同担拒否・創作依存は「心が飢餓状態」のサインなのかもしれない(自分メモ)
バリバリ最強同担拒否マン、猫嶋です。
(無理やり感)
今回はメモなので、内容が纏まりきっていないところがあります。
それを前提のうえでどうぞー。
私は2015あたりから、数年二次創作界隈で色んな絵描きさんと繋がり、交流した時期があった。
過去形なのは、現在ほとんど交流の場所を持っていないから。
あまりにも同担拒否が酷いので、人間関係や創作活動に支障が出まくり、精神をすり減らしまくり、それはもう荒れに荒れていたよね。
文字通り同担拒否への苦しさは尋常ではなく、2021年頃だったか、とうとうファン同士の交流を断ってしまった。
そして今日の今日まで、自分が同担拒否であること、そしてそれと地続きの外堀の悩みが解決しないまま、創作を泥臭くやり続けて来たんだけれど。
今日、とんとんと理由がわかったような気がしたので、メモとして纏めてみようね。
アウトプット欲求=喋る相手が居ないだけ……!?
こちらの9:15から。
ぷろおごさんについては、ググッて貰うとして。
彼によると、アウトプット欲求の実態はなんと、
「自分の話をただ聞いて欲しい」
だけ、のようで。
驚きの真実。でも言われてみると、とてもシンプル。
ただただ自分の話を聞いて欲しい。理解して欲しい。頑張ったことを褒めて欲しい。
私(たち)が求めていたのは高級キャバクラだった……。笑
どうりでいくら評価されても渇きが満たされないのね。
私はスケベなのもあり、苦しみをエロで昇華していた時期が数年あって。
でもいくら評価されても、フォロワーが5000人になっても、絵のいいねが500を越えても、怒りのような感情が強くなるばかりだった。
それは、「絵に込めた、理解されたい真意が汲み取られないまま」、だったから。
自分は苦しいまま、不幸なままなのに、閲覧者だけが絵を楽しんで、幸せになるのが許せなかった。
だから、いつもいつも怒りで狂っていた。
シェアをする喜びではなく、 威嚇
じゃあ、この考えをいままでの自分に当てはめてみるとどうなるだろう。
……なんと私は、周囲のファンに
「私が推しが好きな気持ちは誰にも負けないんだからなー!!!」
と、二次創作という形で主張、マウントを取っていたのだった。とほー。
「推しを誰よりも好きである自分」
「推しを誰よりも魅力的に描く自分」
でマウントを取り、優越を感じることで、抉れた自尊心を穴埋めしようとしていた。
私は、「創作を通して自分を価値ある存在と認めて欲しい」だけだった。
そして、「推し」に対しての強烈な独占欲があったかもしれない。
というかあった。あり過ぎた。
同日、午前中に読んでいた加藤諦三さんの本に、こんな事が書かれていた。
「劣等感は、敵意のある孤独感である」と。
そしてこうとも。
「所属感の欠如が、劣等感を生む」。
所属したいという欲求
きっと私は、心の奥底では他人と好きなものを分かち合いたい気持ちがあったはずで。
でも、私の心は孤独でそれどころじゃなかった。
確かに、何処にも所属していない、出来ないという空虚感、強烈な孤独感が私を固めていた。
だから、いつも自分と同系統の場所、安心できる場所を探して自分を当てはめようとしていたし、
違うとわかれば猛烈に拒絶して、嫌悪して、自分の殻に閉じこもった。
自分のファンや、相互の同ジャンルの人達を、理想化とこき下ろしをして常に心が上下に荒れていた。
私は安定した家庭環境に恵まれず、非常に抉れた自尊心を抱えていて、
ありのままの、なんでもない自分を認めてもらう経験がないまま、苦しみもがいてきたのは最古記事の通りなんだけど。
本当にいつも、どんな時も余裕がなかった。
絵に縋り付くしか、もはや自分の価値を証明するものなどないと感じていて。
二次創作というには明らかに行き過ぎた絵への情熱は、
