第十三回:物を売るのではなく、顔を売る
さて、前回では、「バットマン・ビギンズ」ならぬ「鷹野凌・ビギンズ」を語っていただきました。まったく新しいペンネームを作り、ゼロから執筆活動をスタートした結果、数年で「鷹野凌」という名前を確立した。すばらしいお話です。
かくいう私も──程度に違いはあるにせよ──田舎でコンビニ店長をしていた人間が、ふらふらと続けていたブログおかげで、今こうして物書きとして生計を立てているという経緯を持ちます。インターネットが存在しなければ、起こりえなかった「経緯」ではあるしょう。たしかに、鷹野さんが以下のように書かれることは正しいのだと感じられます。
つまり、コンテンツが広く伝播することは、直接お金には繋がらないかもしれないけど、コンテンツそのものや書(描)いた人の「認知」は高められます。つまり、お金を稼ぐのではなく「認知」を稼ぐのです。
これを私が言い換えれば、「物を売るのではなく、顔を売る」となります。ちなみに、「物を売るのではなく、名前を売る」という言い方でもいいのですが、とある理由から私は前者を気に入っています。
その辺もからめて、今回は「認知」について書いてみましょう。
「カネは、カネ」というトートロジーのような表現があります。一円は一円であって、それがどこにあっても誰が持っても同じである、というような意味です。これが本当かどうかは実に怪しいところですが、「認知は、認知」という似た考え方もあります。換言すれば「1PVは、1PV」です。
どのような背景があれ、誰かがアクセスしてきたら1PV。誤クリックでも、野次馬根性でも、罵倒するためでも、狂信的な信仰でも、どれも等しく1PV。
もし報酬の計算方式が単純であれば、この考え方は正しいでしょう。しかし、「認知」の側面から眺めれば、それぞれのPVが持つ重みは、等しいとは言えません。むしろ大きな差異を持ちます。
ベン・パー の『アテンション』は、「注目」を三つに分類しています。
・即時
・短期
・長期
「即時」は、生理反応的・感覚的な注目です。赤で大きく書かれた文字はいやおうなしに人の注意を引きますが、それが長続きすることはありません。それが即時の注目で、人間のメカニズムに精通していれば比較的簡単に得ることができます。
「短期」は、それよりももう少し長い注目で、集中と言い換えてもよいでしょう。ブログのタイトルをクリックした後に最後までその文章を読むこと、動画の再生本タンを押した後にそのまま最後まで視聴し続けること、つまり数分程度人の認知を引きつけておくことです。これを得ることは〈即時の注目〉よりは難しくなりますが、それでも過激なコンテンツを配置すれば不可能ではありません。
最後の「長期」が一番やっかいで重要な注目です。上記二つよりもはるかに長い、長期間に及ぶ注目で、言い換えれば信頼となるかもしれません。
たとえば、私は村上春樹さんが新刊を発売されるならば、たとえそれが5年ぶりだとしても(あるいは5年ぶりだからこそ)間違いなく買います。噂話の段階でGoogleチェックを始め、Amazonを探索します。派手なCMも、うっとうしい勧誘メールも必要ありません。私が自分からその情報を求めてWebを彷徨うのです。
何かを販売する人間にとって、〈長期の注目〉がいかに強力なのかは説明するまでもないでしょう。しかし、それを得るのは、他の二つよりははるかに難しくなります。
パーティーをイメージしてみましょう。あなたを呼ぶ大きな声が聞こえてきます。まず間違いなくあなたはその声の主の方に顔を向けるでしょう(即時)。
その後、その主と言葉を交わそうと思うかどうかは、外見的要素や立ち振る舞いによって左右されるかもしれません。とりあえず、どのような人でも二、三言くらいなら会話するでしょう(短期)。
ここまでは比較的簡単です。しかし、2時間以上の議論に付き合うだとか、連作先を交換するだとか、次の日にまた会って食事するだとか、友人関係になるとかは(長期)、もっと多くの要素に影響されるでしょう。少なくとも、声が大きいだけの奴だと思ったり、嘘ばかりつく奴だと感じたら、その時点で終了です。その相手に長期の注目を向けることはありえません。
上記の「注目」を「認知」に置き換えれば、鷹野さんのお話と見事に符合します。
まず、コンテンツの広い伝播によって、即時と短期の注目を得る。で、それが積み重なると長期の注目へと変化する。いったん長期の注目を確立したら、固定読者がつき、また編集者からも信頼されて、別の仕事がもらえるようになる。そういう流れです。同じYouTuberでも他メディアに呼ばれる人と、そうでない人の違いはこの〈長期の注目〉の有無にあるのかもしれません。
ちなみに『アテンション』では、この流れが「点火」→「藁火」→「焚き火」と図式化されて整理されています。この図式からもわかるように、いっきに焚き火を起こすことはできません。点火から時間をかけて作り上げていく必要があります。村上春樹さんも『職業としての小説家』の中で「時間を味方につける」旨を書かれていますが、高速で情報が回転するインターネットだからこそ、時間をかけて醸成されたものの価値はいっそう高まるとは言えるでしょう。
それにしても、「焚き火」が作れないと、しょっちゅう「点火」ばかりしないといけないのですから、それはそれでなかなかたいへんそうです。
〈名前〉を売りたければ、とにかく大声で叫べば十分です。それが悪名であるかどうかは関係ありません。その点〈顔〉を売るのは、それとは少し違ったニュアンスがあります。「顔を立てる」という言い方もありますが、顔には信頼感──あの人は、ああいう人だという認知──が関わっています。だからこそ、「物を売るのではなく、顔を売る」わけです。
しかしながら、顔を売るだけでは生活できません。パブリッシャーは物を(あるいはスキルを)売る必要が最終的にはあります。
そうなるとややこしい問題が立ち上がります。私がいま一つ新しいコンテンツを生み出したとしましょう。さてそれは「顔を売るためのコンテンツ」として使えばいいのでしょうか。それとも、「物を売るためのコンテンツ」として使えばいいのでしょうか。
言い換えれば、コンテンツの無料と有料ってどのようにコントロールしたらいいのでしょうか。
という難しいところで、鷹野さんにバトンを渡しましょう。ニッヒッヒッヒ(悪い笑み)
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