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知的生産の技術の体系化に向けて その4/ノート運用Q&A

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/09/27 第572号

○「はじめに」

新しい連載がスタートしました。

◇第一回:情報整理とはなんぞや|倉下忠憲|note

◇第1回:終わりなき情報整理を巡る旅のプロローグ|beck1240|note

倉下と北真也さんによる共同連載です。お互いに、好き勝手に、書いていくというコンセプトの連載で、これまでも二つ同じような試みに取り組んでいます。

◇『Re:vison』(仮)|倉下忠憲|note

◇読書と日記の話(仮)|倉下忠憲|note

今回は、「情報整理」をテーマにお送りしたいと思います。

〜〜〜ポッドキャスト〜〜〜

ポッドキャスト配信されております。

◇第八十四回:Tak.さんと最近のアウトライナーについて うちあわせCast

◇BC021 『幸せをお金で買う5つの授業』 - by goryugo - ブックカタリスト

よろしければお聴きください。

〜〜〜PDF作成〜〜〜

ひさびさにがっつりPDFファイルを作成しました。本号の二つ目の記事にそのPDFが添付されています。

で、そのPDFファイルは、VS Codeで作成しました。もう少し言うと、VS Codeの「Markdown PDF」という拡張機能で作りました。これが便利なのです。

マークダウン形式で原稿を書いておくと、ちょちょいとPDFが作れます。マークダウン→HTMLを経由して、そこからPDFファイルを作るので、CSSでデザイン指定もできます。感覚的にはepubをいじっているのとほとんど代わりありません。でもって、テキストエディタだけで作業が完結させられます。実に手軽です。

これまでは、Macのアプリケーション「Pages」を使ってPDFファイルを作っていたのですが、これからは「Markdown PDF」にがんばってもらおうと思います。

でもって、似たような「電子冊子 by PDF」をこれからちょこちょこ作っていこうかと考えています。

〜〜〜Scrapbox体験〜〜〜

私は基本的にどういうノートを使ってもよい、その選択は個人の自由であると考えているのですが、もしScrapboxを使うなら二つの点を意識されるとよいでしょう。

・private だけでなくpublic なプロジェクトを作ってみる
・可能なら複数人のプロジェクトにも参加してみる

この二つです。これをやってみると、それまで自分が考えていた「情報整理」とか「知的生産」という行為の観点がきっと変わってきます。というか、そのような形でしか──個人に閉じがちな──そうした行為の観点は変わってこないでしょう。

でもって、そのような観点が変わると、自分ひとりで行う情報整理や知的生産活動もきっと色合いが変わってきます。そういう体験は、ほんとうに素晴らしいものです。

〜〜〜『s-nobbism』〜〜〜

コンビニの雑誌の棚には、ファッションとかDIYとか整理整頓とかの雑誌が並んでいるので、ぜひともそこに「書斎の作り方」とか「蔵書の処分法」とか「頼まれ原稿のこなし方」のような特集が毎号組まれる雑誌も加えてもらいたいものです。

タイトルは『s-nobbism』などが、それっぽいかもしれません。

そういう雑誌が発売されたら、毎週喜んで買います。たぶん私と似たような人って、結構いるんじゃないかとにらんでいます。

〜〜〜自分についてわかっていくことが増える〜〜〜

『すべてはノートからはじまる』の最後で、セルフ・スタディーズという考え方を提出しました。自分が自分についての理解を深めていくこと。それがセルフ・スタディーズです。

日常的にノートを書きつけ、それをたまに読み返すと、たしかに自分についてわかることが増えます。言い換えれば、それまでの自分が「自分について理解していなかったこと」を体験するのです。

そのような体験には、二つの効能があります。一つは、自分についての知識が増えること。もう一つは、自分が自分のことを理解できていない、というメタな知識(認知)が得られることです。

