久々に緊張して鮨を食べた…THE ARAKI HK
【注:2023年末を持ってTHE ARAKI HKは閉店となりました。】
ミシュラン三つ星を東京とロンドンの二ヶ所で獲得し、Sushi Legendのひとりとなりつつある『あら輝』こと荒木水都弘さんが日本に帰ってくるという噂が流れたのは、2年も前の事。その帰国後の出店先については数多くの噂が流れましたが、結局は香港にという事で発表になったのが2019年の9月。開業はそこからしばらくかかって12月19日。ちょうど休暇で香港へ行くタイミングに予約が取れたので行ってきました。予約はWebから概ね2ヶ月先まで可能です。
場所は九龍側尖沙咀のフェリー乗り場の近く。The House 1881というスモール・ラグジュアリーホテルと高級ショッピングモールの複合施設の片隅にひっそりと佇んでいます。玄関はシンプルで暖簾も無し。ただ、THE ARAKI (ジ・アラキ)の看板があるのみです。
場所はここ。Google Mapで検索すると正しい位置が出てきません。
文明の利器をあてにしすぎると、迷いますのでご注意を。遅刻は15分までしか認められません。
店内はシンプル。そんなにお金が掛かった造りでは無さそうです。カウンターの職人背面側は食器類の収納になっていますが、特に贅を凝らした造りではなく、シンプルかつ機能優先な構造になっていました。
面白いには店内にも同じ看板があった事。
テーブルセッティングです。ここにもTHE ARAKIの刺繍が。これ、お土産に持って帰りたかった(笑)
フロアスタッフの女性からベバレッジメニューを渡されました。この店で熱いお茶を除いて一番安価な飲み物はアサヒスーパードライで、水より安価でした(笑) で、このお水ですが、イギリスはウェールズ産で、以前、インターコンチネンタル・ロンドンパークレーンに滞在した際にウェルカムギフトとして頂戴し、とても美味しくて気に入ったので現地で買い付け、大量に日本へ持って帰った事がある (当時も今も日本には輸入代理店がありません。マジで重かった…) 思い出深い物でした。まさか、ここでまた戴けるとは思っていませんでしたが、何故またこのお水を荒木さんは選ばれたのでしょうか?聞いてみたかったのですが聞けませんでした。(後述します)
親方の荒木水都弘さん。ここでは大将ではなく、『親方』なのです。
世田谷時代の時点で予約は困難で、筆者は今回が初あら輝です。今まではテレビやネット動画を介してしかその姿を拝見した事はありません。20年越しの初あら輝。しかし、この日の荒木さんはモニターの向こう側の人物とは違い、何処かピリピリした印象でした。撮影してもよろしいですか?と恐る恐る訊ねてみると二つ返事で、『ええどうぞ』と。ここでちょっと安心しましたが…。
料理の提供を始める前に全員でご挨拶。写真に写っている方々以外に女性のフロアスタッフが2名別にいらっしゃいました。荒木さん以外に日本人は1名のみ。南アフリカ出身の男性スタッフがいて、後は全員香港ローカルの方々です。フロアスタッフの女性1名は非常に流暢な日本語を話される方でした。この日の客は欧米系のグループ4名、香港ローカル2名、日本人は2名と筆者の計3名という構成でした。酒肴については一品一品スタッフの方からの説明がありました。
蒸鮑(オーストラリア産) 魚の浮き袋と燕の巣の餡掛け
最初の一品は蒸鮑。魚の浮き袋と燕の巣の餡掛けとはちょっと中華風ではありますが、餡掛けの造りは完全に日本のそれであり、添えられた木の芽が中華の様で中華では無い事の意思表示かの様でした。THE ARAKIでは基本的にはその土地の地物食材を使うと聞いていたので、なぜここでオーストラリア産の鮑だったのか不思議に思いました。香港でも鮑は漁れるからです。そこを敢えて輸入するなら日本産の方が間違いなく良いのではとも思い、その意図を聞いてみたかったのですが、前述の通り、この日はのっけからピリピリムードだったため、最後まで訊くことができませんでした。肝心の鮑ですが、やはり日本産より香りや旨味は乏しいかなぁ…。噛んだ時のテクスチャも何処か違いました。
初鰹 土佐醤油と海苔、胡麻を散らして
初鰹なので脂はありません。炙ったものを切り分けていますが、炙りの香りよりは海苔と胡麻の香りを優先させた造りでした。先日福岡の鮨さかいで同席した欧米系外国人の方は藁で燻したテイストを嫌っていましたので、やはりそれを避けたのでしょうか。とにかく何も聞けなかったので…。
鯛と海胆、湯引きした鯛の皮を添えて
ここで確信を得たのですが、ロンドン時代の影響なのか、荒木さんの酒肴は足し算の料理に変わったんじゃないかと感じました。海胆は東沢水産のものでした。粒がしっかりしていて、そのままで十分美味しいだろう海胆を敢えて鯛で巻いた意図を聞きたかった。それもなぜ鯛だったのかも。モニター越しに見た東京時代の『あら輝』の酒肴はシンプルなものだったので。この変化が『THE ARAKI』である所以なのでしょうか。しかしながら、ロンドン時代に良く見かけたキャビアやトリュフの組み合わせはこの日一切見られませんでした。
握りに入る前に鮪を切り分ける荒木さん。漬にする物は部位を問わず全部同じ漬汁の器にまとめて投入されていらっしゃいました。
赤身漬(?)
