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メモシステムの使い方/本を売るための仕組み作り/執筆に着手する/ライフハックが生き残る世界線

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/07/13 第509号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

うちあわせCast第三十八回が公開されております。

今回は、セルパブにおける「編集」について語ってみました。「編集」という言葉は実に多義的なので、なかなか捉えづらいですが、それでも「出版」活動には欠かせないものだと思います。

〜〜〜PoICサルベージプロジェクト〜〜〜

上のポッドキャストでも触れていますが、消失してしまったPoICのwikiをインターネットアーカイブで発見したので、それをScrapbox上で再現するプロジェクトを進めております。

20ページほどのScrapboxプロジェクトですが、どのページも読みごたえがあります。論理のバックボーンと実践のかみ合いが、独特の厚みを生み出しています。自前の知的生産システムを構築することに興味がある人ならば、多くの示唆が得られるでしょう。

ちなみに、このプロジェクトは「手入れ」の途中なので、文章の整形やリンク付けが終わっていません。読みにくいところがあるのはご了承ください。

あと、その「手入れ」が終わったら、もう一つ面白いことをやろうと思っているのですが、それは終わってから紹介するとしましょう。お楽しみに。

〜〜〜そこにあるはずの確信〜〜〜

Googleでの検索順位を意に介さなくなってしばらく経つのですが、今現在熱心にそれを向上させることに注力している人は、「自分の書いた記事は、読む人にとって一番役立つものだ」という確信を持っておられるのでしょうか。

もし、持っておられるならすごい自信だと思います。私なんて、どうせたいして役に立たないだろうか、隅っこの方でいいか、なんて思っちゃいますからね。

でも、もしそういう確信もなく、ただ順位争いのゲームをしているだけだとしたら、それに巻き込まれる方としてはたまったものではありませんね。

「読者のことを考える」(by 結城浩)

大切な原理です。

〜〜〜研究〜〜〜

最近「研究」という言葉が気になって仕方ありません。

というか、あるアカデミックな領域にある活動と、私たち市井の人間の活動(特に思索を好む人たちの活動)の共通項を括り出せるのって、「研究」以外無いような気がするのです。

もちろん、研究ではなく探究やその他代替する言葉ならなんでもいいのですが、「ある対象に継続的・持続的に注意や関心を注ぎ、そのことについて考え、実践し(つまり実験し)、得た結果から、さらに何かしらを考え続けていく活動」というのが、すばらく広い意味での「知的生活者」なのだと感じます。

つまり、知的生活≒研究生活、なわけです。

このパラフレーズができたから何なのだ、と言われると現時点では答えられないのですが、しかしこれが「知的生産という言葉を使わずに、それを表したい問題」へのヒントになってくれそうな予感をビシビシ感じております。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

現代では、誰もがごくナチュラルに「情報発信」できますが、一方でその発信活動に関わる法律についての理解が浸透しているとはとても言えません。インターネットがそもそも著作権と相性が悪いというのもありますが、それ以上に子供に物を教える大人が著作権について知らない、という点は大きいでしょう。

最初見かけたときはスルーしていたのですが、最近DoMA式を開発して、「西洋式とは異なる、日本式のメソッド」に急に興味が湧いてきました。別段日本文化至上主義者になりたいわけではありませんが、西洋的なメソッドを相対化するために一度しっかり学んでおくのも良さそうです。

タイトルがいけてます。ちなみに原題は『The Norm Chronicles: Stories and numbers about danger』で、よくこのタイトルから日本語訳をひねり出したなと感心します。ちなみに「Norm」は、日本語のノルマ以外にも標準とか平均とか規範といった意味があります。目次を眺めると、なるほどと頷けると思います。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけですので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q.著作権についてどの程度ご存知でしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/07/13 第509号の目次
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○「メモシステムの使い方」 #知的生産の技術

○「本を売るための仕組み作り」

○「執筆に着手する」 #セルパブ入門

○「ライフハックが生き残る世界線」 #やがて悲しきインターネット

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「メモシステムの使い方」 #知的生産の技術

少し書き残したことがあったので、今回はMindGardenではなく、メモシステムについてのお話を引き続き書きます。

さっそくいきましょう。

■情報カードは備忘録ではない

まず、最初に書いておきたいのは、「知的生産におけるメモシステムは、備忘録ではない」、ということです。

「備忘録ではない」とはどういうことかと言えば、「忘れていたものを思い出すためのシステムではない」ということです。

たしかに、ノートなりカードなりに自分の着想を書き留めておけば、それをすっかり忘れてしまっても、後からそれを思い出すことが可能になります。記憶の弱い部分を記録で補助するこの役割は大切なものです。しかし、知的生産におけるメモシステムにおいて、そうした役割ばかりに注目していると、使い方を見失ってしまいます。

では、知的生産におけるメモシステムの第一の役割とは何でしょうか。

それは、文脈操作です。

■カードを「くる」こととメタ・ノート

以前書いたように、梅棹や板垣や渡部が書籍で提唱するカード法と、外山滋比古が『思考の整理学』で提唱するメタ・ノートは、記録する情報の扱いに違いがあります。前者は、研究の素材を保存しておくもので、後者は消費されるネタを書き留めておくものです。

にも関わらず、この二つには共通点があります。

まずは、『知的生産の技術』から引用しましょう。

 >>
 カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならびかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。(中略)カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。
 <<

梅棹が本書の中で何度も指摘しているのが「カードをくる」ことの重要性です。そうしてカードをくると、「一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつく」とあります。

