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すべてを「リスト化」しなくたって構わない

新春から面白いポッドキャストが聴けました。

タスク管理系の話題がわんさかで、一応そのテーマで本を書いている私としても、「ちょっとひとこと言わせてくれ」という気持ちがぎゅーんと高まってきたのですが、ここでは一つだけ書いておくことにします。

話の中で、「やりたいこと」みたいなのはGTD的には管理せずに、忘れたら忘れたでいいか、みたいな話があって、それってあんまりGTD的ではないかもしれなけど、という話題が出てきたんですが、むしろそれこそがGTD的ではないかと思う次第です。

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デビッド・アレンは『完全改訂版 ストレスフリーの整理術』の中でGTDのファーストステップを以下のように定めます。

1. 気になるすべてのことを「把握する」。

おわかりでしょうか。把握するものは「気になること」なのです。補足のために、別の箇所からも引用してみましょう。

"漏れ"なくすべてを把握していくためには、あなたがやるべきだと思っている大小様々なことを──プライベートでも仕事でも、緊急性のあることもそうでないことも、何かを変えなければならないと思っていることのすべて──を集めなくてはならない。

これを逆に読めば、「何かを変えなければならない」と思っていないことは、集める必要はない、となります。だから、ポッドキャストで出てきた話はまるっきりGTDに則しているのです。なんの脱線もありません。

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もちろん、その対象が「気になること」なのかどうかを判断することが必要となってくる場合もあるでしょう。そのために、一度はメモし(GTD風に言えばinboxに入れ)、それを見極めることは大切です。

ただ、その結果として、「まあ、これはわざわざリストを作って管理しなくてもいいか」と判断するなら、それをリストに放り込む必要はありません。だってそれは、「気になること」ではないのですから。

とは言え、この手の作業を初めて行う人は、つまりタスク管理的な行為をスタートする人は、たいていリスト作りに慣れていないので、ちょっと発破をかける意味でも、「すべてをリストにしましょう」みたいな表現がされやすい傾向はあるでしょう。気になっている「ちょっとしたこと」をメモせず、リストにもしないので、どこかで詰まってしまう。そういう状況に陥らないために「すべて」という言葉が力強く用いられるわけです。

でも、よくよく考えれば、気になっていないことを、わざわざリストにして気にするようにするのはちょっと不自然です。で、不自然なことは続かないので、やっぱりやらないほうがよいでしょう。

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この点を考えると、二つの話が展開できます。

まず一つ目は、人によって「気になること」は異なるので、管理されるリストの様子も変わってくるだろう、ということ。ある人は細かいレベルでの管理が必要かもしれませんし、別のある人は大雑把な管理でよいかもしれません。その辺を踏まえないで、他人のやり方を完コピしようとすると、つまづき地点がやってきます。要注意です。

ついでに言えば、同じ人の中でも「気になるレベル」は異なるので、毎日チェックしたいことから、半年に一度チェックできたらいいことのように、管理に粒度感を持たせられるとちょうどいい管理になるでしょう。

で、もう一つが、「気になること」を減らすことで、管理対象も減っていく、ということ。なにせ「気になること」を管理するのですから、その大元を減らしていければ、管理すべきものも減っていきます。人が実行できること、注意を向けられることは限られているのですから、手に抱えた「やること」のジャグリングがひどい様相を呈しているときは、効率化より先に、まず手荷物を減らすところからスタートした方がよいでしょう。有限性による切断です。

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なんとなく、「すべて」を網羅した、完璧なリストを作らないといけない、という強迫観念が襲ってきそうですが、実際は「気になること」をリストにすればいいだけです。そして、ときには「気になること」リストから、項目を外したって構いません。

リストに加えることではなく、リストから取り外すこともまた、タスク管理です。


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