美しいデザインは何から生まれるか

本日2019年1月27日で、株式会社ゆめみは創業して19年目になります。

特に何かお祝いをする訳ではないですが、来年の20周年にはイベントを開催しようと思っています。

20周年を機会に、リブランディングを行う予定であり、ロゴデザインなども見直す予定です。

19年目の機会に「デザイン」について個人的に考えてみました。


まず、コンピューターの歴史を振り返ってみました。


IBMが100年前に提唱した「think」

計算機機、情報処理機器としてのコンピューターによって、人にとって重要なものは「考える」というものでした。

100年以上も前に、IBMでは「思考はビジネスの分野を問わず成功の基礎を成すものだ」として、「THINK」をスローガンとして定義されました。


Appleが20年前に提唱した「think different」

コンピューターが、パーソナルコンピューターとして普及する中で、それまでの常識を覆すような視点で「考える」というものでした。

その後、Appleは、約20年前の1997年にアップル・コンピューターの広告キャンペーンのスローガンとして「think differenct」を打ち出しました

そこで伝えたいメッセージとしては、IBMの「THINK」を踏まえた上で、偉大な功績は、常識を覆すような視点で「考える」という行為から生まれたというメッセージでした。

スティーブ・ジョブズはこのキャンペーンにより、ハイエンド層を心を捉え、見事にAppleの復活劇を成し遂げました。



では、インターネット、人工知能など複雑系、生命科学などの発展によって、21世紀における新しいパラダイムの中で必要な「think」とは何か?

皆さんはどのように考えていますでしょうか?

2020年に提唱したい「think beautiful」

人間にしかできない「考える」とは何か?
これを世の中に問い続けていきたいと思います。

美の定義は難しいですが、

美しいグラフィックデザイン
美しい設計

といった「beautiful design」という表現はよく目にします。しかしながら、今後のAIの発展などにより、エンジニアリング(engineering)だけでなく、設計(design)の領域においても、コンピューターが実現できてしまう領域は非常に多くなるだろうと予想されます。

人間しかできないと思われる美しい設計も、コンピューターが実現できてしまう世界です。

そこで発生する疑問が、

コンピューターでは実現できない美しいデザインとは何か?

です。

また、美の反対の「醜さ(ugly)」とは何か?というもの深いテーマです。

例えば、

Beauty is only skin-deep.
美しさは皮一重にすぎない。

という諺(ことわざ)があります。

外見の美しさは皮一枚のもので、美しさの下には醜さが隠れている。

内面が大事であり、外見では美しさが判断できないという意味です。

では、行動(act)として

「beautiful act」とは何か?

これも難しい問題です。

ただ、未来のテクノロジーにおいては、外見的には、人間らしい行動(act)を表現できる事がどんどんと可能になるでしょう。きっと外見的な美しさというものは、コンピューター(ロボット)が表現できるようになると思います。

コンピューターでは表現できない行動(act)としての美しさとは?

それは、人間としての嘘偽りの無い気持ち(真実)や、感情によって発せされる行動(act)では無いかと考えています。

ただし、その状態の行動(act)は、決して一見すると美しくはなく、醜い(ugly)なものだと捉えられる事もあります。

一見醜く見える行動に人が感動したり、共感する理由は、行動に至る考え(think)が、嘘偽りの無いものであり、そこに美しさがある場合だと考えています。

つまり、そこにおいては、beautiful think が存在すると考えます。

ここから、一つの仮説が湧き上がります。

Think beautiful, Act ugly, then lead to `Beautiful Design`.

21世紀において、人間だからこそ実現できる「美しいデザイン」は、一見すると醜い行動から導かれるが、その背後には美しい考えがある。

という仮説です。


これは、逆に言えば

Think ugly, Act beautiful, then lead to `Ugly Design`.

という事とがあり得ます。

これは、実際のゆめみの新卒向けの研修設計(Instructional Design)で起きた失敗例です。一見すると新卒向けに行う研修課題について、新卒が努力して研修課題を試行錯誤して行う姿が美しい行動のように見えるのですが、実際には、醜い研修設計であったという事例です。

詳細は上記で記載しているのですが、多くの人は見せかけの美しさに騙されてしまいがちです。

一見すると醜い行動でも、美しいデザインが導かれることがある。

その背景には、「美しい考え」があるのです。

ここでのthink beautifulでは、「命の無駄遣いをしない」というものでした。

そこには、同じ命を費やすのであれば、可能な限り価値を生み出す事を尊ぶという考えがあります。

このような「美しく考える」背景があるかどうかがポイントだと考えています。


このように、美しいデザインを生み出すために

think beautiful

を提唱しつつ、常に21世紀の人間として「考える」とは何か、人間にしか作り出せない美しいデザインとは何かについて、関わる人たちと、熟考(deep think)していきたいと思います。

それこそが、熟慮のためのデザイン(design for consideration)であり、ポスト人間中心設計の一つのアプローチだと考えます。(参考:ポスト人間中心設計


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