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メモシステムにおけるインデックス/知的生産の時間割り/企画案ノートを作る/残すもの、集める場 その1

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/07/06 第508号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

うちあわせCastの第三十七回が配信されております。

今進めている『僕らの生存戦略』からやり始めた、オンライン・レビューについていろいろ語りました。ちなみに、今年やり始めたことで「作業記録」と同じくらいにインパクトがあったことの一つです。

〜〜〜知的生産の技術の構成〜〜〜

何度になるのかわかりませんが、『知的生産の技術』を読み返していたら、「おぉ」と新たな発見がありました。本当に、いくらでも価値を見つけられる本だなと改めて感じたわけですが、たとえばこの「企画」が現代で出版されたらどうなっていたでしょうか。

おそらく、もっとスリムにまとめられていたことでしょう。たとえば、発見の手帳に関する「だらだら」した記述は削られ、

「発見の手帳の効果は、以下の三点にまとめられます」

のような、シンプルで読みやすい文章に仕立て上げられていたでしょう。そもそも、発見の手帳を説明したあと、「この手帳はもう使っていない」と書かれているので、「じゃあ、もうその辺はまるっと削除しちゃって、カードの話だけでいきましょう」となっていたかもしれません。

そのようにシンプルに切り刻まれた本からは、「汲み尽くせないほどの価値」を見つけ出すのは難しくなるでしょう。

改めてその視点で『知的生産の技術』の構成を見返してみると、全体としてはまとまりはあるものの、別段すっきりした構成になっているわけではないことに気がつきます。「流れる」ような話の順序立てではないのです。

しかし、梅棹さんの文章は独特の読みやすさを持っているので、結局ぐいぐいと引きつけられて、そのまま読み進めてしまいます。理解したのか、理解していないのかわからないままに、読書が進んでいくのです。

おそらくその点が、「何度読んでも新しい発見がある」という現象を支えているのでしょう。そこには「何度も読みうる」と「新しい発見がある」という二つの因子が重なっているのです。

でもってこのことは、自分の執筆の方針を確認する上でも大切だなと感じます。

〜〜〜目searchと検索〜〜〜

ふと思いついて、以下のつぶやきをツイートしました。

すると、以下のようなリプライが。

一瞬、「?」と思ったものの、ランダムな文字列がツイートされているわけではない以上、これは何かの意味を持った文章だと推測できます。そして、「五反田君」という引っかかるキーワード。村上春樹作品のにおいがぷんぷんしてきますね。

というわけで「五反田君 村上春樹」でググってみると、『ダンス・ダンス・ダンス』の登場人物だということがわかりました。

が、Googleでアクセスできたのはここまでです。そして、私は『ダンス・ダンス・ダンス』の単行本は持っているものの、電子書籍版は持っていないので文字列で検索ができません。

目searchです。

どう考えても「僕」と五反田君の会話シーンですから、五反田君が登場してからの話でしょう。よって、上巻の1/3あたりはすっ飛ばせます。そこから、「僕」と五反田君の会話シーンだけを高速で読み返していたら、下巻のp.176に該当する会話シーン(ただし、一部言葉は入れ替えられている)を発見しました。

もちろん、発見したからといって誰かから勲章をもらえるわけではないのですが、自己的には高い満足が得られました。

で、この話の教訓は「検索できるってやっぱり便利だよね」ということと共に、「目searchであっても、読み返すとまたいろいろ発見があるよね」という二重の含みがあります。どちらか片方が真実ではなく、どちらも真実なのです。

現代の知的生産は、そのことを忘れてはいけないと思います。

それにしても、大橋さんは何をトリガーにして、上の会話シーンを思い出したのでしょうね。気になります。

〜〜〜よむ、かく、かんがえる〜〜〜

大橋さんつながりでもう一つ。

上のページにある撮影された紙面を読んでいたら、「よむ、かく、かんがえる」という文字が目に飛び込んできました(赤線が引かれていることも影響しているでしょう)。

改めて言うまでもなく、当メルマガのテーマも『読む、書く、考えるの探究』であり、選択されている言葉だけでなく、並んでいる順番まで同じです。

知的生産について考えていくと、結局この三単語が選ばれて、その三つをリズム良く並べれば必然的にこの並びに落ち着くのか、それとも私が無意識に『知的生産の技術』のこの部分に影響を受けて、テーマを決めたのかは判然としませんが、それでも上の箇所を読んで、以下のような「新しい発見」をしました。

研究とは「読む、書く、考える」によって構成されるのであり、「読む、書く、考えるの探究」とはメタ的な構造である。

たぶん、私が『知的生産の技術』を読み返すたびに新しい発見をしているのは、読んでいない間にもずっと、知的生産についていろいろ考えているから、という理由もあるのでしょう。

〜〜〜壁紙効果〜〜〜

タイムラインで見かけた「Windowの壁紙を現実の部屋に見立てて、そこにアプリケーションファイルなどをインテリア的に配置する」というテクニックが気になって、自分のMacでも少しやってみました。

