一穂ミチ著『光のとこにいてね』における最高に素敵な愛の告白と、いつだって今が最大のチャンスであること

「そう。嬉しかったの。何かができるようになるっていう喜びを見せてもらったのは、自分にも何かができるんだって教えてもらったのは、私の方だったの。人から見ればちっぽけなことだったとしても、私にとっては大切な――」

『光のとこにいてね』(作:一穂ミチ 文藝春秋発行)161ページ

何て素敵な愛の告白なんだろう。だってそれはあなたのおかげで私の人生は動き始めましたよって、初めて自分の意思と希望を持てましたよって、あの感動は一生の思い出として心に刻まれましたよって、つまりそういうことでしょう。その言葉には、彼女たちの空白の14年間を一瞬で越えるだけの力があったに違いない。

私に読んでよかったと心の底から思わせる台詞が、一穂ミチ氏の作品にはある。その胸に満ちる波のような快感が欲しくて、私は彼女の作品に手を伸ばすのだ。

子供って、ほとんど自分の家のことしか知らない。親のこと、家の間取りや毎日のメニュー、生活習慣とルール、そういった世界の構成要素は他の家も同じだと思って疑わない。

医者の父と潔癖症の母の間に生まれ、大きな一戸建てに住む結珠(ゆず)と、寂れた団地で自然派思想に被れた母と2人暮らしの果遠(かのん)。本来なら出会うはずのない2人は、お互いの何もかもが理解できなくて、全てが新鮮でキラキラしてた。

結珠と果遠の育ちの違いによる嚙み合わなさは、大人の目線だとものすごくリアルに刺さる。でも幼い2人にとっては、理解できない相手をただ不快には思わなかった。結珠は迷いなく行動できて他人の目を恐れない果遠の真っすぐさを、果遠はいろんなことを知っていて素敵なものだけで作られたような結珠の育ちの良さを、お互いまぶしく感じていたのだ。それは子供の純粋さのせいというより、2人ともが自分の境遇を、いつも心のどこかでは疎んじていたせいなのだろうけど。

結珠と果遠は、主に母親によってすべての選択を制限されているという点においてとても似通っていた。だからこそお互いの生き方が自分を自由にしてくれるようで、今とは違う世界に連れて行ってくれるようで、強く惹かれあったのだ。そんな2人の秘密の時間は、やはり母親の一存によって突然終わりを迎える。

7歳と15歳の2度。結珠と果遠が共有した時間はほんのわずかである。その2度とも2人とも、自分の気持ちを整理して相手に伝えるだけの力はない。あるいはそれを自分に許さない。7歳では子供すぎて、共有した時間は嵐か幻のようだったし、最後にはお互い何の申し送りも約束もできなかった。2度目、15歳で再会したときはお互いに住む世界が違うことを充分に理解していて、“普通の女子高生”としてふるまうことが最重要だったから。

このときも母親の行為が、図らずも結珠の行動を制止する。結珠が果遠と出会った団地の別の1室で、母親が知らない男としていたこと。15歳となった結珠には、状況から良からぬ事情を推測できるくらいの見識はある。その推測と結びつく果遠との思い出は、既に結珠にとってきれいなだけのものではなかった。2人の出会いのことを、育ちのいい同級生たちに知られることはどうしても避けたかったのである。そして果遠も結珠の心中を察するくらいには世間を理解していた。

大人になるにつれ行動の自由は広がっていく一方で、何故人は自分で自分に枷をかけてしまうのか。生きることは積み重ねであり、その積み重ねたものを失うのが怖いからだろうか。また何故、これから先は今よりも全てを捨てるリスクが高くなるとは思わないのか。

きっとこれは、そういう話なのだと思う。いつでも今が最大のチャンスなのに、思い切るなら今しかないのに。それに気づくのは、本当に自分の一存では捨てられないものを持ってからなのだ。結珠と果遠もそうだった。彼女たちの2度目の再会、29歳のとき。きれいで痛みを伴う記憶が胸いっぱいによみがえる中、ようやく結珠は自分の果遠への気持ちを、整然とかつ瑞々しく言葉にすることができる。それが、冒頭の台詞である。

『光のとこにいてね』はありていに言えば百合小説なのだが、2人が簡単に結ばれる(という言葉が彼女たちにとって具体的にどういうことを指すのかわからないが)ことができないのは、同性同士だからではない。「女だから」は理由のひとつではあるかもしれない。しかし要因ではない。

親の制限を離れても、自分の選択で得ていく積み重ねが人生に制限をかけうる。自分の選択の結果だからこそ、人生のどのタイミングでもそう簡単には捨てられない。仮に今、目の前にいる特別中の特別の人のためであったとしても。しかし、いつだって今が最大のチャンスなのだ。自分にとって特別なもの、大事なものにちゃんと気付いて、さあ、あなたは走り出せるだろうか。

そういうラストだと、私は思っている。

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