どちらを得ても、おそらく「自信」はつきません。というか、オールラウンドな「自信」はつきません。でも、上記の二つの理解は、自分が踏み出す足の一歩の「たしかさ」を増やしてくれます。これはできる、これはできないがまだできないだけかもしれない、といったような。

たぶん、それだけがあれば十分で、それ以上は望みすぎなのだと、個人的には思います。絶対の自信など、基本的には銀の弾です。

〜〜〜少し立ち止まる〜〜〜

何かしらの文章を読んでいて、「はて、これはおかしいな?」と思ったら、そこから自説を展開するのではなく、その前に「もしかしたら、読めていないのは自分かもしれない」と思うようにすると、勘違いは減ります。多くの場合、自分が文章の文脈を読めていないから「おかしい」と感じてしまっているからです。

とは言え、なかなかそのようには思えないものです。「おかしい」と感じた瞬間に、その「おかしさ」を正当化するための"理屈"が頭の中にわさっと湧いてくるからです。

よって、お守りとか呪文のように何度も繰り返して、脳に刻印しておく必要があるのでしょう。「はたして、読めていないのはどちらなのだろうか」と。

〜〜〜iPadで日本語Scribble〜〜〜

iPadのOSを15にアップデートしました。15では、なんと日本語でScribbleができます。

Scribbleとは何か?

◇iPadでスクリブルを使ってテキストを入力する - Apple サポート

たとえばiPadで何かテキストを入力するフィールドをタップすると、下からシュッとソフトウェアキーボードが立ち上がります。通常ならそのキーボードでテキストを入力するのですが、そのままの状態でApple Pencilで画面に文字を書き込むと、あ〜ら不思議、その手書き文字が認識されて、テキストとして画面に打ち込まれるのです。

つまり、Apple Pencilで「あ」と書いたら、テキストフィールドに「あ」とテキストで入力される、ということです。もちろん、ひらがなだけでなくカタカナでも漢字でも認識してくれます。でもって、この認識の精度が高いのです。十分に実用レベルの精度と速度です。

その機能を使って、WorkFlowyに「手書き」で項目を書き込んでみました。実に不思議な体験です。付箋に書き込んでいるようでいて、しかしその実体はアウトライナー。

その感覚は、不思議ではありながらも、不自然ではありません。むしろ、手で項目を直接操作できるのだから、手で項目を直接書き込めるのは自然な感覚があります。

たぶんこのScribbleによって、「タブレットでアウトライナーを使う」という別種の体験が立ち上がるのでしょう。それはそれで新しい技法を必要とするのかもしれません。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 「情報整理」って何なのでしょうか。もし別の言葉で言い換えるとしたら、どんな言葉がふさわしいでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、「知的生産の技術の体系化に向けて」の最終回として全体のまとめをお送りします。加えて、以前開催したオンラインイベントで頂いた質問の回答をテキストでまとめてあります。

○「知的生産の技術の体系化に向けて その4」

ここまで、「知的生産の技術の体系化」についてさまざまに思索を進めてきた。正直、スタート時点で想定してたのとはまったく違った場所に枝が伸びてしまった感がいなめないが、それが思索を進めることの面白さでもある。

今回は、そうした思索の結果をまとめてみよう。具体的には、どのような「プロジェクト」に取りかかることになるのかを整理してみる。今後の活動の指針になってくれるだろう。

■集合知の集合地

まず、「知的生産の技術」の網羅的なまとめについては、Scrapboxで集めていくことにしよう。以下のプロジェクトが既に存在している。

◇知的生産の技術

ここに「知的生産の技術」を、つまり、現時点においてそのカテゴリーに分類できるノウハウを収集していく。

その収集においては、「知的生産の技術」の細かい定義や、新しい言い換えなどは考慮しない。「知的生産の技術」のことに多少なりとも興味関心を持っている人が、「これって知的生産の技術ですよね」と思えるものならなんでも対象にする。

