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他人のパターンの利用法/不調期・回復期のタスクリスト/断る基準を持つ

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/11/11 第474号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

ブログでも紹介しましたが、「まぐまぐ大賞2019」の投票がスタートしております。

規模的に当メルマガが大賞を受賞する可能性は低いですが、それでもご推薦いただければ嬉しいものです。もしよろしければ、投票くださいませ。

noteでご購読くださっている方は……どうなんでしょうね。投票権はあるのでしょうか。いちおう中身はまったく同じなのですが。

〜〜〜『僕らの生存戦略』進捗報告〜〜〜

先週、章立てレベルの目次案が完成して、中身となる材料をノートやカードから集めました。

その後、集めた材料をアウトライナー上でこっちだあっちだと動かしまくって、章立てレベルの次、つまりそれぞれの章の項立てレベルまで目次案が完成しました。これで、アウトラインというかフレーム(骨子)はほぼ完成です。

あとは地道に文章を書いていくだけです。ゴールは間近、ではありませんが、ようやく執筆というマラソンをスタートできる状態となりました。

現状は第一章を執筆中で、おそらく今週いっぱいはかかりそうです。

〜〜〜言葉にすること〜〜〜

誰かが何か意見を言えば、それに反論することができるようになります。

しかし、言葉にならないものに関してはそれはできません。無意識下の領域にたゆたうものたちには、抗うことすら難しいのです。

その意味で、言語化とは対象化です。たゆたうものたちを固定化し、土俵に引っ張り上げ、対峙可能にすること。哲学者や思想家の仕事とは、おそらくそのようなものなのではないかと最近思います。

〜〜〜タイトルは微妙に変わる〜〜〜

机の整理の一環で、書き散らかしてそのままになっていた紙片(A4コピー用紙)のスキャンを進めています。スキャナ機器は使わずに、iPhoneアプリのScannableで一日10枚程度を地道に処理しています。

で、だいたい企画案を「起こす」ときには、こうした紙片を使ってアイデアをまとめるのですが、本と同じで使い終えた紙片もなかなか捨てることができません。なので、数年前、下手すれば十年近く前の紙片などがザクザク掘り起こされて出てきます。

それらを懐かしみながら眺めていたのですが、目を惹いたのが企画のタイトルでした。

たとえば、『「目標」の研究』というタイトルで出版された本は、当初『夢と目標の研究』として進めていました。というか、最後の最後までこの仮題で進んでいたような気がします。

で、いざ表紙を作ろうとなったときに、なんとなく収まりが悪い感じがして、頭の「夢と」を取り、そのままでは違和感があったので、目標の前後にカギ括弧をつけました。それ以降、私の中ではこの本は『「目標」の研究』として認識されていたのですっかり忘れていましたが、そういえば『夢と目標の研究』としてスタートしたのでした。人間はいろいろなことを忘れていくものです。

もう一つ、『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』も、当初は『ブログを10年続けてみて、僕が考えたこと』という仮題でした。これもどこかの段階で語呂が悪い(≒音のリズムがあまり良くない)ことに気がつき、現状のタイトルへと変更されました。

おそらくその他のセルフパブリッシング本も、最終タイトルになるまで非常に細かい紆余曲折がたくさんあったように思います。でもって、そういう作業が病的なくらいに好きなのが私です。

〜〜〜発想力勝負〜〜〜

書籍のタイトル関連でもう一つ。

何かしら「発想」や「発想力」についての本を書きたいなと考えていました。それも、どっしり構える本ではなく、使いやすく・身近な発想法をたくさん集めた本です。

さて、そのタイトルは何になるのかなと考えていたところ、ふと『一分間マネージャー』という本を思い出しました。非常に短く、端的にマネージャーの要素を提示した本です。

ひらめきはそのときでした。『一分間発想法』。これなら私が書こうとしている本の内容を端的に表しているではありませんか。

が、焦りは禁物です。類似のものがないかをAmazonでググッてみると、見事にありました。

まあ、そりゃそうですよね。さすがにありきたりすぎました。こういうとき、名状しがたい敗北感が胸一杯に広がります。そして、新しいアイデアを探す旅が始まるのです。

〜〜〜文字数の計算〜〜〜

『僕らの生存戦略』の章立ても決まり、項目もだいたい見えてきました。そして、第一章の第一項をとりあえず書いてみました。まだ粗いものの文字数は約1500文字。多少膨らんでも2000文字というところでしょう。

