だと近所に祖母がいるので会う時は毎回ホテルだった。
例のピンクのお城である。
おっちゃんと密会する時もそこを使っていた。
なぜならば
安いし何より見た目が可愛い、からだそうだ。
初美さんはおっちゃんと父を同じ場所で同時に食い尽くしていた。モンスターである。
「何の薬飲んでるん?」
「ピルや。一応な。」
妊娠しないようピルまで飲み始めた。
本命はおっちゃん。
父とは体だけ。
父にはおっちゃんとまだ続いていることは内緒にしていたらしい。
最も酷だったのは初美さんと母が仲が良かったこと。
祖父が生きていた頃はあまり寄り付かなかったのだが、度々祖母の家に頻繁に遊びに来るようになりかなりの確率で出くわすようになった。
「こんにちはお義母さん。」
「こんにち…。」
「あら〜ちょうどね。はっちゃんも来とったとこよ。」
「宏くんおじゃましてまーす。」
「おぅ…。」
「あら美奈子ちゃんも〜。貴ちゃん大っきくなったねぇ抱っこさせて!」
「いいですよ〜。もうだいぶ重いですよ。」
「わぁーずっしり。でも可愛い!ふにふにしちょる。」
「あうー。うー。」
「そうだ!写真撮ろうか。現像したらあげるよ!あなた、撮ってくれる?」
「よかとー?嬉しい。」
「それにしても、その花柄のワンピース素敵ね。」
「そう?実は母の形見なんよ。」
「あら…何か…ごめんなさい。」
「いいのいいの。とにかくこのレトロな柄がお気に入りなんよ。」
「じゃあ撮りますよー。貴宏こっち向いてー。いないいないばぁ!」
パシャ!
「あ!初美さん、ペコペコのプリン買って来たのよ。食べる?」
「あっ…うち、乳製品アレルギーでさ。」
「そうだったの!?」
「そうなの。残念やわ〜。宏くんとお義母さんと一緒に食べな?貴宏くんもちょっとは食べられるかね?」
「…ごめんなさいね。次からは気をつける。」
「そげん気を使わんでください。」
父はここで初美さんが重度の乳製品アレルギー持ちであることを初めて知ったそうだ。
彼女は前にこう言っていた気がする。
『次生まれ変わるなら道端に生えちょる雑草でよか。引っこ抜かれたら即終了や。あははっ。』
好きな人が実の兄で未だに縛られている。
今は結婚し、関係はないと言っているがおっちゃんの話をしている彼女の表情は未練タラタラだ。
その虚しさを体で埋めているのだろうか。
もしくは無理矢理剥がすきっかけを作った父への復讐でもあるのだろうか。
それでも父はあの頃と変わらぬ初美さんの体に夢中だった。
――
バサバサッ。
平成3年、父が冬の寒さに向けてストーブを準備していると、いきなり大量の写真が降ってきた。
「…これは何?」
見上げると鬼の形相をした母がいた。
「あ…これは…。」
床に散乱した写真には城に入る父と初美さん。
「これはっ!何なのかっ!聞いてるんだー!!」
終わりへのカウントダウンは唐突に始まった。
―続く―
↓第8話
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?