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ライフハックとは何か

ライフハックとは何だろうか。

もちろん、それを定義するのは難しい。ここまで意味が広がった言葉をいまさらまとめ上げようとするのは、困難を通り越して苦難である。

一方でこうも考えられる。アイデアとは、まず発散した後に収束させるのだと。だとすれば、これまでの意味の広がりは、アイデアの発散段階だったと捉えられるかもしれない。そうなると、次は収束である。

とは言え、一応Wikipediaは引いておこう。

LifeHack(ライフハック)は、情報処理業界を中心とした「仕事術」のことで、いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群である。ハッカー文化の一つ。

たしかにこれはライフハックを示すものではあるが、だからといってこの説明がコアをついているかというと、いささか怪しい。この説明に従えば、ライフハック=仕事術であり、仕事の話に限定されてしまう。それはLifeの名前を冠するものとして少々物足りない。

では、Wikipediaがあてにならないなら、なんとか自分で定義をこしらえようか、となってくるのがDIYerのマインドセットである。

もちろん、それは無謀な試みだ。しかし、誰かがそれを試みなければ、いつまでたってもその像は形を結ばない。「皆がそれぞれのライフハック観があっていいですよね」というのは平和主義的に心地よいものだが、そのような姿勢が意味の希薄化を招いたのだし、また、この分野が「次の一歩」に進めていない理由にもなってはいないだろうか。

だから、叩き台が必要だ。叩かれることを引き受ける言説が必要だ。けちょんけちょんにされながらも、議論を前に進めるための「何か」が必要なのだ。

たとえば、『ライフハック大全』の副題は「人生と仕事を変える小さな習慣」とある。このフレーズは、ライフハックを考える上でとても良いヒントを含んでいる。唯一気になるのは「習慣」である。ライフハックは、習慣なのだろうか。

おそらくは、そうでもあるし、そうでもない、みたいなややこしいことを言い出してしまうわけだが、それは「ライフ」という言葉の含意が関係している。

とりあえず、ライフハックは個々のテクニックであり、またその総称を指すとしよう。そこには、習慣も含まれるし、思考法も含まれる。でもって、思考法は習慣的に運用されてナンボだから、それを習慣的思考法とひとまとめにすることで扱いやすくしておく。

では、叩き台を提出しよう。

「人生(日常)に介入する小さな方法」

これが私が考えるライフハックの定義である。

まず、先ほども言及したが「ライフ」は、人生という意味でもあり、日常(生活)という意味でもある。もちろん、この二つはいわば高度の違いでしかなく、人生は日々で構成され、日々は人生の一部であるからして、同じものを別の高度で語っているにすぎない。しかし、日本語ではそのニュアンスを二つ持つ言葉はあまり見かけない。人生は、どうにも包括的な印象があるし、日々は、どうしても知に足がついた(であるがゆえに高度が高くない)印象がある。

なので、多少かっこ悪いのだが、人生(日常)という二重のニュアンスをストレートに表現しようと思う。

あるいはこれは「生活」でもいいかもしれない。多少高度は失われているが、それでも日常よりは少し高い位置にありそうだ。この辺はいくらでも叩きどころがあるだろう。

続いて、介入である。これが一番悩んだ。

ストレートに思い浮かぶのが「改善」である。もともとのライフハック(by Wikipedia)の意味に近いのはむしろこの「改善」であろう。

しかし、個人的にはあまりにこの言葉は、方向性を持ちすぎている。言い換えれば、生産性を高める方向を向きすぎている。結局その極限は、「仕事術」と同一化していくだろう。私が感じるライフハックという分野の雰囲気は、そこまで生産性拡大命、という感じではない。それが目指されることもあるが、それ以外のものもある。

だいたい、生産性を最大化することを最大の目的とするなど、資本主義に魂が染まり切ってしまっているではないか。その人生は、何かにけがされていないだろうか。ライフをハックするんだから、その価値観たる前提をあまり決めすぎない方がいい。だから、「改善」は退けた。

そのかわりに出てきたのが、介入だ。介入には、方向性が規定されていない。実行者が望む方向に進むこと。それが介入である。生産性を拡大させたいならそうすればいいし、そうでないなら別の方向に進んでも言い。そういう自由的な余地がこの言葉にはある。それにHackという語感にぴったりではないか。

というわけで、「人生(日常)に介入する」までができた。あとは簡単である。

まず『ライフハック大全』にあるように、ライフハックは「小さな」という形容詞が必要である。他の人のパソコンに潜り込むために、そのビルをまるまる一つ買収するのはハッキングとは言えない。同様に、人生を変えるために20万円のセミナーを受けるのもライフハックとは言えない。

ライフハックは、あくまでこぢんまりした介入である。大げさな、あるいは大規模なものではない。コストがかかりすぎるなどもってのほかである。よって「小さな」の椅子は何があっても動かない。ここを叩いて動かしてしまうと、それはもう別物になってしまう。

で、最後が「方法」だ。この方法には、「工夫」と「自分なりの」という意味が込められている。つまり、自分なりの小さな方法(with 工夫)、という感じなのだが、さすがにこれは長すぎるので省略して「方法」とした。

私個人の考えだが、工夫のない方法は方法とは言えないし、自分の方法以外は自分には使えないので、「方法」という言葉にはすでにこれらの意味が含意されている。

その含意があまりに一般的でないなら補足する必要はあるだろうが、むしろ私は「方法」というものが、画一的に押し付けら得るものではなく、自分の方法を自分で作っていくのが当たり前の社会になって欲しいので、頑張ってこの言葉を強弁していきたいように思う。

というわけで、再掲になるが以下の「定義」ができあがった。

「人生(日常)に介入する小さな方法」

もちろんこれだけでは何のこっちゃさっぱりである。むしろ、これは話の始まりにすぎない。この『ライフハック」にはどんなものが含まれるのか。

それについては次回考えていこう。

(つづく)

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