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『思考のエンジン』第三章「エクリチュールとライティング・エンジン」のまとめ
第三章のまとめです。
この章には何が書かれているのか?
本章では「手書きのエクリチュール」への観点を前章から引き継ぎつつ、いよいよ本命とも言える「ライティング・エンジン」へと足を踏み入れていく。
中心に位置づけられるのは「ダイレクト・ライティング・プロセス」と「オープンエンディッド・ライティング・プロセス」の対比である。
前者は、「すでに知っていることを書く」という行為で、執筆中に新しいものが何も生成されない書き方である。当然それは、前章までで確認されたプラトン的イデアを現前させるというエクリチュールと似通ってくる。
一方で、それと対比される「オープンエンディッド・ライティング・プロセス」は、書きながら「何を書くのか」を探究するようなプロセスである。言い換えれば、書きはじめる時点で自分がどのような完成物を作るのかをイメージできてない(あるいは、イメージを持っていたとしても、完成物がそれとまったく異なる可能性を引き受ける)書き方である。
著者はそうしたプロセスを航海(VOYAGE)にたとえ、そこで発生する行為(エージェンシー)を以下のように分析している。
VOYAGE
RESEARCH
FRIST TIME
FREE WRITING
IMMERSION
PERSPECTIVE
VISION
ROAD MAP
LANDING
FIRST DRAFT
FOCUSED GESTATION
OUTLINE
REVISION
EDITTING
FINAL WRITING
ここのプロセスが具体的に何を意味しているのかは本文を参照してもらうとして、書きながら新しい何かを生みだしていくという創造的な行為が、このような(一種の)アルゴリズム的に分析されているその構図が面白い。
でもって、たしかに私も文章を書くときにはこれと似たようなプロセスを踏んでいる。特に、序盤は「カオスを広げる」ことを意識し、終盤はそれを「畳む」ことを意識するという、プロセスを折り返すイメージはまったくもって私の執筆観に重なるところだ。
次章では、このプロセスを載せる「ライティング・エンジン」の分析が進められるだろうと予感される。
付言しておくと、タイプライターという新しい「書く機械」は、より多くの人に「書く機会」を提供し、それは表現の民主化をもたらしたわけだが、一方で「正しい文章の書き方」のようなノウハウが、旧来の権力構造を保持しているという指摘があり、それは非常に難しい問題をはらんでいるように感じられた。
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