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勇者マサヒコがちゅんちゅんになるまで【短編小説】

 賑やかな青空市場で、周りに合わせてぶらぶら歩きながら、俺は途方に暮れていた。

 大きな傘のように、布の屋根が天井に張られ、その下に商品が積まれている。果物や肉や洋服や器……ありとあらゆる雑多なもの。呼び込みの言葉は聞いたことのない言語だった。その間を縫うように、色とりどりのローブやマントを羽織った客が、店のものとお喋りしたり、値切り交渉をしたりしながら、賑やかに商品を購入している。

 俺は、半日ほど前に森の中で意識を取り戻して、ここまで歩いて来たのだが、それ以前の記憶が全く無いのだ。ここは一体どこなんだ?

 何となく分かるのは、以前はここと違う場所に居たってこと。なぜなら、ここに居る人々の見た目に、俺は凄く驚いているから。
 俺と同じような、手足が二本ずつに頭がひとつ、という形をした人間の他に、人間ぽくない見た目の何かが、楽しげにお喋りしながら大勢でそぞろ歩いている。

 俺は前から歩いてくる、身体はヒトでゾウのように長い鼻と大きな耳を持つものを、ジロジロ見過ぎないよう注意しながら避けた。黒猫そっくりな顔でマントを羽織った小さな者たちが、三人(三匹?)俺を追い越して、人混みを器用にかき分け速足で行きすぎてゆく。それに気を取られるうちに、前を歩いていた大きな男に近づき過ぎたらしい。男の髪の毛がウネウネ動いているのを見て、思わず声をあげてしまう。
「う、わわっ」
 髪の毛はよく見ると、小さな蛇の集まりだった。男は振り向き、傷だらけの顔で俺をじろりと睨むと(男の目は蛇の眼だった)再び前に向き直った。そいつの隣には、青い肌の一つ目のお姉さん(たぶん)が並んで歩いている。お姉さんはニヤリと笑うと、大男の腕をとり、二人は人混みに紛れた。

 ……困ったことに、先ほどから腹が減ってしょうがない。軒先でかき混ぜる大鍋から良い匂いが漂ってくるが、この分だと何が入っているやら分からない。それにたぶん、俺は一文なしだ。粗末な布の服と、厚い革でできた、みすぼらしい靴以外に、何も身につけていない。ポケットをひっくり返しても、埃が立つだけで、何もない。

 後ろから肩を叩かれて、俺はびくりと振り返った。
 そこには、俺と同じくらいの身長の男が立っている。とりあえず、同じヒト型。浅黒い肌に引き締まった身体つき、髪の毛と瞳は鮮やかな緑。布の服に肩当てと胸当てをつけている。男は親しげにニッコリ笑った。
「おにーさん、お腹すいてる? 良かったら俺と一緒に飯食わない? 奢るからさ」
「えっ……」知らない言葉なのに、なぜか理解できる。男は人懐こい様子で
「俺さあ、今ちょっとヒトを集めてて。良さげな人に声かけてるとこ。あんた、なかなか強そうだし、食いながら話、聞いてよ」と重ねて言ってきた。
 空腹が耐えがたいレベルになっていたので、胡散臭さを感じつつも、俺は頷いた。どうせ右も左も分からないんだから、成り行きに任せよう。緑の髪の男は歩き出しながら「俺の名はグリン。あんたは?」と聞いてきた。俺の頭に、記憶が閃いた。
「俺は……マサヒコだ」
「マサ、ヒコ? 変わった名だな。よろしく」

 グリンに付いて歩きだそうとすると、後ろから腕を捕まれ、振り返った。俺は目をパチクリさせた。「あれ?」
 俺の腕を掴んでいるのは、もう一人のグリンだ……前を行くグリンと顔は同じだけど、もっとゴツい鎧を身にまとい、左脚と右腕に包帯を巻いている。そのグリンは俺をグッと側に引き寄せると、早口でまくし立てた。

