表のカードの見せ合いをコミュニケーションと呼称する
どもどもまたもやしゃーくです
ではドゾー
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中学1年の頃俺は初めて腹パンを受けました
腹パンしてきた彼は「ごめん!」って言いながら保健室に連れて行ってくれました
俺は作り笑顔で彼に言います
「大丈夫だよ」
言葉には必ず裏面があります
それは、本人にしか見えない裏面
俺の表面が「大丈夫だよ」だとするのなら
俺の裏面は「痛いよ、やめて」だと思います
人には総じて、"言葉のトランプ"があります色んなカードを持ち、その時々に応じて自分にとって最適なカードを選ぶ
それを皆は、「コミュニケーション」と言います
皆、人の裏の言葉なんか分かりません
だから普通の人は、時々何処かで裏の言葉を誰かに見せなければ行けません
そうしないと、潰れてしまうからです
だけど、感覚が麻痺してきた人は
自分の言葉の裏のカードを見るのではなく
人の顔ばかり伺うようになります
そうして行くうちに、その裏の言葉、つまり自分の思いが分からなくなっていきそして自分の思いに盲目になっていきます
裏のカードは、自分を回復させる為の大事な物です
それが盲目になると、いつか自分が見えなくなり
作り笑顔と人の顔色を伺うのが得意になっていきます
自分の意見を持たず、人の顔色ばかり伺う
それは本当に人間なのでしょうか
それはただの、思考を停止させたロボットと同義ではないでしょうか
貴方は、裏のカードに気付けていますか?
人の顔色を伺う前に、その裏のカードを見てみてはいかがでしょうか
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