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一冊ノート術/コンセプトとは何か?

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/11/25 第476号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

最近よく「働き方改革」という言葉を耳にしますが、なぜ「方」(かた)つまり、styleを改革するのだろうなと疑問に思います。それってどう考えても改革の対象ではありません。

styleは、ある基盤から立ち上がってくるものであって、改革の対象とすべきものはその基盤の方でしょう。基盤が変わるから、結果としてstyleが変わる。その流れの方が自然でしょうし、逆に一時的に「方」(かた)を変えたとしても、基盤がそのままならいずれは元の「方」に戻ってしまうでしょう。

耳の響きの良い言葉ではありますが、そういうものにこそ注意した方がよさそうです。

〜〜〜ブログを書くタイミング〜〜〜

これまでは、毎日午前中にブログを更新していました。午前が無理でも、午後の早いうちには書き上げてたと思います。

というか、一日の早い内にブログを更新していたからこそ、毎日更新が続いていたのでしょう。気力が充実し、邪魔の入りにくい時間帯を「ブログの時間」として投資していたから、毎日更新が維持できていた、というわけです。

というのも、毎日更新をやめて、午前中は書籍やメルマガの執筆に時間を当てるようになると、途端にブログの更新が「重く」感じられるようになったのです。「はあ、今からブログを書くのか……」という気持ちが若干湧いてきます。これまでは一度も感じたことのない気持ちです。

しかし、いったん書き始めてみると、面白いように書く気持ちが湧いてきます。スラスラ筆も進みます。自由気ままに書けるというのは、それだけで楽しいものなのです。ようするに「書くこと」でなはくて、「書き始めようとすること」が気分的に重いのでしょう。

最近ストレッチや筋トレの情報を読み漁っているのですが、たとえば筋トレでは「追い込み」が大切だと言われます。筋肉に負荷を与えて、与えて、与えて、「もうダメだ」と思ったそこからの数回が筋肉増強には欠かせない、という話です。

疲れ切ってからブログを書く、というのもそれと似た「やる気」トレの効果があるのかもしれません。もちろん、筋トレと同じようにやりすぎは禁物ですが。

〜〜〜机上のレポートパッド〜〜〜

最近手書きで「着想」をメモすることが劇的に減ってきました。もともと、ワンフレーズくらいの思いつきならすべてFastEverで保存していたのですが、矢印や簡易のイラストを伴うメモは、手書きでノートに書き留めていたのです。でも、その数が激減していることに気がつきました。

「少しずつ、僕の脳もデジタルシフトしているのだな」とそのときは納得したのですが、案外それが理由ではないのかもしれません。

なぜかと言うと、たまたま机の上にレポートパッドを置きっぱなしにしていたら、手書きメモが急激に増えたからです。

例:◇クリアファイルの改造2019 - 倉下忠憲の発想工房
https://scrapbox.io/rashitamemo/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%80%A02019

手書きメモが減ったのは、手書きするためのツールを机の上に出していなかったから──というのは理由として十分考えられます。

とは言え、こうした手書きメモを増やしたいのかどうかは、ちょっとわからないのですが……。

〜〜〜テンションの上がる場所〜〜〜

書店の文房具コーナーを歩きながら、「書店と文具店のどっちがテンション上がるかな」と考えていたのですが、そういえばかつてこのバトルには、CDショップも参戦していたことを思い出しました。

月一くらいでタワーレコードに行き、すべてのフロアの新譜をチェックして回る(&気に入ったものは買う)というのが、20代の頃の楽しみの一つだったように思います。

しかし、最近はタワーレコードに行くことすら激減しました。いや、皆無になったと言うべきでしょう。音楽を買う場所はiTunesストアに移り、そこで同じようにテンションが上がることはありません。

便利は便利なんですが、それによって失われているものもやっぱりあるのでしょう。せめて書店は、テンションが上がる場所として残って欲しいところです。

〜〜〜メルマガ過去原稿の切り出し〜〜〜

ずっと同じ作業ばかりをしていると、飽きがきてしまうので、夕方以降は気分転換として原稿執筆以外の作業に取りかかることがあります。

最近Hotなのは、このメルマガの過去原稿をnoteを切り出して、それを「読める」(あるいは「売れる」)状態に整えることです。一から文章を書き起こすわけではないので、それほど大変でもありませんし、言ってみれば「倉下ショップ」の棚に商品が一つ増えることを意味するので、(経営的観点を踏まえた上での)作業としてもなかなか価値があります。