「マサヒコ。よく聞け。いいか、“違い”を積み上げろ。運命の輪から抜け出すには、きっとそれしかない」

「え?」

「友よ忘れるな。何か違うことをするんだ。または、何もするな……いつかきっと……」


 俺は目を開けた。
 暗い石壁の片隅を、携帯ランタンの弱い光が照らしている。おそらく朝だろうが、ダンジョンの中は一日中、暗いままだ。
「起きたか。もうすぐ飯ができる」
 起き上がった俺を振り返って、イビルアイが呟いた。彼の大きな背中に流れる蛇の髪の毛が、声に呼応してザワザワと蠢いた。
「あったかい飯? 久しぶりじゃん。うわ嬉しいな」
 俺は、そう言いながら部屋の四方に目をやり、結界がちゃんと機能し続けているのを確認してから、鍋の側まで這いずり寄った。香ばしい匂いを嗅ぐ。
「このシチューさ、ブル、いや、分厚い肉が入ってんな、美味そう」
 俺は「ブルーナの好物」と言いそうになって、咄嗟に誤魔化した。ブルーナは僧侶で、青い肌にひとつ目のお姉さんだ。イビルアイの恋人……いや、恋人だったというべきか。
「今日ぐらいはな」
 イビルアイは、地を這うような低い声でそう言うと、ゆっくり鍋をかき混ぜた。この大男は恐ろしげな見た目に違わず、超強力な重戦士だが、中身は思慮深く、どちらかといえば研究者タイプだ。世の中が平和なら、戦うことはなかっただろう。

 俺はシチューを口に運びながら、夢の内容を思い出していた。そう、あの市場で、グリンと初めて会ったとき、もうひとりのグリンに会ったんだ。グリンのドッペルゲンガーか?あのときは、訳も分からず、先をゆくグリンを呼び止めて振り返ると、誰もいなかったんだ。──なぜ、今日まで忘れていたんだろう。
(何か違うことをするんだ。または、何もするな)
 あの言葉は、どういう意味なんだろうか。

 いつもなら食事が終わると、速やかに片付けて探索を再開するのだが、イビルアイは、装備とバトルの手順をもう一度、確認し直すべきだと言ってきた。
 どうも、彼は話があるらしい。俺は外していた装備を身につけ、鞄の中の装備品を確認しながら待った。おそらく、魔王は近い。もしかしたらこの会話が、彼と落ち着いて話すことができる最後の機会になるかもしれなかった。

 歴戦の猛者にして心優しい大男は、具足の間に鞄を抱えて座り込んだまま、口を開いた。俺は彼の向かいに座りなおし、傷だらけの顔を見つめた。
「……夢を見た。市場で、お前と初めて会った時の。まだ知り合う前だ。お前は心細そうな顔をして、貧相なナリをしていた」
 俺は驚き、今朝の夢のことを思い出したが、まずは話を聞こうと先を促した。イビルアイは話を続けた。
「運命の導きで、俺たちは魔王討伐のパーティーとして、ここにいるわけだが……一度、俺とグリンとブルーナで話す機会があった。このダンジョンに潜る直前だ。グリンは、お前がこの世界の人間ではないと言っていた。そして、俺たちが、自分の世界のためにお前を勇者に仕立てて、魔王と戦うことをどう思うか? と訊いてきた。俺とブルーナも、実は似たようなことを考えたことはあった。でも、口をつぐんでいた。お前の力無しで魔王に勝つことは不可能だから」
 イビルアイは俯いた。

「グリンは当初、うまく利用すればいいと考えていたようだ。だが旅をするうちに、本当の友になった。すると、良心の呵責に悩まされるようになったわけだな」
「俺は自分の意思でここにいるんだ。今更……」
 イビルアイは手をあげ、俺の言葉を押し留めた。
「まあ、聞け。グリンはこうも言っていた。ふとした瞬間、感じることがある。こんなことが前にもあった、初めてじゃないと……その感覚は、魔王に近づけば近づくほど、頻度が高くなった。戦っている最中だったり、皆で話をしているとき、怪我をして治癒の魔法をかけてもらっているとき……前にも同じ話をした、前にも同じ痛みを体験した……そう感じるんだ。有り得ないことだが、俺もブルーナも、やはり同じことを感じていた。お前はどうだ?」
「え、俺?……ない、気がする」
「そうか。そう、確かにそのはずなんだが……」イビルアイは緩く首を振った。

