スクリーンショット_2019-07-08_11

【書評】『書くための名前のない技術 case 1  佐々木正悟さん』

「文章を書くこと」に関するインタビュー。

非常にスマートで、それでいて実際的な内容だ。

概要

大きく二部で構成される。「Part 1 佐々木正悟さんインタビュー」では、15年で60冊以上を執筆しているという佐々木正悟さんに著者がインタビューを臨む。軽快なトークでありながら、「そう、そこが気になる!」という読み手のツッコミを適切に代弁するような質問が心地よい。おそらく、この分野──つまり知的生産系──に興味がある人ほど、その心地よさは高いだろう。インタビュアー自身が文章の書き手であり、また切実にこの分野の知見を求めているからこそ、そうした質問が繰り出せるのだろう。

「Part 2 佐々木正悟さんの「書くための名前のない技術」」では、一転して著者がインタビューの内容を総括する。いや、総括という言葉はふさわしくないかもしれない。吟味、とここでは言っておこう。インタビュイーが語る、非常に属人性の高い技能を点検し、そこから何かしらの技術を引きだそうという試み。この技能から技術への変換が非常に興味深い。

そう。技能とは個人に宿るものであり、技術とは普遍化可能なものである。だからこそ、本書では「名前のない技術」をインタビューの形で求める。ある人が自然にやっていることであり、しかしそこにある普遍性に気がついていないかもしれない技能。それは当人が語る「技術」の文脈ではまず表に出てこない。他愛もないもの、意識されないものだからだ。そうしたものは俎上には載らない。しかし、それは語り(というよりも、対話)の中ではぽろりと溢れ落ちる。何かの話を受けて、「そういえば」という感触で俎上に載ってくる。著者は、それをうまくキャッチしている。

それだけではない。ある人が、自身の技能を技術として語るとき、そこでは(定義から言って)何かしらの一般化が行われる。「私はただこういうことをやっているだけです。あなたのことは知りません」というのでは、技術の本にはならない。しかし、その「技術の本」にするために、無理矢理な一般化が行われてしまうこともある。インタビューならばそれを避けられるわけだ。

そういう意味で、これはインタビューという対話で生まれた「原石」(part1)と、そこから何かしらの一般性を引き出そうとする著者の「読解」(part2)とも捉えられるだろう。この二つが分離していることで、読者は別の可能性を手にできる。つまり、「原石」から自分なりの「読解」を引き出す試みが可能となるわけだ。つまり、ここでは「原石」の相対化が行われている。

インタビューを読んだ後で、著者の読解(一般化)に同意してもいいし、否定して自分なりの読解にチャレンジしてもいい。書くための「名前のない技術」は、名前がないがゆえにいくらでも変貌する。無貌は、無限の顔を持ちうるのだ。

このことは、各々が「自分の方法」で知的生産を進めていく上で、非常な勇気を与えてくれるだろう。「正解」を求める必要はない。ただ、「自分の方法」を確立すればいいのである(といってもそれが難しいわけだが)。

さいごに

惜しむらくは、本書が「もっと読ませろ」という気持ちを強く感じさせることだろうか。ぜひともcase2以降も続刊していただき、それらをまとめた「完全版」を読ませていただきたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?