下にファイル名が表示されているのがファイルで、それ以外は壁紙の画像です。

企画案のファイルに関しては、レコードのジャケット風画像を自作して、それをアイコンとして適用しています(やり方は上のページから辿れます)。ちょっとカッコいいですよね。

で、カッコよさはさておくとしても、このように「自分で環境を作れる」ことって大切だなと感じました。やっぱりビフォーアフターを見比べてもぜんぜん違いますからね。

で、EvernoteやらWorkFlowyやらで情報を一元管理していると、こういう遊びから遠ざかってしまうのが残念ではあります。本来は、そのような情報運用システムと、パソコンのOSが綺麗に連携しているのが望ましいのでしょう。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

『21世紀の資本』でトマ・ピケティが示したのは、資本主義下では時間が経てば資本家と労働者の格差は広がってしまう、という単純な(それでいて残酷な)構造です。で、そうして生まれる格差は、単に経済的な自由の差をもたらすだけでなく、競争に囚われ、他者他の比較の中で不安を増長させるデメリットを持つ、ということが指摘されています。

三キーワードタイトルです。かっこいいです。副題通り、デリダの前期の思想がとう展開していったのかが論じられています。内容紹介の「理解がさらなる理解の余地を生み、謎への応答がさらなる謎を引き起こすような解釈の経験を論じ」がグッときますね。

吉成真由美さんは、NHK出版新書の『知の逆転』や『知の英断』、『人類の未来―AI、経済、民主主義』といった知識人へのインタビュー本の著者であり、本書も同様のコンセプトです。ダニエル・デネット、スティーブン・ピンカー、ノーム・チョムスキーなどの知識人がインタビューに答えています。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけですので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてください。

Q.研究って何でしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/07/06 第508号の目次
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○「メモシステムにおけるインデックス」 #知的生産の技術

○「知的生産の時間割り」 #知的生産エッセイ

○「企画案ノートを作る」 #セルパブ入門

○「残すもの、集める場 その1」 #やがて悲しきインターネット

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「メモシステムにおけるインデックス」 #知的生産の技術

前回は、メモとテーマ設定についてお話しました。大量に発生し、放置しておくと拡散していくメモたちをまとめるためには、自分なりの「テーマ」を設定するとよいというお話です。

今回は、そのお話の続きをしましょう。

議題は「メモシステムにインデックスは必要か?」です。

■アナログのインデックス

『知的生産の技術』には、「発見手帳」について以下のように書かれています。

 >>
 一冊をかきおえたところで、かならず索引をつくる。すでに、どのページにも標題がついているから、索引はなんでもなくできる。この作業は絶対に必要である。これによって、ばかばかしい「二重発見」をチェックすることもできるし、自分の発見、自分の知識を整理して、それぞれのあいだの相互関連をみつけることもできるのである。
 これをくりかえしているうちに、かりものでない自分自身の思想が、しだいに、自然とかたちをとってあらわれてくるものである。
 <<

書き終えた手帳(ノート)の索引づくりが提唱されています。

最初にここを読んだとき、デジタルにどっぷり浸かっていた私には、この索引づくりは「面倒そう」「時代遅れ」だと感じられました。デジタルツールなら、そんなことしなくてもいいじゃん、そもそも「一冊をかきおえる」ことなんてないじゃん、と考えていたのです。

同様に、奥野宣之さんの『情報は一冊のノートにまとめなさい』にもノートを最後のページまで書き終えたら、Excelなどの表計算ツールに索引を作れと指示されていました。本文で『知的生産の技術』に言及されていることを考えれば、梅棹システムの影響もあるのでしょう。私はこの指示も、時代遅れだと切り捨てていました。

真のデジタル時代にあって、私たちはようやく索引づくりという苦行から開放されたのだとし、索引づくりについては深く考えないままに、メモシステムを構築してきたのです。

■カード法とインデックス

そもそも、『知的生産の技術』の中盤から提示されるカード法は、ノートからカードへの移行として語られており、そのカード法では索引づくりをしましょうなどとは一言も触れられていません。

それもそうでしょう。

まず数千枚のカードの索引を作ること自体がそうとうな労力を必要とします。その上、そもそもカードボックスに並んでいるカードそのものは、一種の「インデックス」のようなものです。すでにインデックスがあるのに、多大な労力をかけて索引を作ることにどれだけの意義があるでしょうか。