「幼い頃に聞いたお伽話がある。時の呪いにかかった男の話だ。男は時の神を怒らせてしまい、呪われた。そして、同じ一日を生きるようになってしまう。眠って目覚めると、同じ朝が来て、同じ出来事が起こる。周りの人間にはその記憶がないんだが、彼には分かるんだ。男はどうにかしようとする。だが、どう足掻いても、結局は同じ結果になってしまう……そして、しまいには気が狂う」

 彼は鞄から、二つの水晶を取り出した。俺の手のひらの半分くらいの大きさ。でも、イビルアイの手にあると、とてもちっぽけに見える。緑色と青色の水晶は、グリンとブルーナが死後に“結晶化”したものだ。この世界では、死ぬと魂が水晶になる。そして生前の魔力の名残が、石を持つ者を守るのだ。
「グリンとブルーナが死んだ時、強く感じた。そうだ、俺には分かっていたはずなんだ。彼らが死ぬことを。だがどうしようもなかった。彼らもきっと……死の際に感じただろう。こうなることは分かっていた、と」
 イビルアイは緑の石を俺に手渡した。俺は、手のひらでチラチラと燃える緑色の光を見つめた。
「時の呪いにかかっているのは俺かもしれない。結局、運命に抗う術を見出せないまま、ここまで来てしまった。マサヒコ。お前に謝っておく。すまない、お前を巻き込んで」

 俺はグリンの石を懐にしまった。微かな魔力の波動を感じる
「俺は全然、後悔してない。ここで死ぬなら、それが俺の運命ってことで。この世界に来てから……色んな事があったよなあ。しんどい思いもかなり、したけど、でも。グリンもブルーナも、大好きだったから。みんなとの旅は楽しかった。だからさ、謝らないでくれよ」
 彼の腕を軽く叩き、笑ってみせる。
「あと一息だ。魔王を倒せば、魔物の力はずっと弱まる。獣と同じように、人間の力で対処できるようになるはず。だろ? そうすりゃ人が襲われることも、子供が攫われることもなくなる……でも。俺は自分のために戦ってるんだと思う。これが自分の役割だって、感じるんだ」

 そしてイビルアイの目を見つめた。
「……初めてじゃないなら、この戦いの顛末も分かるのか?」
 彼は目を逸らし、鞄を抱え上げると立ち上がった。そして静かに言った。
「お前は俺が守る」
 彼は何か言葉を飲み込んだようだった。それは「最後まで」だったかもしれない。


 魔王の狙い澄ました一撃が俺に届く直前、イビルアイは大剣でそれを受け止め、軌道を変えた。「うぉらあ!」そのまま、一合、二合と切り結び、気合と共に弾き返す。
 魔王の身体がのけぞった隙を逃さず、俺は魔法を打ち込んだ。
「縛めの蔓草、鋼の力で自由を奪え!」捕まえた手応えと同時に魔力を注ぎ込み、縛りを強化する。最大の力を込めても、僅かに魔王の動きを鈍くするのが精一杯。だが、イビルアイが体勢を整えるには充分だ。彼は駆け寄ると、剣を下から上へと切り上げた。

 轟!と空気が振動し、魔王が素早く後退する。逃すか。俺たちもその後を追いかけ、敵が上空に舞い上がる直前にイビルアイが大きく剣を振った。
「いえいっ」音速の衝撃波が魔王を切り裂く。
──が、その斬撃で切り裂かれたのはイビルアイの方だった。跳ね返された!?魔王のシールドの性質が変化したのか。イビルアイは吹っ飛ばされて、床に叩きつけられた。大きく斜めに切り裂かれた傷は鎧を貫通し、彼は呻いた。
「イビルアイ!」
 俺は駆け寄ると“治癒”をかけようとしたが、彼はそれを押し留めた。
「奴は物理攻撃防御に特化したシールドに変わった。直ぐには変えられないはず。今ならお前の魔法がよく効く、雷電音(ライデイン)を撃て。渾身のやつを」
「でも、傷が」
「俺にはブルーナの石がある。大丈夫だ。詠唱の間、盾になる力はまだある。やるんだ」

