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完ぺき主義を手放した先に在るもの

※今回は、ほぼほぼ全編チャネリングです。どこが自分らしい意見を述べていてどこがチャネリング情報なのかまぜこぜになっています。
太字はぼくが引いたものです。
それではどうぞ~!

完ぺき主義を手放した先に在るもの


面白いことに、

小学校とか中学校とかの義務教育では、1教科にかける時間割があらかじめ割り当てて合ります。

そのコマの中で教科書のルールにそって教科を学んで行くのですが、戻らずに一気に進みます。すごく面白いことです。

学びの速度は人それぞれだし、個性によっても好き嫌いがあるので、理解の進展状況が異なるにもかかわらずなのにです。

そこに完ぺき主義の入り込む余地はありません。


通常の場合、そういう指摘を受け入れると即座に反発なり、目からうろこなり対照的な反射が出ます。

ですが、、今回お伝えしたかった内容はそれとは違います。次のことについてです。


詰め込み過学習に最適なのは、完ぺき主義を(一旦)完全に忘れること!


なのです。ザ・シンプルイズベスト。

もし仮に、新規の勉強ジャンルに入りこむのであれば、このスタイルが一番効果を上げます。

一番お腹が減っている時を参考に例として出しますと、なりふり構わず、とりあえず食べてみる。味わうのはその後!です。

胃にとりあえずご飯を詰め込めばいいのです。消化と吸収はその後でじんわり行えばいいです。


この一連の例え話で何を一番伝えたかったのかと申しますと、

霊的な学びにおいて一番初めに取り掛かる必要があることは、とりあえずの全景を一望して行くことがあげられます。

いきなり詳細な解説に入り込まないで、さらっととりあえず俯瞰して見ます。


具体的な状況にマッチさせた解釈はもっとだいぶ後になってからの話です。

まずはアイムハングリーなので、もぐもぐごっくん、とりあえず詰め込んでください。たらふく満腹を感じるまで食べてください。

その後、自分が呑み込んだものを胃が解析して、次につなげて行きます。




これは霊的な行いとはどういったものなのかを(シンプルに)分けずに見てみるという事に表れています。

例えば、スピリチュアル系ガイドのYouTubeで手当たり次第に再生して見てみるだとか。

例えば、スピリチュアル系ガイドの本で手当たり次第開いて見て読んでみるだとか。

時間は有限なのでもちろん興味が有るものだけを見るのは前提ですが。


完ぺき主義を手放した先に在るものは『時短』です。タイパ(タイムパフォーマンス)抜群です。

気にしていないと時間はエンドレスに無尽蔵にかかって行ってしまうので、どこかで切り上げますが、その指標は何でしょう?


それは『飽きた時』です。別のチャレンジに目が向き始めた時です。


これは大きな意味合いで人生においてのプロジェクトとプロジェクトの間の遷移についてのみ言っているのではありませんから注意してください。

例えば、お風呂に入ろうとなったらそれまでのことは切り上げませんか?そのことです。

トイレに立てたらもうその時点でそれまでしていたターンはエンドで終了します。トイレから出たら「何しようかな~?何したいかな~?」ととらえて今度はそちらに進んで行くのです。意味が伝わりますか?


それほど、一日の内で切り替わりを意識的に進めて行ければ早く進むことが可能なのです。むしろ、そう出来ていませんと言うのが、過去に目を向けている時間の延長に過ぎないので、現在を生きていないばかりか、未来に目を向けるチャンスも来ていません。そのやり方では時間が引き伸ばされるだけになってしまっています。

先に先に物事を進めるために強制的なルールとして『睡眠時間の確保』を導入したにも関わらず、寝不足の目をこすってでも長く起きて過去についてを深堀するだけの人生経験になります。


つまり、どういうことかと言いますと、時間の継続性と言うのは自分が物事に執着する過程で作られて行っています、という点です。

つまるところ、結論だけ申しますと、時間の継続性を切れた時が次へ移行するチャンス到来なので、間違いなく次の進化するプロセスに乗ればいいだけのことなのでした。これはおそらくだれも教えてくれない新事実かもわかりません。一連のコツですよね。


