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フルトヴェングラー1951年バイロイトの“第9”

古今のあらゆるクラシック音楽の中でこれほど有名な楽曲は他になく、ベートーヴェンが独自に発展させてきた交響曲の集大成であり、終楽章に声楽を導入した画期的な独創性もさることながら、世間のあらゆる暗黒面に対するまさに万能の対抗力を発揮するその崇高な理念を正面から謳い上げることで、単なるクラシック音楽の領域を超えて、その威光は人類が存続する限り、永久に光を保ち続けるであろう格別の楽曲として、その存在は唯一無二といってよいと思います。

そうしたわけで、この特別の機会に第9について何か書くとすれば、やはりこの話題以外にない、と思います。
この演奏を巡る顛末をそもそもどこから書いたらよいのか、なかなか難しいところですが、第9を語るうえで避けて通れないのがフルトヴェングラーの“バイロイトの第9”

そもそも、フルトヴェングラーはバイロイトで1951年と1954年の2回演奏しており、普通“フルヴェンのバイロイト”といえば、51年の演奏を指すと考えて差し支えないでしょう。
私より1世代以上前の古より、ベートーヴェンの第9の録音といえば、その筆頭に挙げられる“世紀の名演”とされてきた、ということもありますが、2007年になって同じバイロイトの第9でも異なる音源が発見され、ライヴ一発録りとされてきた既存の音源との真贋論争に発展したのでした。

ワーグナー自ら創設したバイロイト音楽祭は、戦前・戦時中にワーグナーの息子の嫁にあたるヴィニフレート・ワーグナーがナチスに傾斜し、ナチスのプロパガンダの一翼を担ったため、戦後非ナチ化措置によりヴィニフレートの関与が禁止され、それを親族が引継いで復活した最初の開催が1951年に当たります。
そこでのオープニングとして同じく非ナチ化の禊を済ませたフルトヴェングラーが第9を演奏する、というこの曲に相応しい特別の機会として大きな意義がありました。

演奏の模様はEMIの録音プロデューサー、ウォルター・レッグが録音に当たり、バイエルン放送を通じて生中継されましたが、フルトヴェングラーはベートーヴェンの交響曲全集を完結しないまま1954年に亡くなり、このときの録音がレコードとして1955年に発売された。
聴衆の盛大な咳などの会場ノイズ、終楽章エンディングでの熱狂的というより最早破壊的なアッチェレランドなど、いかにもライヴらしい白熱した演奏が正規スタジオ録音らしからぬ“一期一会感”を漂わせて、なるほどこれが世紀の名演のひとつとされるのは当然、と感じられたのでした。
あまりのすさまじさにこれは日常的に聴く演奏というよりも、なにか特別のイベントの際に聴くべき演奏という気がしました。

またこの録音は1962年になって“足音入り”なるLPが発売。

聴衆の拍手の後に盛大な足音で会場入りした指揮者が小声で何事かささやき、その後演奏に入る、というもの。
まるで“サラサーテのツィゴイネルワイゼン”のようですが、やはり何を言っているのかは分からない。

ところが、2007年になって、日本のフルトヴェングラー協会が会員向けにその“別音源”とされるものを頒布し、2008年にはオルフェオによって一般向けにCDが発売されたのでした。

このときの衝撃は今思い返してもすさまじく、オルフェオ盤が発売されると、すぐさま購入しました。
比較すると、両者は1-3楽章では演奏スタイルにそれほど大きな違いはないものの微妙に異なる録音で、終楽章では歌唱の入り部分などに明確な違いがあるほか終結部のアッチェレランドもEMI盤と比較すると僅かに控え目で、アンサンブルの崩壊もEMI盤のような壊滅的状況に陥っていない。
そこでその後に起きたのは果たして本当の当日のライヴの音源はどっちなのか?という問題。
当然のことながらこの一期一会の演奏会の演奏記録として普通であれば音源が2種あるというのは、どちらかが別の機会の音源である可能性があるわけです。
放送はもちろん本番一回のみですが、録音は前日のゲネプロから行っており、どちらかがゲネプロの演奏またはその混在ではないか、との話でした。
これもその音源の出処が明らかにならない限り、真正の本番の録音はこれだ、という断定をすることはできないわけで、その謎は解決するとは思えない状況にありました。