 俺は上空に浮かぶ魔王に顔を向けた。
「……疾く来たれ、嵐の帝、風と雲と水、空の全てを統べるものよ……」魔王が波動を発した。衝撃が打ち寄せ、その場にあるものを吹き飛ばす。イビルアイは素早く起き上がると、俺を後ろに回して剣を前に構え、瓦礫や暴風を切り裂いた。俺は、背中から噴き出した彼の血を浴びて、気持ちがぐらついたが、詠唱を続ける。
「……汝が疾風の腕は敵を打ち払い、その眼は敵を焼き払い、その脚は破壊の大槌を振りおろす……」
 俺たちを囲むように炎の壁が立ち上がり、空間は熱にジリジリと焦がされた。イビルアイは鞄から最後の魔石を取り出すと“抵抗”の魔法壁を周りに巡らせた。少し熱が弱まったが、それでも喉がひりつく。水が飲みたい、が、その余裕はない。
「集え、水の蛇、天地にあまねく水を集め、その恐ろしき、押し流し飲み込む力で……大地を清め、全てを洗い流さん……」魔力が高まり、身の奥から熱い波動が満ちてくるのを感じる。ギリギリまで高めるんだ。弓を限界まで引き絞るイメージ。
「……破邪の光、唸り爆ぜよ、全ての敵を薙ぎ払い、撃ち抜け! ライデイン!!」
 イビルアイは身を屈め、俺は可能な限りの魔力の奔流を魔王に向けて解き放った。反動で後ろに体がもっていかれるが、足をイビルアイが抱えこみ、支えてくれる。力は巨大ないかづちとなって、周りの炎も空気も全て吹き飛ばし、魔王に炸裂した。

 魔王は身を震わせると、急速に姿が霞み、霧のように拡散し始めた。中心に渦巻く黒い渦が、どんどん縮みながら下に落ちてくる。それは地面に着くと、黒い箱になって転がった。戦っていた大きな部屋は天井が吹き飛ばされて、空が見えた。厚い雲が急速に晴れてゆく。俺はライデインの後遺症で、体が痺れて動けない。足を抱えられたまま、尻餅をついた。
 イビルアイが呟いた。
「やったか?……やった。倒したな、魔王を……」
 そして、そのまま倒れ伏す。俺は彼の身体を揺さぶった。ああくそ、もう治癒の魔力がない。どうすれば。
 彼は優しく、俺の手を握った。
「まだ無理だ……それに、俺はとっくに限界を超えてる」
「そんな。ブルーナの石は」
「役目を終えて砕けた。ここに……」
 イビルアイは、鎧の下に手を入れて、引き出した。彼の掌から、青く輝く砂がこぼれ落ちた。俺はグリンの石があったところに手を触れてみた。砂のような手ざわり。俺はそれをつかみ出して、サラサラと零した。緑色の輝きが風に流されて、空気に溶ける。イビルアイは目を閉じた。
「……こうなることは分かっていた……そうか、そうだったのか……霧が晴れるようだ。分かったぞ、お前が何者か。この世界の仕組み、巡る因果の先が……マサヒコ。お前が全ての始まりだったんだ……なんという、残酷な……運命……」
「イビルアイ!」

