自分と創作について整理する記事
SNSだと体裁を守ったりして、上手く言葉に吐き出せなかったので。
①「創作が好き」も色々ある
私は創作行為が好きだけど、絵を描く行為自体というよりは、
『頭の中の混沌とした感覚を、外へと取り出してかたちを与える行為』
が好きなのかな、と最近思う。
自分は背景のある絵を描こうとして、長い間キャラしか描けないことに悩んできた。
だから、「好きなキャラが描けるなら、好きなモチーフを横に添えれば(背景)いけるのでは?」という思考になった。
元々好きなキャラをひたすらガンガン描くタイプで、恐らくそのキャラの見た目の属性というよりは、『精神性』で好きになって、そこから属性も好きになっていったんだと思う。
だから、好きなものを好きなキャラの横に添えよう!という思考回路で頑張ってきて、ずっとうまく行かなかった。
全然筆進まないんだよね。
外側の世界にある物質をそのままキャラの横に描くだけじゃ、喜びをあまり感じないみたい。好きなものが並んでても、そこに関係性や関連性がないと駄目なのか...。
noteで精神性精神性言ってるぐらいなので、
「キャラクターの心情、精神状態を表現する一要素」として背景や小物モチーフを考えると、特に楽しく描けるらしいことがわかってきた。
これは相互さん(山田唄さんいつもありがとう!)から教えてもらった。
そうだったんかー!
(逆に『キャラから独立した、モチーフとしての背景』は、そこまで描く喜びを感じない。割と苦痛!)
あとは精神じゃなくても、たぶんテーマ性のしっかりした絵にすれば描ける。
パンフレットとか、小冊子に載せる表紙や挿絵は、高校生の時とかに苦しまずにすいすい描けたし、とても好評だったから。
背景や小物は、特に『キャラの精神の一部』『テーマを伝える要素の一部』という考え方が良さそう。
この体で描き始めてから、なんの努力も無く上手く行くようになった。
もしかしたら絵自体そういうもんなのかもしれない。
②創作って、描き手にとっては基本都合がいいもの
私の場合、創作は自分と地続きで切り離せないものなんだけど、そればかりかキャラが割と私の容姿や服装に酷似しているという点があって。
つまりそれって『創作キャラ=自分』か...…?じゃあ
創作BLは自分と自分をイチャつかせてるってことか..…!?
という思考に先日陥り、数日間自分に対してガチドン引きしてモヤモヤし続けていた。
数日色々ぼんやり考えてみて、結論。
単純に、
①自分の分身として描く時もあれば、萌えキャラとして自炊して食う時もある。
都度都合よく使っている。
②好きなものを絵にするんだから、自分自身もそれを身に着けていたり、そういう外見になっていてもなんらおかしくない。
自分の代弁者として描く
妄想をかたちにする時に『異性のシンボル』として描く
絵の一要素としてピースのように使う
好きなアクセや服を身に着けさせる
みたいなね。
特に私はボーイッシュな服が好きで、創作キャラに自分の私服デザインやコーディネートを元にした服をよく着せる。
アオは金髪時代の自分の服を参考にしてるし、丞弥は小学生の時の自分の服装が元になっている。
あとは、これは人によっては嫌な感じに思うかもしれないけど、私は私の顔と外見がすこぶる好きである。
あとは好きな異性の顔が、だいたい中性的でやや女顔である。
だから創作キャラが自分とよく似ていたり、服や容姿が被っていてもなんらおかしくないのである。
Adamsくんは、海外の超美形ド好みエモボーイから作ったから、そんなに私にはそっくりじゃないけどね。私のタイプ兼自分がなりたかった姿なのでね。
③「3つの人格」も、基本私にとって都合が良いもの
こめお・めめ(meme)・Rawbitという人格がわたしの中に居るよ、という話をnoteでもMisskeyでもよくする。
実際問題、そこに最近モヤついていた。
というのも、私が3つ人格があるなんて言っておいて、
本当は居ないんじゃないか?ぜんぶ私の妄想と思い込みとこじつけなんじゃないか?
と自分不信になっていた。
…まあ人格も、言ってしまえば「私にとって都合が良いから存在している」んだろうと。
こめおは『私が一番生きやすくあれる、私の状態』だし、Rawbitは『こめおとは真逆の状態の、深く思考し苦しみに怒り狂う私』だ。
めめは、『弱っていて死にたがっている時の私』で、どの私でいる時も、世界の知覚の仕方が違う。
自分が極端にあっちこっちに変化するなら、それはもう人格と呼んでもいいんじゃないかなと思う。
記憶は共有しているけど、自分が極端すぎて、他人みたいに思えるしね。
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