で、その作業をしていて気がつきました。メルマガの過去原稿を切り出すことは、梅棹忠夫さんが言う「カードをくること」に近しい意味合いもあるな、と。

メルマガの過去原稿を切り出すためには、まず対象となる原稿をピックアップしなければなりません。どうやってピックアップするか? 過去のメルマガを読み返すことです。

最終的に絞り込む前に、十個くらいの過去メルマガを読み返します。時間が経っても読めるもの、読み物として面白いものを、今の私の視点から探すわけです。すでにこの段階で、過去に書いた情報カードを読み返すのと同じ動作が発生しています。

しかも、それだけではありません。そうして読み返してピックアップした原稿をリライトする作業も発生します。今の自分の視点で、昔の「考え」を書き直すわけです。これもカードを「く」り、新たに気づいたことを別のカードに書き下ろすのと似たような効果があるでしょう。

過去の遺産を、現在の知的生産に役立てるためには、やはり「くる」ことは欠かせません。しかし、ただ「くろう」と思ってもなかなか進まないので、過去原稿の切り出しのようにある仕事に紐付けるような形で進めていく、というのはなかなか良い作戦のように思います。

〜〜〜崩れている前提〜〜〜

黎明期のインターネットには、以下のような前提が暗黙に存在していたのではないでしょうか。

・性善説(わざわざ悪いことをするのは面倒)
・自浄作用(間違いがあるなら修正が入る)

前者は、世の中にはもちろん悪いことをする人はいるが、それをしても得られるメリットが小さいので、あえてやる人はほとんどいない、ということ。後者は、何か間違ったことがあったり、悪いことがあったら、他の人からの指摘や修正が入り、時間と共に少しずつ間違いや悪いことが減っていく、ということです。

この前提が機能しているなら、インターネットは自由で楽しい空間になります。細かいことをやいやい言わなくても、全体としては「人にとって良いもの」が残るからです。

しかし、その前提が崩れてしまうと、危険な空間に変質してしまいます。明確なルールを作り、「悪いこと」を近づけないための努力をしないと、参加する人が被害を被るばかりです。もちろん、明確なルールでがんじがらめになっている空間は、「自由」を失っているでしょう。

これは「昔のインターネットって良かったな」という話ではありません。参加者が限定的だった時期だからこそ実現していた特殊な空間だったんだろう、という話です。普遍はむしろ、現在のインターネットにあるのかもしれません。

だからといって特殊な空間を諦める必要はないでしょう。それはそれで──その特殊性を踏まえた上で──再び構築していけばいいだけです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週の(キュー)です。正解のない問いかけですので、頭のウォーミングアップ代わりでも考えてみてください。

Q. テンションの上がる場所はどこですか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週は、普通の規模と大きめの規模の二つの記事でお送りします。ご意見・ご感想もお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

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2019/11/25 第476号の目次
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○「一冊ノート術」 #メモの育て方

○「コンセプトとは何か?」 #知的生産の技術

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「一冊ノート術」 #メモの育て方

カード法の次は、ノート術を眺めていきます。

それにしても、カード法は「法」なのに、ノート術は「術」なのが面白いですね。あまり「カード術」とは言いませんし、逆に「ノート法」とも言いません。これは時代的な違いなのか(最近ほど術を使う)、それとも対象とする方法論に質的な違いがあるのか興味あるところです。

それはさておき、世の中にノート術はたくさんあります。メモ術もそうとうに多いですが、ノート術はそれ以上でしょう。あくまで印象ですが、多さの順に並べたら以下のようになるのではないでしょうか。

ノート術>>手帳術・メモ術>>>>カード法

メモは「断片の記録」という文脈が限定されていますが、ノートはさまざまな用途に顔を出します。仕事でも、勉強でも、知的生産でも、芸術でも、人生を豊かにすることでも、ノートは役立つからです。私たちの生活に密着するのがノートです。この点が、開示される方法論の多さにつながっているのでしょう。