物事に執着を辞めてみるというのは生きづらさのチェーンを切るためだと信じていると思いますが、そうであり、また、そうではもなくて、

生きづらさのネックにあるのは、完ぺき主義なのでそれじたいをスルーして欲しいです。という解釈をしています。

物事に執着することを辞めれたけど完ぺき主義のままですと、新たな別の問題に目が向くだけになっています。例えば、単純に言って『完ぺき主義』です。または『次なる完ぺき主義』です。そうではないですか?まだ気づいていないだけで。

ですが、完ぺき主義それ自体を辞めてみるとどうなるかと言いますと、ありとあらゆるそれ(完ぺきであろうともがいている在り方)に紐づいた物語から解放され得ます。


この解釈を生むために別の焦点から1つピックアップしますと、

無限性と言う観点からではなんでもかんでも無限、無尽蔵に生まれ得ますので、完ぺき以外の物も多く含まれていて別にそれで良いのです。このこと(無限性)が含まれている人生経験を選ぶようにして行くと、完ぺき主義という価値観がいかに遅れているか、遅さのボトルネックになるかを経験します。それが悪いんだと言いたいんじゃなくて、遅いんだという事ですね。遅いけどそもそもそれでいい場面の方が圧倒的に多いからです。

こういう尺度もあります、『遅さにまじめに取り組んでいる、気の長い人たち』です。どこまである一つのテーマに執着をして時間を裂けれるかというのも各人の尺度ではあります。



完ぺき主義に勝る尺度


即時の手放し

毎瞬間の『やめたーーー!!!!』です。どうでもいいことはすぐやめていいことです。


〇したいかしたくないかの矢印

(+) 一生したい > もっとしたい > まだしたい > 出来てる > する! > したい > してみたい > (±0) 特にしたいともしたくないとも感じない > う~んしょうがないからしてあげてもいいかも > まあしょうがない > あんまりしたくはない > したくない > 絶対にやだ > 死んでも嫌 > (-) それをするぐらいなら死んだ方がマシ

(+) > (±0) > (-)

(+)10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2 > 1 > (±0) > 1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9 > 10 (-)



上図の心理でいうと常に(+)10 で在れているというのが最終ゴールポジションだと感じますね。常に全力青春黄金期到来中です。

でも、多くの場合には、人はマイナス圏で右往左往しているのではないですか?覚えがありませんか?ぼくはそうでしたからね。


で、そのマイナス圏に入ってそういう感情がシグナルとして教えてくれているのも関わらず、まだ同じことをし続けているので、寝ると一旦リセットされるので翌日回復しています。それはつまり寝てどうのこうのと言うかは、自分で切れないところに進化を遅くしているベスト要因がありそうなのです。


進化を遅くすることイコール悪だという意味じゃないので、勉学に時間をかけられるだけかけてもらっても構わないですからね。

ですが、全員が全員そのペースに巻き込まれたいとは思っていません。ある種の強要、ある種の足の引っ張り合い、ある種の黙認された出る杭は何とかの暗黙の了承があるかもしれません。こちらが勝手に意図を汲んでしまい、そのおっそいルールに自分を縛っているだけなのかもしれません。


そこから出る単純明快な基本ルールは以下の通りです。

トイレに立てたらその時点でそれまでとはまた違ったアプローチを試しましょう。「何をしようかな~」とか「どうすると楽しいかな~」を交互に繰り返します。

たったのこれだけです。そのほか、ゴミ出して帰ってきた時点で別のことを考えます。つまり、ゴミ出ししている最中に帰ったら次何をしようかな~と次なる思考を発信しておくのですよね。簡単なことです。いつも無意識にしていると存じますが、それをどんな意味があってやっているのかに気が付いている状態であってほしいと感じます。

あとはいちいち何か別の行動をとった時が常にチャンスですから注意してみてください。ご飯を食べているとき、食べ終わったらどうするかサーチしておいてください。起きてすぐとかもそうです。服を着替えた時とかでもそうです。何か切り替わりをうまく着替えて別のありように変化して行ってください。それが最速な方法で、かつもっともエキサイティングな在り方と言えます。ターンオーバーが早い段階で切り替え、進んで行く新しいやり方となります。


これまでの寝て起きたら変化する。というルールよりも格段に進歩前進が早くなっていきます。


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