で、出てきた最初の一貫目がこれ。あら輝のお約束通りなら最初の一貫は間違いなく赤身漬からのスタートなのですが、これはどう見てもサシが入っています。普通の店なら間違いなく中とろ扱いで出すでしょう。しかし何よりも驚いたのは握りのサイズ。筆者がこれまで戴いた全ての鮨店の中でも最小サイズでした。当日同席した欧米系グループ客の女性に供したLadies Sizeはもっと小さい!昔からこのサイズだったんでしょうか…。モニター越しに見たかつての握りはもうちょっと大きかった様な…。
中とろ二貫付け
この中とろも凡百の店なら大とろ扱いでしょうね。それを中とろとして出して来るのですから、鮪に対する基準が世間とはまったく違うのでしょう。脂はサラッと爽やかでした。
大とろ二貫付け
いや、色々書いていますが、本当に荒木さんの握られる鮪は素晴らしい。身の質もさる事ながら、酢飯との渾然一体とした味わいはまさに陶然と言った所。この世界はある意味知らずに居られるなら、知らないままの方が幸せなんじゃないかと思うくらいです。だからこそ、もっと大振りで食べたかった…!
喉黒
山口県産だそうです。THE ARAKIでは地物のネタを使うという世間での評判だったので、ちょっと驚いたのですが、訪問した時期は香港の市場がクローズしている期間で、そのため日本からの仕入れが多めなんだそうです。
細魚
美しい。こちらの細魚はどちらかというと仕事感よりもナチュラルさを全面に出した感じでした。
細魚の皮炙り
これは驚きました。細魚の皮を炙って戴くのは初めてです。どこのお店でもみんな捨てていらっしゃいますよね?これはびっくりでした。程々に脂も感じ、香ばしさと旨味を味わえます。
墨烏賊
身が甘い!ここ最近戴いた烏賊の中でも間違いなくトップレベル。
下足焼
先程の墨烏賊の下足を軽く焼いて柚子を振った物。美味い!下足の旨味が凄い!そりゃ、あの墨烏賊ならこの旨味になるのも当然か。
車海老(江戸前)
なんと江戸前(千葉産)の車海老だそうです。朧を間に挟んでいますが、コレは地物の海老を使ったものだそうです。半分に切って供されましたが、この握りのサイズなら、Ladies Sizeならともかく、わざわざ切らなくても良い様な…。でも、コレは鮪と並んでおかわりしたかった。
地物平貝
地物の平貝を焼いて、小柱風に細かく切った物を軍艦巻きにして来ました。旨味はとても強いですが、国産よりも硬めか。だからこそ小柱風に細かく切ったのでしょうか。
中とろ漬け
ここでまた鮪が。中とろの漬けと説明がありましたが、コレが中とろなら、最初の一貫はやはり中とろでしょう。最初のものと異なるのは漬けの時間と煮切りの有無。こちらは漬ける時間が長い分、煮切りは塗られていませんでした。こういう違いを楽しめるのは良いですね。
地物煮浅蜊
正確には浅蜊の近似種なのですが、説明してくださった方の声が小さく (親方にお叱りを受けていた直後だったので…。後述します)、聞き取れませんでした。英語では浅蜊も蛤も本美之主貝(ホンビノス)も学者でもない限りは全部 “Clam” で一括りですからね。身はやはり浅蜊よりも硬めで (仕込みの方向性もあるのでしょうが) 、濃い目の味付けでした。
大とろ漬け炙り
事前の評判通り、コレを含めて鮪は全七貫でした。最上の鮪をありとあらゆる方法で美味しく食べさせる意味では、あら輝は今も当代最高の鮨店と言っても過言ではないでしょう。しかし握りが小さい!小皿に乗せてもこのサイズです。
昔、情熱大陸で元きよ田の新津さんから「小さすぎる。私ならもっと大きく握る」と指摘されていらっしゃいましたが…。これらの握りの大きさを、新津さんが今ご覧になられたらどう仰られるのかなぁと思いました。
穴子(江戸前)
「自分が小僧の時代から付き合っている仲卸が江戸前だと言うのだから、江戸前なんでしょう」と荒木さん。自分の仕事の自信と仲卸への信頼が無ければ、こうは言えないでしょうね。煮詰め、山葵醤油、柚子塩の3種から味付けを選べます。筆者は初あら輝だったので、ここはオーソドックスに煮詰めをお願いしました。必要最小限しか煮詰めを付けないのは良いですね。
干瓢巻と玉子
これは荒木さんではなくスタッフの方が巻かれました。巻物をお弟子さん達に任せるお店は多いですね。玉子は伊達巻でした。(コレは昔から変わっていません)
全体を通じて
いや、本当に評判に違わず鮪は美味かった。烏賊も車海老も美味かった。しかし、この日の荒木さんは前述の通り、登場時点からピリピリしていて、話しかけ辛かった。