幸いなことに、Scrapboxというツールはそのような非カテゴリ的収集が非常にやりやすいツールである。カテゴリーを気にせずページを作っていけるし、必要に応じてインデックス(ないしはTOC)を作ることでコンテンツをまとめることもできる。「知的生産の技術」の定義を問い詰めないで進めるには最適なツールだと言える。その良さを最大限に発揮させるとしよう。

ノウハウがたくさん集まってくればそこに類似性(パターン)を見てとることも可能だろうし、そうしたパターンをさらにパターン化することで、中分類・大分類のようなものも立ち上がっていくかもしれない。ボトムアップのアプローチだ。

まずは、そうした「下から」の収集を進めていくのがよいだろう。ちなみにこのプロジェクトは参加リンクを以下のページに掲載してあるので、ご興味ある方はぜひ参加して欲しい。

◇このプロジェクトについて - 知的生産の技術

ある程度数が集まったら、スナップショット的に「知的生産の技術大全」のようなコンテンツを編纂してもいいだろう。そのコンテンツは、純粋に「知的生産の技術」に興味がある人向けのノウハウ・カタログになるだろう。かなりニッチなものになるはずだが、そういうものがあっても面白いとは思う。

逆に言えば、それは「カタログ」なので、著者が考える知的生産のフレームワークを提示することはしない。それは別のプロジェクトの仕事となる。

■「知的生産」の手引き書

上記のような全体網羅的なものではなく、読んだ人がはじめて知的生産をスタートさせられるだけのミニマムな情報を選りすぐったコンテンツがあってもよいだろう。「今日から始める知的生産スターターキット」というわけだ。

ここではじめて「知的生産」という言葉を使うかどうかの判断が必要になる。「知的生産者」という北極星に向かっていくことをエンハンスするのか、もっと現代的な状況に見合った言葉をセレクトするのか。難しい問題が待ちかまえている。

たとえばもっと具体的な行為のレイヤーで表現することが考えられるだろう。そもそも「知的生産」はかなり包括的な言葉なので──だからこそ適用範囲が広いわけだが──、イメージしにくい問題はずっとつきまとっている。それを、「文章を書く」とか「ブログを運営する」というレイヤーで表現してみることで、イメージしやすくするわけだ。

あるいは二つのアレンジで、「名もなき人が今日から知的生産を始めるためのガイドブック」などのように距離の近さと遠さの二つの言葉を混ぜる手もある。「ブログからはじめる知的生産」などもあるだろう。

この辺の判断は難しい。

しかし。

そう、しかしである。おおむねこのコンテンツで書こうとしていることはすでに輪郭線が見えている。メモの話、ノート(スクラップ)の話、検索の話、発信における心構えの話。そういうミニマムな話は、ミニマムであるがゆえに──いわば「あたり前」であるがゆえに──ひねりも必要なければ、大ぶろしきも必要ない。ニッパーやドライバーが入った小さな道具箱を読み手に送ればそれで役割達成である。

■他の手引き書

上記の話のアレンジだが、たとえば「ブログにおける記事の書き方」だとか「個人のノウハウ書の書き方」といったものも、ある種の手引き書を示してはどうか、というアイデアがある。

基本的に倉下は、そういうひな形、テンプレートの押し付けは大嫌いなわけだが、かといってそうした情報がまったく有用性を持たないわけではないことも理解している。ようするに、書き方・表現法が問題なのだろう。「こういう風に書きなさい」と上から押し付けるように提示されることが、根源的なレベルでの拒絶感を引き起こすのだ。

個人的には誰しもが自由に書けばいいと思うが、「自由に書きましょう」というのでは存外にそれは難しい行為となる。それよりも、一見矛盾する「自由に書くための手引き書」というものがあった方が、むしろ個人の創造性は発揮されるのではないかとも思う。

絶対的なルールや成功法というのではなく、あくまで一つの指針として提示する「手引き書」を作ることは、どうすればいいのか何もまったくわからない、という人に対して、その人らしい制作の後押しをしてくれるだろう。

これも仕事の一つとして考えておきたい。

(下につづく)

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