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「匂いたつ夕暮れ」

わたしは昔、その場所に提灯職人の店があったことを思い出して、少し先まで足を伸ばしてみた
雨の日はどうしていたか記憶にはなかったが、いつも店の軒先に、家紋らしき文様が描かれた長い提灯がぶら下がっていた
仏具を売る店はいくつか他所にもあったが、実際提灯を作り続けている店はそこだけだと、幼いわたしにもわかっていた

「ほ、まだある。跡継ぎがいたのか」

わたしは日本の伝統が受け継がれていたことに、感動を覚えた

もうじき日が暮れる
この提灯屋に蝋燭の灯がともるのを見てみたい気がした
今は蝋燭ではなく、電気で点くようにきっと細くて黒いコードが下に垂れているはず
ちら、と見てみたがそんな線は見当たらない
戸は左右に寄せられていて、硝子ごしに覗いてみた
硝子は後からつけられたようで、昔の建家のように黒い板壁、中は土間が広くなっていて、そこが客との掛け合いをするのか、様々な吊り提灯が下げられている
高くなった所が畳敷きで、入ってみるとこちらから少し隠れるように、畳の所に間仕切りが置かれている
奥で提灯を作っているのだろうか

「ごめんください」

声をかけた

「あのー、ごめんくださーい」

わたしはどうしてもここで用件を済ませたくて、しぃんとしていたが、引き下がらなかった

「すみませーん、誰かいませんかあー」

ガタガタと奥で戸が開けられる音がして
麻のような地味な短い暖簾が揺れた
手で暖簾をからげて出て来たのは、意外にも若い女性だった
若い娘に一瞬見えただけで、実際は三十程だろうか
それでもこんな陽の当たらないような、黒塗りの板壁一枚の家には珍しい

「はい、どちらさん?お客さん?」
「あ、はい。すみません。にゅうぼんなもんで、今のうちに頼んでおきたくて」
「あらそれは大変なー、お客さんの?」
「あ、ええ、父なんです。ちょうど盆の頃が誕生日だったんだけど、自分の新盆になっちゃって」
「あら」
「このお店まだあったんだー。懐かしいなあ。あなたが跡を継いだの?」
「ええ、いま奥で絵入れをしていたんです」
「へえ、僕には無理だなあ。絵心ないし、和紙に描くのは緊張して絶対失敗する」
「いまは売るのに必死。デザインもしますし、インテリアや飾りとしても、いろいろな素材を使います。木工や布貼りでも新しいのに挑戦してまよ。お部屋にも照明に一ついかがですか?」
「商売上手だね~」
「ふふふ、お客さんこのへんの生まれなのね。昔から知っている人みたいに、気取らないで自然に話せてしまうわ。提灯はなにがお要りよう?一式かしら?それともお宅にもう何か揃っていまして?」

こっちへどうぞ、と彼女が座布団を勧める
「えっと、物置き見たら迎え灯籠の脚が少し折れてて・・補強じゃ駄目だよね。それはいいんだけど、回転提灯の頭の金色の飾りって言うの?あれが一個割れてて、倒れて壊れたのかなあ。へこんでたな。左右一組だから、回転提灯を揃いでお願いしようかな」
「はい、毎度ありがとうございます」

彼女は笑って、お茶飲んで行って下さいと、奥に引っ込んだ
わたしはちょっとそわそわしてきて、座布団の裾を引っ張ったり、奥を気にしたり、店の土間辺りや天井を眺めたりした

外がちょうど暗くなって来ている
お茶なんてよばれていたら、夜になってしまう。女性が一人の店にまずくないか?
それにこんなことを気にするのも、彼女の暮らしからしたら妙な勘繰り?ではないか
わたしが子供の頃から若い時に田舎を出るまで、婆さんが一人でやっている店は結構あったし、いつも茶飲みの常連客がいた
急に店の外がボウッと赤く、明るくなったのであれっと思ったが、間もなく彼女がお盆に皿を乗せて運んで来たので、そのまま忘れてしまった

「良かったら晩御飯に、おにぎりと漬物。食べて行ってね。これからもどうぞ御贔屓に」
「え、いいのかな。ご馳走様です」
なんだろう?この展開・・期待するよな
彼女もお茶を飲みながら、カタログや希望なんかを聞いて用意してくれる
海苔をまいた白むすびに、紫蘇胡瓜の漬物
しじみの昆布煮
あやめの練りきりもあって、彼女もそれは食べた