ところが、2021年になり、この論争に決着をつける“決定的証拠”が見つかったのでした。
それがBISから発売された“スウェーデン放送協会放送音源”

これは当日放送されたそのまの音源がアナウンスを含めて全て収録されており、これぞまさに当日演奏された真正のドキュメントといえる決定的証拠なのでした。
果たしてその内容はというと、オルフェオ盤と同じものでした。
オルフェオ盤はノイズの除去やバランスの調整など聴きやすいように静音が行われていましたが、こちらのスウェーデン放送音源はまったくの無調整でそのまま収録されているとのこと。
ノイズの海に埋もれて聴き取りにくい箇所もありますが、ようやくこの問題に決定的な結論が出たことの意義は非常に大きいと思います。

この音源には指揮者の入場前からの会場ノイズがそのまま入っていますが、驚いたことに件の“足音”がまったく入っていない。
となると、EMIの“足音”とはいったい誰の、いつの足音と話し声なのか?という問題が生起します。
まったくもってどうでもいい話ではありますが、それがゲネプロの際のものなのか、あるいはどこかから拝借してきた別の“巨匠”の足音なのか、そういう時代と言ってしまえばそれまでですが、これでひと稼ぎしたであろうEMIの商魂逞しさに今さらながら驚きを禁じ得ません。

はじめてEMI盤を聴いてから数十年の歳月を経て、このように謎とされたものがはっきりすることは画期的といえますが、それぞれの録音を聴いてみると、この演奏を巡る問題の本質的な部分が見えてくるのです。

この“フルトヴェングラーの第9”にはバイロイト再開の記念碑的演奏会の記録、という側面と“フルトヴェングラーによる超絶的名演”というもう一つの側面が混在しているのですが、当日の真正な記録については明白な答えが出たものの、では演奏の質というか内容というか、果たしてどれが“名盤”といえるのか?という問題はまた別のところにあるのです。

4楽章に限っても、アンサンブルの崩壊といった面から言えば、ゲネプロよりも本番の方がより完成度は高い(というか小規模の崩壊に留まっている)のですが、何か有無を言わさずに突き進む突破力という点で、プロフェッショナルな仕事といったものを突き抜けたところにあるEMI盤のすさまじさはちょっと他に比肩するものがない。
これがゲネプロで崩壊を招いたので指揮者が手綱を引いてやや安全運転をしたともいえるわけですが、フルトヴェングラーとしては終結部をあのテンポで閉じたかったのではないか?という気がするのです。
成功か失敗か、というところ抜きで考えるなら、ゲネプロのあの破滅的テンポこそ、フルトヴェングラーの真意に近いものだったかもしれない。
足音入りは論外としても、EMIの録音はライヴとしての制約がありながらもオルフェオやBISの放送用音源よりはノイズも圧倒的に少なく、バランスなども明らかに聴きやすい調整がなされており、商業用録音としては明らかに一段上を行く仕上がり。

これまで“バイロイトの第9”には“バイロイト再開の記念碑的演奏会の記録”だから“フルトヴェングラーによる超絶的名演”が生まれた、というセットとして考えられてきた部分も多かったはずですが、それが切り離されてみると、EMI(=レッグ)による恣意的(悪意あってのものではない)編集による良いとこ取りの編集盤と、当日の真正の記録の二つにそれぞれの価値がある、ともいえるかと思います。

バイロイトに限らず、フルトヴェングラーの第9はみなライヴとはいえ10指に超える演奏がCD化され、そのうち6点ほどは聴いていますが、その演奏スタイルは基本的にどれもいかにもフルトヴェングラーらしさの現れた独自のスタイルに貫かれています。
そのなかでどれが一番素晴らしいか、を決めるのはある意味でナンセンスというか、その時々、録音の雰囲気などによって選択していけばよいのだと思います。

翻って、第9の初演から200年が経ち、1951年のバイロイトからも70年以上が経過して世界は再び混沌と不寛容な時代に突入しつつある。
今更書くまでもないことですが、シラーとベートーヴェンの掲げる理想とはますます乖離しつつある世の中にあって、第9が200年の記念的区切りを迎えることに、ある種の絶望と悲しみを実感せざるを得ません。
この機会にこの曲の掲げる理想を改めて噛み締めることで、僅かばかりでもその神通力が復活することを願ってやみません。

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