人間ですから気分が乗らない時もそりゃあると思います。ですが醸し出すオーラが違うんですね。自分へ向けられた物では無いとはいえ、ちょっとプレッシャーでした。大声をあげられることは一切ありませんでしたが、スタッフの方の不手際には『お前、何やってるんだよ』と辛うじて聞こえるかどうかの小声ではありましたが、結構厳しい形相で叱っておられました。そのスタッフさんのどこか怯えた様な委縮した表情は忘れられません。さらにこの日、筆者の横に座られた日本人客の一言にもカチンと来られた様で、その方には『随分失礼な事、仰いますね』と返されていました。(まぁ、これはこのお客さんの発言が配慮に欠けた物だったとは思いますが)
筆者から積極的に質問したり話しかけたりは、この日一切できませんでした。とてもできる雰囲気じゃなかった。画面の向こうに立っていた笑顔満点の穏やかな荒木さんには、この日最後までお目にかかれなかった。むしろ、いつ荒木さんがキレるのか、ヒヤヒヤしながらの食事でした。こんな緊張して鮨を食べたのは久しぶり。追加やおかわりもできる雰囲気じゃとてもじゃないけど無かった。
WEB上にはお客さんと笑顔のツーショット写真が山程上がっているのに、そういう意味ではとても残念。本当は色々聞きたかった。荒木さんの想いとか哲学みたいな物を伺いたかった。モニターを通してではなく、目の前で熱く語ってくれる姿を見たかった。今回掲載している荒木さんの言葉はその中でもひとつも聞き漏らさないぞと、なんとか拾ってかき集めた言葉ばかりです。
僭越を承知で申し上げると、ロンドンで成功した足し算の料理は日本では勿論のこと、ここ香港でも成功するのは難しいでしょう。香港の人々、特に富裕層は日本のオーセンティックな鮨のスタイル、引き算の料理の価値を既に理解し、自分のものにされています。香港では後発のあら輝 (THE ARAKI) が真の意味で受け入れられるには、一旦銀座時代のスタイルに戻した上で、香港に合わせたプラスアルファを加える必要があるのではないでしょうか。足し算の料理は様々な制約がある欧州だからこそ受け入れられたものだと思います。フランス料理は足し算の極みですからね。この日の食事は鮨は素晴らしく美味しかったですが (大きさは別として) 、酒肴は全部凡庸に感じました。
地物のネタを使って最高の鮨を作って認められたいという思いが第一なのか、その土地の人々に受け入れられる鮨を作りたいのが第一なのかは似て非なる命題です。前者ならともかく、後者なら軌道修正は避けられないでしょう。香港はその日の朝に豊洲に並んだ海産物がその日のうちに届く環境です。フードマイレージという観点なら、札幌や福岡で戴くネタと鮮度的には差は全くありません。(札幌や福岡のトップクラスの店は豊洲から全部仕入れている訳ではありませんが)
さらに香港の人々は日本大好き。日本産最高という人達ばかりです。前者を選ぶなら相等の茨の道が荒木さんを待ち受けている事でしょう。『所変われば品変わる』、『職人は一生勉強』と仰られていたので、柔軟に対応されていく物と思いますが、香港の人々から称賛される鮨であるためには、いずれにせよ軌道修正は避けられないと筆者は考えます。
それは別にしても、この日のお勘定4600HKDは事前に4000HKDを決済していたからダメージはほとんど感じませんでしたが、全額を当日決済だったら、正直、心理的ダメージをかなり受けていたと思います。
帰り際にちょっとだけ日本で流れた出店先の噂について、訊いてみた所、『色々なお話を頂戴する事はありがたい事だと思っております』とだけお答えになられました。いや、非常に腰が低く、姿が見えなくなるまで見送ってくれました。この日はたまたま何かあって、ピリピリされていらっしゃっただけだと思います。いや、思いたい。
本来、飲食店と客の関係は一期一会なのですが、筆者は別記事にも以前書きましたが、Comfortable Zoneを抜け出して挑戦する人達が大好きです。だから、もう一度この店に来てみたい。その上で改めて荒木さんの想いや哲学を直接伺いたいなぁと思い、店を後にしたのでした。
ホテルに帰ったら筆者が定期的に訪問する何店かの鮨職人の方々から『あら輝さんどうでした?』とメッセージが入ってました。単純に美味しいかどうかという次元だけでは無い、それを超える魅力というのが荒木さん=あら輝=THE ARAKIにある証左だと思います。やはり再訪してそれを確かめたい!(了)
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