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プロジェクトを眺める三軸思考

自分のこれからの執筆プロジェクトについていろいろ考えていたら、大きく三つの軸が立てられるな、ということに気がついた。

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まず、今日という時点から明日以降の未来に向かって、どんなプロジェクト(私の場合は企画案)にコミットしていくのかの選択だ。たとえば、今は『僕らの生存戦略』と『Re:vision』にコミットしているが、どちらかが終わったら次は『知的生産の風景』だな、といった具合である。

これで中期的な見通しが立つ。もちろん、これは見通しであって計画ではない。その通りに進めなければならないという制約をもたらすものではなくて、そんな感じに数進んだらいいなという(きわめて楽観的な)希望である。人によっては幻想とも呼ぶが、別段呼び方はどうでもいい。人類はそうした希望(あるいは幻想)によって前に進んできたのだから、今さらそれを否定しても仕方がない。むしろ、そのような希望(ないしは幻想)といかに付き合っていくのかが、実践的なノウハウとなるであろう。

話が逸れた。

上のような今日以降からの中期的な見通しが一軸だとすれば、二軸目は一日の時間の割り当てである。プロジェクトAには二時間の作業を当て、プロジェクトBには一時間の作業を当て、といった具合に具体的に作業時間を割り当てないかぎり、そのプロジェクトが進捗することはない。

この段階で破綻することがかなり多い。中期的な見通しに、バンバン希望を詰め込むのはいいのだが、それを実際一日の時間の割り当ててみると、二十四時間ではまったく足りないことが多いのだ。

なにも、執筆プロジェクトを並行して4つも5つも抱えようとしているわけではない(そういう場合もあるだろうが)。当人としては、仕事のプロジェクトを進めて、趣味のプロジェクトも進めて、本も読んで、プログラミングの勉強もして、オンラインの英会話もやって、人気のストレッチをやって、という感じで、「少しずつ」加えている感覚である。

たしかに少しずつ水を加えていけば、コップは表面張力を発揮して、わずかばかりはこぼれるのを防げるかもしれないが、限界はある。小さいものだろうがなんだろうか、それには時間が使われるし、二十四時間は有限で、しかも「やること」はプロジェクト以外にもたくさんある。言い換えれば、日常は「見えないタスク」で埋められている。

その点を考慮しないと、一日の時間配分は機能しないし、ということは中期の見通しも機能しない、ということになる。

基本的にここではトリアージが活躍するだろう。コミットメント対象を減らすわけだ。人間は万能ではないし、1日にできることは限られている。小さなことでも積み重ねれば大きな結果になるが、その小さなことですら無限に1日に詰め込めるわけではない。

というわけで、中期の軸と1日の軸ができあがるわけだが、それで終わりではない。今後は、その割り当てられた時間で具体的に何をするのかを決めなければいけない。

「一時間本を読む」なら、そこでどんな本を読むのかを決める必要がある。中期のプロジェクトして「行動経済学の本を読む」が走っているなら、具体的な書名を決める必要がある。

執筆プロジェクトが走っているなら、単に「原稿を書く」だけではなく、どの章をどのように書くのかを(たとえばラフに書き下ろすや精緻に書き上げるなど)決めなければならない。

当然それは日毎に推移していくだろう。一冊の本を読み終えたら次の日からは別の本を手に取るだろうし、第一章を書き終えたら、その読み直しになるか次の章の書き下ろしになるだろう。

そうした推移については、いわゆる「プロジェクト」の情報として管理されることになる。管理が必須というわけではないが、次に何をするのかを迷うような事態は阻止した方がいいだろう。

というように、これらは三軸ではあるものの完全に独立はしていない。たとえば、ものすごくタフな知的作業をプロジェクトAで一時間進めたら、プロジェクトBで同じようなタフな作業はその日はできないかもしれない。つまり、作業内容と一日の時間の割り当ては密接に関わってくる。

当然その結果は、中期の進捗にも影響を与える。逆に、中期の進捗を死守するために一日の時間の割り当てが大幅な変更を迫られることもある(締め切りのある仕事、会社員などではこれが一般的なアプローチだろう)。

また、連続してタフな一日を過ごしたおかげで、三日くらいはポンコツ化してろくな仕事ができないという状況もあるだろう。時間は一日の中で連続し、一日は中期の中で連続しているのだ。

だからこそ、中期の軸は一番揺れやすい。中期は複数の一日で構成され、一日は複数の時間で構成されているので、小さな揺れであってもそれが蓄積して、中期に影響を与えるからだ。よって、中期を厳守するためには、相当な無理をするか、あるいは平均的な揺れを織り込んだ上で中期の見通しを立てておくことが必要となる。もちろん、「中期などいらぬ!」とサウザーのように強気に出てもいいだろう。

なんにせよ、この三軸思考はおおむね適切な領域をフォローしているだろうが、考えるのはなかなか難しいものである。少なくとも、中期の軸からスタートしたら、一度は一日レベルから切り返してもう一度の再検討が必要となり、日々の実践から再度の検討が迫られる。

それでも、一日一時間本を読み、それで一冊の1/3くらい進むから、三日で一冊が読めるから、これらの本はだいたい一ヶ月で読み終えられるな、と見通しを立てられるのはなかなか悪くはない。それは、単に本を並べてそう考えているのではなく、毎日の読書の(敷衍すれば時間の使い方の)蓄積から、経験的に言える多少確度の高い見通しである。

三軸思考と経験と、そして再びの三軸思考。プロジェクトを眺めるには、そういう視点の行ったり来たりが有効ではないだろうか。

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