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第二十三回:情報整理の考え方

さて、いよいよ本連載のまとめである。

ここまでで倉下の「最近」の情報整理ツールの配置と運用を語ってみた。もちろん、細かい話もまだたくさんあるし、現時点においても変化は続いている。その意味で、この話は静止的には語りづらいところがある。あくまで、どこかの時点のスナップショットを提出するしかないわけだ。

しかも、そのスナップショットすら、一方向からの「構図」でしかない。情報ツールの細部や細かいつながりなどを正確に描写しようと思えば、アリの巣を3Dで図面起こしするくらいの手間が必要だろう。どうしたって可能なのは、おおまかな図面の提出に限られる。

しかし、たとえそうであってもこうしたスナップショットの説明には意味があるだろう。おおまかであっても、全体像は伝わるし、それぞれのツールにおいて何を為そうとしているのかの「意志」は明示できる。細部の情報はなくても、そうしたものから「自分の情報整理」を立ち上げることは可能だろう。

というわけで、最後に自分の(自分なりの)情報整理を立ち上げるためのちょっとしたヒントをまとめておこう。

情報の流れを俯瞰する

まずスタートは、自分の情報の流れを俯瞰してみることだ。どこでどんな情報が発生し、それがどこを経由して、どんな場所にたどり着くのか。それをマッピング(地図化)するのである。

*以下の「アイデアプロセッシングの流れ」が好例である。

ここで思考の対象とするのは、「自分」の日常において情報がどう流れているのかだ。著名人のモデルをそのまま持ってくる必要はどこにもないし、むしろ有害だろう。あくまで、自分の日常においてどんな情報が発生し、どんな形で自分が情報を必要としているのか。そこに意識を向ける。

単に意識を向けるだけだと具体的な形が掴めないので、図に起こすのが胆となる。「やること」がどう発生し、その情報を自分がいつ利用(参照)するのか。「やること」以外の情報はどうなっているのか。あくまで自分の身の丈において考える。

再三述べているが、情報整理とは、「情報を適切に配置し、必要に応じて取り出せるようにしておくこと」だ。そしてこの「適切」と「必要」は、それぞれの人によって異なる。だからこそ、情報整理の形はひとそれぞれで異なってくる。

よって、まず自分の「適切」や「必要」とはどんなものだろうかと探っていくのである。

ちなみにこれをあまりに厳密にやろうとすると、あまりにも細かくなりすぎてしまう。人間が管理できる情報には限りがあるので、あまり細かすぎることは──トリアージとして──切り捨ててしまうのがよいだろう。あくまで、ちょっと考えて思いつくレベルだけで構わない。

情報の目的を展望する

上記のマップを書いていると、いろいろなことが見えてくるはずだ。その中でも特に興味深い発見は、「一口に情報といっても、その性質はさまざまである」という点だ。これを押さえて置くのが勘所だ。

短期間で利用して捨てられるメモと、長期的に保存される住所録と、一定期間チェックし続けるプロジェクトノートは、性質が異なる情報である。よって、その扱い方も性質に合わせて変える必要がある。当たり前の話だが、「情報」や「アウトプット」など漠然とした言葉遣いをしていると、その違いが見えにくくなってしまう。こうした言葉は、概論を語る上では役立つが、具体的なレベルで議論を進める場合は、極力使わない方が良いだろう。

食べ物でも、乾物と生鮮食品では保存のスタイルが違う。動物でも、金魚と猫とヘビでは飼育のスタイルが違う。同じことが情報でも言える。静かにおとなしく動いている情報もあれば、活発に動き回り手に負えない情報もあれば、虎視眈々と機会をうかがっている情報もある。あるいは、石のようにもうまったく動かない情報も。

そうした性質の違いにまず敏感になることだ。目利きできるようになると言ってもいい。それが上達するほど、情報整理はやりやすくなる。

流れを再構築していく

当然のように、ツールやノウハウに詳しくなるとそうした目利きも上達する。その意味で、ツールやノウハウを学ぶことには意義がある。一方で、そちらの方ばかりに視線を向けてしまい、「自分にとっての適切や必要」が見えていないと、実践の役には立たない。というか、選択肢ばかりが増えてしまって、結局どうすればいいのかがわからなくなってしまう。

「自分にとっての適切や必要」というのは、ある種の制約(有限化装置)である。それがあるからこそ、無限の選択肢に悩まされなくても済むようになる。だからこそ、「自分にとっての適切や必要」を最初に把握しておくことは大切なのだ(*)。
*もちろん、順番は前後しても構わない。

ここで面白いことが起こる。「自分にとっての適切や必要」を理解した上で、自分の情報整理体系を作る。そして、自分以外の人のツールやノウハウを学ぶ。そうしたノウハウには、「自分にとっての適切や必要」の領域外にあるものが少なくない。そこで考えるのだ。「仮にこれを自分の体系に組み込んだらどうなるか?」

仮想的な実験である。もちろん、答えは出ない。もう少し言えば「正確な」答えは出ない。ある程度の仮説が出てくるだけだろう。そうなったらあとは実験である。実際にやってみるのだ。

やってみた結果、ぜんぜん合わなかったのでやめました、ということになるかもしれない。これはよくあることである。臓器移植と同じで、他の人のパーツがピッタリ合う可能性は低い。しかし、ごく稀に取り込んでみるとすごくうまくフィットするものがある。それまで自分が持ち合わせていなかった「適切」や「必要」を生じさせるものがある。

そうなったら、それに合わせて自分の情報整理体系そのものを変えていく。恐れずに変化に向けて一歩足を踏み出す。

そんな風にして自分の情報整理体系は常に変化していく。とは言え、「常に変化していく」といっても、せわしなく動き回るようなイメージではない。上記で記したように、少しの仮説と実験によって新たな適合を見出していくような、そんな変化の歩みである。

基本的には閉じているが、しかし窓だけは開いている。そんな構造。あるいは、穴の空いた膜。それが健全な情報整理のイメージであろう。

よって、情報整理の体系作りには基本的に「終わり」がない。あるのは暫定的な最適解だけであり、そこにはいつでも変化の可能性が含まれている。

さいごに

というわけで、私なりにまとめておこう。

・情報整理体系は人によって形が違うし、情報によって適切なツールや管理方法も異なる
・情報整理体系は決して静止しない。常に変化の可能性を含んでいる

この考え方は、「情報整理体系には唯一絶対の正解がある」という考え方とはまったく異なるものである。私はこの新しい考え方を今後も主張していくつもりである。

さて、ずいぶん長い連載になった。内容もとりとめないものになってしまったので、また改めてこの内容を整理してみたいと思う。では、ここまでお付き合いくださった皆様に感謝を述べて終わりにしておこう。

(ひとまずは、おわり)

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