見出し画像

最近の読書事情① 『すらすら読める歎異抄』ひろさちや

読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?と書いてあったので、トライしてみます。

『すらすら読める歎異抄』ひろさちや
ある日、偶然に見たEテレの「NHKこころの時代 歎異抄にであう 無宗教からの扉〜阿満理麿」で仏教、というか歎異抄が気になりすぎて図書館で借りてきた本。本当にすらすら読めた。

歎異抄とは、親鸞の言行録で、弟子の唯円が著者だと言われている。私は序、本文に入る前の部分で俄然興味がわいた。それがこちら↓
「ひそかに愚案を廻らして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、幸いに有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。
まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す。
ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなり。

(要約)私一人の思いですが、今は故親鸞聖人から直にお聞きした真実の教えと異なる了解があるのを嘆かざるを得ません。(略)すべて自分の一人合点だけを頼りとして、本願念仏の本旨を思い誤ってはならないのです。(略)ひとえに心を同じくする念仏者たちの疑問を晴らすためなのです。

あらら。愚痴?

では、親鸞聖人の真実の教えとは?浄土真宗だよね?それってなんだっけ?

私の興味はそこから始まった。Eテレの阿満先生のお話にもあったが、無宗教の人が宗教を知る手がかりとしての歎異抄なのだと言う。それならば何が書いてあるのか読んでみようか、と。

ベースの仏教がそうなのか、浄土真宗がそうなのかはまだわからないが、シンプルに仏の名を唱える事で極楽往生出来るという専修念仏の教え。それはとても簡単そうで意外と深い。以前少し齧った般若心経にもあった、絶対的な存在の仏に守られていることが前提。だから自分でなんとかしようとかおこがましい、仏サマがすべて守ってくださって導いてくださるのだから、ただ念仏して往生しましょう(他力本願)。

他力本願の本来の(宗教の)意味は、他力とは阿弥陀仏の力で本願は人間が願う事一般。つまり阿弥陀仏の力で願いを叶える(往生する)という事みたい。そして専修念仏、阿弥陀仏の名を唱えることが往生する道。

私が思ってたのとは違うけど、こっちの方が良い感じ。

学生の頃にお世話になった先生(国語学)に「最近、歎異抄読んだんですよ」って話したら「歎異抄は仮名遣いも興味深く教材にした事があった」っておっしゃってた。流石です。そんな観点は無かった〜。もう一度読まなくちゃいけなくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?