 彼の姿が赤く輝き、ぼやけた。水晶になる前兆だ。俺は、ただ見ていることしかできない。情けなくて、涙が出てきた。
「時の呪いは……お前にかかっていたのだ……お前が、この世界を作った……ここはお前の意識の世界。そして、運命の輪は一巡し、最初に戻るだろう……苦しい修行……仲間の死……何度も……」
「嘘だ。そんなの嘘だ。俺の意識の世界? 今だって、お前を助けたいのに、何もできないじゃないか。どうして、グリンを、ブルーナを、助けられなかったんだ」
「俺たちはお前の一部だ……本当の意味では、魂がない存在。物語の、登場人物にすぎない……」
「違うっ! イビルアイ、死ぬな」
 イビルアイの姿はますますぼやけて、中心に赤い光が凝り始める。
「閉じた輪を、切り離し、線にするには……違う行動をするんだ。違いが……世界の綻びを作る……抜け出す、可能性……」
赤い光は急速に小さくなり、赤い水晶になって転がった。彼の最後の言葉が、俺の耳にこだました。

「それ……や……おけ……」


 俺は呆然と、イビルアイだった赤い水晶を眺めた。
 天井が抜けた部屋に、陽の光が差し込み、水晶を照らす。赤い輝きを湛えた影が、床に煌めいた。俺はそれを拾いあげて、泣いた。

 俺の意識の世界?俺が創造主ってこと?

 じゃあ、どうして誰も助けられないんだよ。

 混乱したまま魔王の箱へ歩み寄り、手のひらサイズの黒い箱を拾い上げた。

(違いを積み上げろ)

(違う行動をするんだ)

 グリンとイビルアイの言葉が頭の中でこだまする。
 この箱を開けるのが正しいのか?それとも開けない方がいいのか?
 前回の俺、その前の回の俺、その前の前の回の俺は、ここでどういう行動をとった?


 俺は膝をつき、黒い箱を床に置いた。

 そして、激情に駆られるまま、赤い水晶を握りしめ、箱に思い切り叩きつけた。

 水晶と箱は、同時に砕けた。 

 そこから空間が裂けるようにねじれ、闇が広がり、俺と世界を飲み込んだ。



 ぼんやりと、周りが見える。

 俺は、白いカーテンに囲まれたベッドに寝ている。

 機械から伸びた沢山の管が、俺の身体に繋がっているようだ。俺の口の中いっぱいに大きな管が入っていて、そこから空気が送り込まれ、肺を膨らませたり、凹ませたりしているようだ。

 全ての感覚が鈍く、夢の中のようにぼんやりしている。
“麻酔” 言葉が頭に閃くが……

 長く目を開けていられず、瞼を閉じる。 

 意識が、底なしの暗く深い谷底へ落ちてゆく。



 賑やかな青空市場で、周りに合わせてぶらぶら歩きながら、俺は途方に暮れていた。

 大きな傘のように、布の屋根が天井に張られ、その下に商品が積まれている。果物や肉や洋服や器……ありとあらゆる雑多なもの。呼び込みの言葉は聞いたことのない言語だった。その間を縫うように、色とりどりのローブやマントを羽織った客が、店のものとお喋りしたり、値切り交渉をしたりしながら、賑やかに商品を購入している。

 俺は、半日ほど前に森の中で意識を取り戻して、ここまで歩いて来たのだが、それ以前の記憶が全く無いのだ。ここは一体どこなんだ?

 何となく分かるのは、以前はここと違う場所に居たってこと。なぜなら、ここに居る人々の見た目に、俺は凄く驚いているから。
 俺と同じような、手足が二本ずつに頭がひとつ、という形をした人間の他に、人間ぽくない見た目の何かが、楽しげにお喋りしながら大勢でそぞろ歩いている。

 俺は前から歩いてくる、身体はヒトでゾウのように長い鼻と大きな耳を持つものを、ジロジロ見過ぎないよう注意しながら避けた。黒猫そっくりな顔でマントを羽織った小さな者たちが三人、俺を追い越して、人混みを器用にかき分け速足で行きすぎてゆく。それに気を取られるうちに、前を歩いていた大きな男に近づき過ぎたらしい。男の髪の毛がウネウネ動いているのを見て、思わず声をあげてしまう。
「う、わわっ」
 髪の毛はよく見ると、小さな蛇の集まりだった。男は振り向き、傷だらけの顔で俺をじろりと睨むと、再び前に向き直った。そいつの隣には、青い肌の一つ目のお姉さんが並んで歩いている。お姉さんはニヤリと笑うと、大男の腕をとり、二人は人混みに紛れた。