同様に、ルーマンのカード法においても、全体のインデックス作りは提唱されていません。そうしたものを作らなくても、情報を扱えるのがカード法の最大の特徴なのです。

だったら、メモシステムにはインデックスは不要なのか。

そう結論づける前に、もう少しだけ考えてみましょう。

■インデックスとは

そもそも論から行きましょう。

インデックスとは何でしょうか。ウィキペディア「索引」には、以下の説明があります。

 >>
 索引(さくいん)とは、百科事典・学術書などの書籍や雑誌・新聞などの記事、統計、コンピュータのデータにおいて、特定の項目を素早く参照できるよう、見出し語を特定の配列に並べ、その所在をまとめたもの。(加えて凡例や相互参照、限定詞のあることもある。)コンピュータで用いられる際にはインデックス (index (pl. indice))と呼ばれることもある。
 <<

続いて「目次」をひきます。

 >>
 目次(もくじ、英: table of contents)は、書籍や論文などの比較的長い文書にある見出しをまとめて整理し、(書かれた順番に)書き並べたリストである。その文書の要約、索引の役割も果たす。
 <<

まず注目したいのが目次の役割の二重性です。

目次は、その文章のアウトライン(骨子)であり、言い換えればそれは「見出しの抜粋」でもあります。その抜粋を眺めれば、その文章がだいたい何を言わんとしているのかがわかるようになっています。

一方で、目次はその文章の索引でもあります。「見出しhogeについて書かれている場所はページxである」、という情報を示しているからです。

つまり、目次はtable of contentsでもあり、indexでもあるのです。

逆に(たいてい)巻末に記載される索引は、その文章の要約としては機能しませんが、より詳細な粒度で、──しかも本文の内容の順番とは無関係に──特定の要素について書かれた場所の位置を示してくれます。

このように考えた場合、カードのタイトルは「見出し」であり、それを順に配置したものは「目次」に近いものと言えます。そして、カードボックスの中に区切りを作り、その区切りに名前を与えると、それが「章」として機能することになります。

そのような構成のカードボックスのタイトルだけを順にぱらぱらと呼んでいけば、それは「目次」を読むのに等しくなり、わざわざ「目次」を自前で一から作る意味は極めて薄くなります。少なくとも労力には見合わないでしょう。

よって、この意味でのインデックスは──つまりはtable of contentsは──カードシステムでは必要ありません。着想を一枚一項目(タイトル+内容)として書き留めるメモシステムにおいてもそれは同様です。

しかし、それだけではインデックスのすべては解決していない点には注意が必要です。

■カードの中にある索引

目次(≒見出しの抜粋)ではなく、コンピュータのデータにおけるインデックス、つまり「特定の項目を素早く参照できるよう、見出し語を特定の配列に並べ、その所在をまとめたもの」としての、インデックスはどうでしょうか。

まず、カード同士の関連があります。

たとえば、以下の二つのカード(メモ)をご覧ください。

565
自分が知らなかったことを知ることの面白さは、基本的に際限がない。「知らなかったこと」は、「知らないこと」であり、それは認知が生きている限り無限に、しかし潜在的に存在しているからだ。
→Find the light、隠しブロックの学習

568
よい作品は現実へのまなざしを変える。作品を離れて現実がつまらなく感じるなら、たぶんまだそれに触れられていないのだろう。→[565]

最初のメモ(568番)には、565への言及があります。これは「関連する情報が565にある」を示すもので、「特定の項目を素早く参照できるように、その所在をまとめたもの」の機能の一端を担うものだと考えられます。

同様に、以下の二つのメモも関係を持っています。

595
個人の時間が有限であるように、個人の注意もまた有限である。その有限性から出発しなければならない。

595.a
時間・お金・注意の三つを管理すること。有限性からはじめて。

595番のメモからは見えませんが、595.aのメモは、そのナンバリングの記法からして、このメモのバックボーンになっているメモが595にあることが示されています。

どちらも、単体のカードから、別の単体へのカードへの関連性の記述(面倒なのでリンクと呼びましょう)があります。小さなインデックスです。

このやり方は、ルーマンのカード法でも活発に用いられています。カードのナンバリングしかり、関連するカードを意欲的に探し、その番号を記述することしかりです。

さらにルーマンは、そのやり方を拡張しています。

ルーマンは、カードボックス全体のインデックスは作っていませんが(人間に作れるとは思えませんが)、あるトピックをまとめたインデックスは作っていました。

たとえば、カードにいくつかのキーワードを列挙し、そのキーワードに関する「主要な」カードについての番号を記入していたのです。

この「主要な」とは、ネットワークにおけるハブや順列の起点になるようなものを意味します。言い換えれば、そのカードにたどり着けたら、他のカードへもたどり着けるようなカード、ということです。

さて、話が面白くなってきました。ここには再帰の構造が見えます。

・一枚のカードには内容があり、(別の内容を持つカード)へのリンクがある。
・そういうリンクネットワークを巡るためのメタカードもある。
・いくつかのメタカードをたどるためのメタ・メタカードもある。

このように再帰的にメタカードの階段を上っていけば、全体がどれほど大きくなっても、あるトピックに関するカードへのアクセスルートは確立されます。言い換えれば、一冊の本が持つ索引と同じ形の索引を作らなくても、カードシステムは機能するのです。

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