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命の終わり方は選べない。でも生き方は選べる。

   7月1日に生まれてきた私。
ただこの日を迎えられたこと、そのことがただただありがたい。
普通だと思っていることは当たり前なことではないと年齢を重ねる度に思う。

突然ですが、祖父の話。2020年8月、89歳で他界しました。コタツに入ったまま眠ってしまい。脳梗塞に。

そのまま16年間寝たきりになり、家には戻ることなく、時々お見舞いに行けてたのにコロナ禍に入ってからはお願いをしても県外からは会うことがなかなか許されず、連絡をもらった時にはこの世を去ったあとでした。

私たちはとても可愛がられ、優しくて大好きなじいちゃんだった。

祖父は農家。ある時みかん畑で作業していると、おばあさんがやってきて、「一緒に畑に来とった孫がどこにもおらん!」と必死に訴えてきたという。

おばあさんの話を聞いた当時40代前半だった祖父が真っ先に向かったのは、近くにあった防火水槽。迷わず飛び込んだという。深く、真っ暗な水槽の中へ。

目を開けても全く何も見えない。水中でただただ両手を大きく掻き回しながら底の方まで急いで探り、何かが手に触れた瞬間、掴んで引っ張り上げたという。

それは小さな男の子だった。動かない息をしない小さな男の子に、祖父は懸命に人工呼吸をした。

息を吹き込んでは胸を圧迫を繰り返す。水を吐き出し咳き込み大泣きする小さな男の子。
祈るように泣き叫んでいたおばあさんはどんなに救われた気持ちになったことだろう。

祖父の感が働いて考える間もなく動かされていた様子がひしひしと伝わってくる。その子は当時3歳だったという。

それから毎年毎年、男の子の家族から祖父へ感謝の贈り物が届けられるようになった。

いらないと伝えても毎年毎年届けられた。

そして20年以上の月日が経ち、じいちゃんはその大人になった男の子の結婚式に招かれた。

もちろん喜んで参加した。
天使のように優しく微笑む、神話に出てくる女神様のような像が時計を抱えている品を、お祝いでいただいた。

大切に今も祖父の家に飾られている。警察署から贈られた感謝状もある。

実家に帰った時、私はそれを見るのが好きだ。

言葉にしなければ知らないだけで、私たちは血脈だけではないご先祖さま、色々な人に知らず知らず助けられて生きている。

多くの人が願いを込めて育んできた何かに守られながら、あらゆる恩恵を受けながら生きている。そんなことを感じて手を合わせたくなる。

じいちゃんに見せてあげられなかったけど、私は私の人生を、与えられた命を一生懸命生き、どんなことも味わおうと思う。そして自分の言葉で語りたい。訪れた人に元気になってもらいたい。

「RAY COFFEE」という屋号の「RAY」には「一筋の光」という意味もある。
誰かの希望の光みたいに、灯っていられたらいいなと思ったのは、祖父や、これまで見てきた人の背中が頼もしくてかっこよかったから。

言葉にしなければ。と思う。
言葉にすることには意味がある。本人がちっぽけだと思っていても、人の経験には大きな役割がある。

だからこの小さなお店に訪れた誰かがぽつりぽつりと話をしてくれることがとても嬉しい。

占いは話をする小さなきっかけ。でもそこで話したことから行動に変化が生まれ、運命を大きく動かすことになっていく。

自分のことを話す、そして夢を語る。
とても大切なこと。

世界平和だって実現できる。世界中の人たちが健やかで、平和で面白い世界をお互いに創造して、いつでもどこへでも、地球の美しい景色を世界中誰でも自由に見に行けて、笑いあって暮らせる世界にしたい。

知らないうちに、ヒーローみたいな人達が今も日々活躍してる。誰に知られることがなくても。熱い想いで動いてる。
私たちの細胞みたいに。人知れず毎日毎日。

私も地球の小さな細胞かな。
今日もたくさんの人の幸せを願って懸命に生きる。正解はなくても答えにはならなくても思いを言葉にする。

ただ生きているだけ。それが役割り。


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