また、ノートをそのように広く捉えるなら、手帳は、特定の役割を帯びた特殊な形式のノートだと言えます。その意味で、ノート術は手帳術を内包し、その数の多さはノート術に軍配が上がるわけですが、その話は手帳術について検討するときに掘り下げるとして、ノート術の話に戻りましょう。

■奥野式ノート術

今回は、情報整理・管理法として著名な「一冊ノート術」を紹介してみます。参考文献は、奥野宣之さんの『情報は1冊のノートにまとめなさい\[完全版]』です。

とは言え、「一冊ノート術」は以前のメルマガでも言及しました。よって、詳細に立ち入ることは避け、ざっくりとした紹介に留めておきます。あくまで目的は、〈メモの育て方〉の探究であり、ノート術の研究ではないので、それくらいで十分でしょう。

今回とくに注目したいのは、「どんなことを書き留めているのか」「書き留めたものをどう扱うのか」です。これが〈メモの育て方〉に痛烈に関わってきます。焦点をそこにおいて紹介していきましょう。

■基本コンセプト

まず、ごく基本的なやり方の確認をします。

・一冊のノートだけを使う(ジャンル専用のノートは作らない)
・時系列に書き込んでいく
・書くだけでなく貼ることもする
・「あらゆる情報」を貯める
・パソコンで牽引用のデータベースを作る

難解な要素はどこにもありません(もしあったら、この本がヒットしていた可能性は小さいでしょう)。一冊のノートを使い、それをいつも持ち歩いて、そこに「あらゆる情報」を貯めるようにする。書くだけでなく、貼ることも活用して情報を増やしていく。そのようなアプローチです。

今考えると、フル・アナログでこれを実践するのはそうとうな労力を必要としそうですが、それはさておき、〈メモの育て方〉に関していえば、「あらゆる情報」を貯める、の「あらゆる情報」とは何かが気になります。

■書き留められるもの

『情報は1冊のノートにまとめなさい\[完全版]』の中から、書き留めるものに関する部分を引用してみます。

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 代表的な例を挙げれば、企画会議での印象的な発言をメモしておいたり、「次の会議では○○を提案しよう」とアイデアを書いたり、参考になりそうな新聞記事を切り抜いて貼っておいたり、といったことでしょう。
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 まずは、仕事のアイデアから備忘録、本屋映画の感想などの「メモ書き」。そして、上司から渡された伝言メモや会議のレジュメ、新聞記事の切り抜き、雑誌広告などの「紙もの」。こうしたものをすべて一冊に収録していきます。
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 ・業務日誌や日記としてのメモ
 ・打ち合わせや取材したことのメモ
 ・セミナーのレジメや内容メモ
 ・仕事で使った資料の切り抜き
 ・取引先からもらった手紙やハガキ
 ・アイデアを書いたメモ用紙
 ・新聞や雑誌の切り抜き
 ・本をコピーしたもの
 ・映画やテレビの感想メモ
 ・もらった名刺
 ・その他の紙もの……観光パンフレット、切符、半券、本の帯など
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実にたくさんの要素が列挙されています。それでも、これを「あらゆる」と呼べるかは少し疑問が残ります。たとえば、タスク管理で扱われる「タスク」がまったくありません。さらに、中長期の目標や夢といったものも言及がありません。

もしかしたら単に言及されていないだけであって、実際はそうしたものもバリバリ書き込まれているのかもしれませんが、あくまでここにある文章から判断すると、タスクや目標といったものは書かれていないことになります。

さらに邪推を進めると、本の原稿などもこのノートには書いておられないでしょう。原稿についてのアイデアは書かれていると思いますが、本文そのものは別の場所(おそらくはパソコン)の中に書かれていると想像します。

そうすると、この一冊ノートに書き留められるのは、ある種の材料──もっと限定的に言えば知的生産の素材──だけです。

よって、この情報整理法だけでは、タスクマネジメントは完結しません。少なくとも、タスクを扱うための何らかのシステムを併用して、はじめてそれは完結します。まずは、この点を確認しておきましょう。