たとえば、カードボックスの中から適当な二枚を抜き出して、そこにある関連性を(意識的に)考えてみる。すると、その一秒前までは思いもつかなかったつながりが見つかることがある。それが、カードを使うことの最重要な役割だ、というわけです。

つまり、単に書き終えて忘れたものを、カードを見ることで脳内に復活させるのが意義ではなく、それらのカードから新しい知識を生み出すことが意義なのだ、と梅棹は強調しているわけです。それは、先ほどの「情報カードは備忘録ではない」という言葉に重なります。

では、メタ・ノートはどうでしょうか。

メタ・ノートは、メモ→ノート→メタ・ノートといった具合に、アイデアを段階的に選別していく技法です。経年によって劣化したアイデアを排除し、むしろ経年によって味わいが増していくアイデアを抜き取ることが一つの目的だと言えるでしょう。

その際、味わいが増したアイデアは「残される」のではなく別のノートに「書き写される」ことになります。ここがポイントです。

 >>
 メモの手帖から、ノートへ移すことは、まさに移植である。そのまま移しているようであっても、決してそうではない。多少はかならず変形している。それよりも、もとの前後関係から外すことが何より、新しい前後関係、コンテクストをつくり、その中へいれることになる。
 コンテクストが変われば、意味は多少とも変化する。手帖の中にあったアイディアをノートへ移してやると、それだけで新しい意味をおびるようになる。もとのまわりのものから切り離されると、それまでとは違った色に見えるかもしれない。
 <<

たとえば、時系列に書き留めたメモの中から、優れたものをノートに書き写すと、当然その前後の記述は変わってきます。

ABCDEFGHIJKL
↓
B

ACDEFGHIJKL
↓
BH

ACDEFGIJKL
↓
BHK

「H」は、もともとGとIに囲まれていましたが、新しい場所ではBとKに囲まれています。コンテキスト(文脈)とは、一つの流れの中で生まれるものですから、前者のコンテキストと後者のコンテキストは異なるわけです。そのことによって、Hの意味合いが変わってきて、新しい発想を生み出す(かもしれない)。それがメタ・ノートの面白い効用の一つです。

そしてこれは、カードを「くる」ことと、ほとんど同じ機能だと言えます。カードをいろいろな順番で組み合わせることは、それぞれにおいてインスタントな(即席の)コンテキストを生成する、ということです。それによって、新しい発想を生み出す。メタ・ノート法とまったく同じです。

梅棹さんは、カードは覚えるためではなく、忘れるために書くと述べられていて、その点がカードが備忘録的に解釈される傾向を生み出しているのかもしれませんが、実際はそうではありません。

カードを書いて忘れるというのは、書き留めた時点のコンテキストから着想を解き放つ、ということです。そうして解き放った着想を、未来の自分が読み返す。これは「思い出す」という作業ではなく、新しい自分のコンテキスト下でその着想をロードすることを意味するのです。

■着想の原子化

「月刊みんぱく2020年4月号」に堀正岳さんが寄せた「今日の知的生産の手法」という文章で、堀さんは「梅棹の情報カードにみる情報の原子化」という表現を使われています。まったく正しい表現です。

ただし、この「原子」のイメージは、それを組み合わせて何か大きな構造物を造る、といったことではありません。言い換えれば、アウトプット(成果物)を構成するパーツではない、ということです。そのパーツの役割を担うのは、むしろ「こざね」の方です。

では、その「原子」のイメージは何かと言えば、たくさんの「分子」(つまり物質)を構成しうる要素、ということです。単一の何かを作るための素材ではなく、「世界の構成要素となる、単一不可分の微細なもの」こそが原子なのです。

別の言い方をすれば、原子はネットワークを形成します。それも複雑で多様なネットワークを形成します。それと同じように、書き留めたメモたちもまた複雑で多様なネットワークを形成します。カードをくったり、アイデアをノートからノートへと書き写したりするのは、そうしたネットワークを拡大させていくための試みだと言ってよいでしょう。

■ノードとリンク

前回にも紹介しましたが、『知的生産の技術』では索引作りについて以下のように書かれています。

 >>
 一冊をかきおえたところで、かならず索引をつくる。すでに、どのページにも標題がついているから、索引はなんでもなくできる。この作業は絶対に必要である。これによって、ばかばかしい「二重発見」をチェックすることもできるし、自分の発見、自分の知識を整理して、それぞれのあいだの相互関連をみつけることもできるのである。

 これをくりかえしているうちに、かりものでない自分自身の思想が、しだいに、自然とかたちをとってあらわれてくるものである。
 <<

重要なのは、中盤から後半にかけてです。内容をまとめれば、「自分の発見、自分の知識を整理して、それぞれのあいだの相互関連をみつけることを繰り返していけば、かりものでない自分自身の思想が、しだいに、自然とかたちをとってあらわれてくる」となります。

「相互関連」とは、カードとカードのつながり(リンク)であり、もっと言えば、その時点では見つけられていなかった新しいリンクのことです。一枚のカードをノード(点)としたときに、それらをつなぐ新しいリンクを見つけることで、自分自身の思想が生まれてくると、上の引用箇所では述べられています。

新しいリンクとは、新しいコンテキストとほぼ同義で、新しいコンテキストという下地の上に、新しいリンクが敷かれるとも表現できます。カードを「くった」り、新しいノートを書き写したりすることで、コンテキストを変更し、それがアイデア同士の新しいつながりを生み出す。これが二つの方法で共通している点です。

ではなぜ、そうした行為を繰り返していけば、「かりものでない自分自身の思想が、しだいに、自然とかたちをとってあらわれてくる」のでしょうか。

ここは大切なところなので、回を改めて続けるとしましょう。

(つづく)

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