 ……困ったことに、先ほどから腹が減ってしょうがない。軒先でかき混ぜる大鍋から良い匂いが漂ってくるが、この分だと何が入っているやら分からない。それにたぶん、俺は一文なしだ。粗末な布の服と、厚い革でできた、みすぼらしい靴以外に、何も身につけていない。ポケットをひっくり返してみた。パラパラと、赤いガラスのかけらのようなものが落ちて、空気に溶けるように霧になって、消えた。

(……何もするな……やめておけ……)

 ん?
 何か声が聞こえた気がして、俺は辺りを見回した。そして、すぐ後ろにいる男に気づき思わず「うわっ」と声を上げた。男も驚いたようだ。
 男は、とりあえず、俺と同じヒト型。浅黒い肌に引き締まった身体つき、髪の毛と瞳は鮮やかな緑。布の服に肩当てと胸当てをつけている。男は親しげにニッコリ笑った。
「すごいね。声をかけるとこだったんだけど、何で分かったの? あのさあ、お腹すいてる? 俺と一緒に飯食わない? 奢るからさ」
「えっ……」知らない言葉なのに、なぜか理解できる。男は人懐こい様子で
「俺さあ、今ちょっとヒトを集めてて。良さげな人に声かけてるとこ。あんた、なかなか強そうだし、食いながら話、聞いてよ」と重ねて言ってきた。

 俺はかなり腹が減っていた。
 どうせ右も左も分からないんだし、成り行きに任せてみようか。


(……やめておけ……)


(それだけは……やめておけ……)


 また空耳だ。

 俺は眉を顰め、指で耳をほじってみた。そして男に言った。
「誘ってくれてありがとう。けど、やめとく。なんかその方がいい気がするんだ」
 緑の髪の男は、肩をすくめた。
「そっか。残念……まあ、俺、よくこのへんウロウロしてっから。気が変わったら、いつでも声かけてよ」
「分かった。じゃあな」
 俺たちは手を振り合って別れた。

 俺は空腹のあまり、大鍋にふらふらと歩み寄った。鍋をかき混ぜていた女の子が「一杯、10ギルだよ」と言った。
「すんごい腹減ってるんで。お金ないんだけど、その分、働きます。一杯、食べさせてください」
 俺は思い切って言ってみた。鮮やかなピンク色の髪の毛を後ろに束ねた女の子は、額に、もう一つの目がある。女の子は三つの目で俺を眺め、渋い顔をした。
「冷やかしなら、あっち行って」
 その時、俺の腹の虫がぐうぅぅ、と大きな声で鳴いた。俺は思わず腹を押さえた。女の子と目が合うと、彼女は吹き出した。
「アッハッハ! お腹が空いてるのは、ホントなんだあ」
 俺は気まずくなり、その場を離れようとした。
「待ちなよ、兄さん。働くってあんた、何ができんの?」
「何でもやります」
「ふうん……ちょっとこっちに来な。ここ。しゃがんで」
 俺は言われるままに、店の中に入ると、カウンターの裏にしゃがんだ。女の子は鍋の中身を器によそい、俺に差し出した。
「隠れて食べて。ナイショだからね」
 俺は猛然と、器の中身をかきこんだ。シチューっぽい食感。食べたことのない味だけど、気にしちゃいられない。

 女の子は立ち上がり、鍋をかき混ぜながら、俺を振り返った。
「あんた名前は?」
 俺はシチューを頬張りながら考えたが、記憶は戻ってこない。
「わからない」
「うそお、自分の名前がわからないの!?」
「記憶が無いんです」
 女の子は胡散臭そうに俺をまじまじと見た。
「……じゃあ“ちゅんちゅん”って呼ぶ」
「は?」
「腹ペコって意味」
「…………」

──もうちょっと何とかなんないのかな。

 俺は喉まで出かかった言葉を、シチューと一緒に飲み込んだ。





(完)



※ネムキリスペクト。今回のお題は……「それだけはやめておけ」です!

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