■集めた素材の知的生産利用

では、集められたその「素材」はどのように使われるのでしょうか。

第5章「素材を活用へとつなげる「知的生産術」」にそのヒントがあります。この章では、知的生産におけるテクニックが紹介されているので簡単に列挙しておきましょう。

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・ほふく前進
ノートを読み返し、さらに考えたことを追記する。スペースがなければトレーシングペーパー付箋などを使う。

・付箋でクロスリファレンス
読み返して関連性が高いと思った項目は、それぞれのページに同じ高さで付箋をつけて関連性を示す。

・カードで組み替え法
ノートを読み返し、気になったことを見つけたら、その要点だけを名刺サイズの情報カードに書き抜く。一枚一項目でだいたい80文字くらい。大量のカードを作ったら、それをトランプのように並べて組み合わせを考える。

・大判用紙で植え替え法
A4のコピー用紙を使う。あるテーマに沿って、ノートの中から情報をコピー用紙に書き写していく。その際は、情報を要約し、端的にまとめる。フォーマットは箇条書きを使う。

・コピーでコラージュ法
書き写すのが面倒な場合は、コピーを使う。ノートの該当ページをコピーし、それを台紙の上に貼り付けていく。

-- -- -- --

さて、お気付きになったことはあるでしょうか。

そうなのです。これらはノート以外のツールを使って知的生産を行っているのです。

ページの余白に書き込む「ほふく前進」でも、最初のうちはノートだけでやっていけますが、書き込みを重ねていけばスペースが足りなくなるのは必然の帰結です。思いつく量が極端に少ない人でない限り、書き込むスペースはいずれなくなり、付箋などの別ツールを用いることになるでしょう。

情報カードを使う場合であっても、A4用紙を使う場合であっても、コピーを使う場合であっても、それらはすべてノート以外のツールです。「一冊ノート術」を実施している場合、知的生産を行うためには、ノート以外のツールが必要になるのです。

その知的生産が、非常に規模の小さいものであるならば、ノートだけで完結するのでしょう。ノートに書いた素材を読み返すことで想起し、それを起点にしながら(あるいは中身に組み込みながら)執筆を進めることは容易にできそうです。

しかし、それよりも大きい規模の知的生産活動ではノートだけでは完結しないのです。少なくとも、この「一冊ノート術」ではそうなっています。

以上のことを考えると、タスク管理や中・大規模のアウトプット生成を考慮するならば、「一冊ノート術」とは言っても、ノート一冊だけでは全然足りないことが見えてきます。

そもそもとして、ノートのインデックスをパソコンで(Excelで)作ることが推奨されているので、ぜんぜんノート一冊だけではないのですが、その点を除いたとしても、やっぱりノート以外のツールが必要になってくる、という点が確認しておきたいポイントです。

ちなみにこれは「看板に偽りあり」と糾弾したいわけではありませんので、あしからず。

■さいごに

最初に書いたように、興味の点は「どんなことを書き留めているのか」「書き留めたものをどう扱うのか」にあります。

「一冊ノート術」では、タスクのような時間と共に変化していく情報が記録されないので、その扱い方は不明です。また、タスクではない知的生産に関する情報(素材)に関しても、ノート単体でみれば「読み返して思い出す」「空いたスペースに書き足す」の二要素しか見当たりません。

それで可能なのは小規模なアウトプットであり、それ以上の規模になってくると、スペースが足りなかったり、あるいは動かすことができないので手に負えないことになります。

これを逆に捉えれば、中規模・大規模の知的生産物を生み出すためには、単に読み返して思い出すという行為だけでは足りないことがみえてきます。

〈メモを育てる〉という文脈で言えば、仮に育ったものが大きくなっていく場合、ノートという植木鉢だけでは小さすぎてアイデアが窮屈してしまう、ということです。だからこそ、「一冊ノート術」でもノート以外のツールに移し替えることで、その可能性を広げるわけです。

この点を踏まえて、次回は別のノート術を覗いてみましょう。

(つづく)

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