「ねぇ、外の提灯に灯りを入れた?」

彼女が昆布茶を淹れてくれたので、それを受け取る時に聞いてみた

「ええ、さっき裏から表に回って蝋燭を立てて来たの」
「へえ、ほんと。綺麗だろなあ、神秘的で」
「帰る時に見ていって下さいな」
「でも蝋燭じゃ、怖くないかい?風に揺られて倒れて燃えたりしたら。いたずらで火を点ける酔っぱらいや不良いたら、怖くないの?電気式だったら、無用心だと盗んで行っちゃうだろ?」
「ちゃんと夜の九時前にはしまうわ。雨や風の日は出さないし」
彼女は急に沈んだ顔をして、わたしのほうを見なくなった
「どうかした?なにか悪いこと言ったかな」
「帰る前に奥の絵付けも見てもらえますか?」
「あ、はい」

わたしは帰るタイミングの糸口を見つけて、立ちあがり彼女についていった
そこはちょっとしたアトリエと言うか、ギャラリーのようだった

「わあ、さすが女の人だね。とてもセンスがいい」

製作する一画にはパーティションが天井から掛けられるようになっている
足が痛くなるからさすがに畳敷きにしたそうだ
「ここは本当にお店と工房なんだね。家はここじゃないんだ」
「あら、ここよ」
彼女は笑って隅のほうの天井のつまみを引っ張った
昇降式の階段が出て来て、わたしは心底びっくりしてしまった
「なんだこれ、すごいじゃないか!」
「覗いてみる?」
彼女は芸術作品を見せたくてたまらないかのように、わたしの背中を押して、階段をのぼらせる
「失礼しま~す・・わっ、これ以上見たら犯罪だよ。素敵だね。やっぱりクリエイターさんの頭の中はすごい。なんでも形に出来てしまうんだね」

わたしは彼女の寝室を覗いて(覗かせてくれたのか)嬉しかったし、興奮した
男はこんな屋根裏の隠れ家のような部屋に憧れる
階段を降りようとして、彼女に後ろから抱きつかれる

「えっ、危ないよ。階段低いけど、危ないから離してくれよ。どうしたの、君」
「君じゃないわ、わたし。君なんて知らない人に言うみたいに、言わないで。提灯の火が消えたら真っ暗で向こうから先は怖いの。ここに一緒にいて」

ここは昔で言うなら引き込み宿とか言うのだろうか
今なら民泊と言うのが流行っていたが、謎(?)の伝染病が猛威を振るう中、県跨ぎのわたしが彼女にまたがり、濃厚接触などして良いのだろうか
いや、死んだ親父が取り持つ仲かもしれない
こんな時、バカな光源氏の君などは、ええいままよ、と押し倒してしまうに違いない


明くる日、わたしは実家に戻った
叔父がわたしを探していた
「おまえ~、連絡いれろよ~。電話もでねぇで」
「ごめん、充電切れてた」
「それじゃ電話もでんわな」
「は?なに、おっちゃん。いまのダジャレ?」
「んでなにやってたんだ」
「んー、野暮用。昔の同期生とかと。あ、そうだおっちゃん。俺、切里行く途中に提灯屋があったじゃん?あそこでとーちゃんに回転提灯頼んで来たから」
「あ~?きりざと行く裏道のか~?あそこはお前が東京に行った後、放火されて燃えちまったぞー」
「えッ!!でも店まだやっているだろ!?提灯吊り上げてたよ!?女の人いたもん!」
「あ~、孫娘ッ子かあ~?焼死したって聞いたけどなあ~。おまえ、夢でも見たんか。キツネにでも化かされたんか~」
「なにもうろくしてんだよ~!俺喋ったの、その子と!それに・・あーもういいよ、後で提灯貰いに行って確かめてくるから!」

そしてわたしは一体何を確かめに行くのだろうと考えていた
わたしはまだ、あの吊り提灯に彼女が蝋燭の灯をともすのを見ていない
あの匂いたつような夕暮れの、幻想的な提灯の灯りの光景を、見たかった
願うなら今年の盆も、彼女とあの店の前で


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