絵を人に認められるほどのレベルまで持っていくことで、社会の一員として所属したいと感じていた結果だったのだろうなって。
そして、行き場のない「何かを頑張りたい、成し遂げたい、情熱をぶつけていたい」という場所としても、依存していた。
でも傷ついた心を癒したいのに、数字を得ても虚しく、逆に傷ついて、いつも安定しなかったし、
たぶん絵じゃなくてもいいんだろうなというのは、いまこれを描いている瞬間も何処かで感じている。
……そして 、ここに「独占欲」という面倒なものが絡んでくる。
独占欲という「飢餓状態」
独占欲は、おそらく
「失うこと・奪われることへの過剰な恐れ・不安」「対象への依存心」
から来ていて。
所有欲と置き換えることもできるなあと個人的に思った。
よく嫉妬深い彼氏が、恋人を束縛したがり過剰に生活を管理したがったりするけれど、
愛されているという実感が弱く、自分から離れていってしまうのでは、という心の余裕のなさ、怯え、そして相手への強烈な依存なんだろうなって。
(これに関しては、ググッた知識のみなので、本当に予想の域なんだけどね……)
過去に人から裏切られたとか、愛されることが無かったとか、対象以外に心の拠り所がないとか、とにかく不安を感じずにはいられない。
次に所有欲。
貧乏人の家はもので溢れて雑多としているそうですが、お金持ちの家は物が少なく整然としている、という話。
これは、お金持ちは経済的に余裕があるので精神面の余裕もあり、ストレスを溜めにくい
→衝動買いが起こらない、手放してもまた買い直すことができる
という、余裕の有無の話で。
束縛男も、貧乏人も、とにかく心に余裕が無い。
束縛男は、恋人が「絶対に裏切らない」という、心の安心感……余裕が無い。
貧乏人は経済的な余裕がなく、生活が圧迫されているので心の余裕も無い。
ストレスが増えて、もっと状況を悪化させてしまう。関係性を壊す。衝動買いが増える。
相手を手離したくない。入手しづらいものは手放せない。
どんどん自身の生活が圧迫されていく。
そう考えると、私は……
「心が飢餓状態」、だったのかもしれない。
愛されたい、自分を受け入れられたい。その欲求が埋まっていたら、こんな苦しまなかったのかな?
独占欲と所有欲によって心の飢餓状態を埋めようとして、どんどん自分の環境を狭めてきてしまった。
「創作は私にとって、自己完結した自慰行為だった」という記事を以前書きましたが、シンプルに捉えるとこういうことだったのかなあ。
でもまだまだ、時間が経って色んなものを見聞きしたら、新しいことを発見するんだろうな。と。
まだまだ全容を掴みきれていない感じだ。
じゃあ、これからどうすんのさ
推しを描く行為は「威嚇・マウントによる自尊心の穴埋め」であり、
同担拒否は「推しへの強烈な依存」から来るものだったね。
創作する行為は「話を聞いて欲しい・理解して欲しい」、だった。
つまり、少なくともいま創作に明け暮れる苦しい自分に必要なのは、「創作者として認められること」と言うよりも、
「自分の苦しみに1人でも理解者がいること」「依存先を増やすこと」。
このご時世、パンデミックでみんなが不安定。経済状況、爆速スピードで変わっていく世界。
明日や未来への不透明さ自分でどうにも出来ない不安感は、どうしようも無いかもしれない。
そういった部分は、苦しくてもバランスを頑張って取るしか無いかもしれない。
せめて出来ることは、ネットで数字を得ることではなく、自分を理解してくれる数少ない大切な人と、心を通わせることかもしれないね。
ある意味、「自分と同じ傷を抱えているもの同士で心を繋いで、あたためあう」
のが、今の私には必要なことなのかなあ。
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