思ってた以上に社会不適合だった
かつては酷いネット中毒であった自分。現在ネットは情報を得たりアプリゲームをする目的でしか使わなくなった。
SNSは情報収集で使ってる以外は吐き出しで稀に顔を出す程度で、その「稀」でさえ重力が二倍になるようなストレスを感じる。
そもそも他者という存在がストレスの可能性。
私生活では、「ネットから足を洗った後は、人との繋がりが増えていくだろう」と思っていた。実際ほとんど人とは会わない。
恋人と訪問看護さんほかとの最低限の関わりで充分満たされている。
他者との関わりに酷く消耗する。
というか、毎日あっぷあっぷの溺れかけギリギリで生きている。
冬季は寝込む体質で、今冬もよく寝込んだ。いまも死にそうな状態でいる。
こんな人間が果たして生きていて社会に何か還元できるのだろうか、と訪問看護さんに泣きながら吐きつつ、目の前のことをこなして丁寧に生活を送る。送ろうと心がけている。
ああー。こんなに人間嫌いだと思わなかった。
道で、反対側から人が歩いてくるだけで嫌だ。不調だと余計に挙動不審になる。
スーパーのおばちゃんとその場限りで話すのは楽しい。でもそれが知り合いに昇格すると途端に重荷になる。
お気に入りのお弁当屋さんで、先日アクティヴなおばあさんとお弁当が出来上がるまでの間、楽しく話した。
もう二度と出会わないであろう彼女は、あの後無事にお寺に行けたのだろうか…。
昔からよく道を訊かれたり、声をかけられたりする。何故だろう。
小さい子にも好かれた。綺麗なオーラでも放っているんだろうか。消耗するだけで、人と話すこと自体は好きだしな。
いまのところ、ここで文章を更新するよりpixivに絵を上げる方が楽だ。
勝手にただ絵を上げるだけで、反応があってもフォロワーや閲覧者と距離が遠い。
相互の関係が固まってくると逃げ出したくなる。何故なんだろう。
身内レベルに気心が知れていて、こちらがどんなに荒れて暴れても穏やかにそばに居てくれる…そんな人じゃないと、不安で不安で堪らない。
私は一週間のうち、安定して同じ自分で居られない。迷惑をかけるのがデフォルト。自分ではコントロール出来ない。
誤解や嫌悪なんて当たり前に向けられてきた。それがいつ自分に再び向くか。恐ろしくて堪らない。
人間はみんな「敵」で、そのうち優しい人や、同じムジナの人が少しずつ味方認定されていく感覚。
関われるのは、体力気力がどしっと大きくて私の荒ぶりではびくともしない人。
或いは、表に出さずに穏やかに振る舞う力のある人。
ああ、私は例えるなら、温室に育った弱い弱い死にそうな植物だろうか。
訪問看護さんみたいな「一線を引けて、病気を理解して寄り添って関わってくれる」存在でなければ、ろくに関わりを続けられない。
あまりにも他者との関係を続けていくのが苦手だ。逃げ出したくなる。
病気に理解のある輪での女子会さえ駄目だった。好きな作品のオフ会もまるで駄目。
もう部屋の中で、植物と画集に囲まれながらアートの本を読んでただ暮らしていければいい。
裕福じゃなくていいから、他者に侵されない温室のなかに居させてほしい。そこから出るとまもなく死んでしまうから。
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