第一章には同じような項目が13個ほどあります。すると、第一章は2万〜2万6千字の規模になりそうです。でもって、同じような粒度の章が全部で7つあるので、全体は14万字〜18万字になるだろうと予想できます。

明らかに長いです。私のイメージでは6万字から8万字になればいいな(≒読みやすいだろうな)という目算でした。しかし、そのイメージに近づけるためにはボリュームを半分くらいにしなければなりません。かなり難易度の高いミッションです。

とは言え、まだ本文はぜんぜん書けていないので、書いてみたら長いのは第一章だけで後はすっごく短かったです、なんてオチになる可能性もあります(希望的観測)。とりあえず、削ることは後からでもできるので、まずは書き足すことを目標とし、ガリガリ書いていきたいところです。

〜〜〜傲慢さと抑止力〜〜〜

文章を書くには、ある種の「傲慢さ」が必要です。「傲慢」という言葉遣いが悪ければ、ある強度を持った自我と言い換えてもいいかもしれません。そうしたものがなければ、なかなか文章は紡げないでしょうし、そもそも紡ごうとも思わないでしょう。

そして、文章を書く出発点が「傲慢さ」だからこそ、「読者のことを考える」という原則が必要なのではないかと感じます。

もし前者がまったくなければ、読者におもねり続けるか、あるいは仮想の無限読者に怯えて身動きが取れなくなるでしょう。かといって、前者だけで後者がまったくなければ、独りよがりな文章ができ上がってしまいます。

結局、両方が必要なのです。というか、バランスが必要なのです。

もちろん、文章の目的によって、そのバランスが多少どちらかに偏っていることは十分ありえるでしょうし、そのことは否定されるべきだとも思えません。文章の在り方は、開かれています。

それでも、何かを言いたいという気持ちを持って文章を書くならば、そこにある傲慢さに気を払い、バランスを取るために「読者のことを考える」のはたいへん有効だと思います。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

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 3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。
 並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。ハイデッガーの知られざるテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。
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 分析哲学はどのように発展・深化してきたのか? 一貫した視座から分析哲学史を描くとともに独自のプロセス形而上学の構築を試みる。
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 パラドックスはパズルのようなもので,面白いけれども,日常生活とは何のかかわりもないと思われがちですが,日々の会話や生活の中で直面するジレンマの中に見いだすことができます。本書を読み進めていくうちに,パラドックスの解決策は,日常生活と関係があることがわかるでしょう。本書を通してパラドックスの解決策を学ぶことで,日常で直面するパラドックスに対処できるようになるはずです。
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〜〜〜Q 〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 文章を書くのに必要なものがあるとすれば、それは何でしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。
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2019/11/11 第474号の目次
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○「他人のパターンの利用法」 #メモを育てる

○ 「不調期・回復期のタスクリスト」 #タスクリストのつくり方

○「他者への戦略」 #Thinkclearlyを読む


※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「他人のパターンの利用法」 #メモを育てる

前回は、生活のスタイルとメモのパターンについて確認しました。

私たちはさまざまなことを思いつきますが、そこには一定のパターンが現れます。もっと言えば、パターンを見て取ることができます。同種のものとして扱える傾向が立ち現れるわけです。

そのことは、私たちの生活が一定のパターンを持つことと呼応しています。似たようなことを成そうとするから、思いつきの扱い方も似てくる。そんな関係です。

よって、自分のメモにパターンを見つけることが、メモ処理技能向上への第一歩となります。逆に、自分の生活スタイルに合わないパターンをいくら使っていても、メモの扱いはうまくいかないでしょう。それが、既存の情報整理法がなかなかうまく機能しない理由でもあります。

今回は、この点について考えてみましょう。

■最初の一歩としての他人のパターン

最終的に自分のパターンを見つけることが目標だとしても、それはあくまで「最終的に」です。最初の段階では、「自分のパターン」ではないパターンに触れることが必要です。というのも、パターンについてまったく手がかりがない状態なら、「自分のパターン」を見つけ出していくのは至難の業となるからです。

それはたとえば、これから植物を分類しようとしている人が、まず既存の分類を学ぶことに似ています。彼はのちのち自分の分類を立ち上げるのかもしれませんが、その前に先達がどのような分類を行ってきたのかを学ぶはずです。

メモ(思いつき)の扱い方も同様で、この世にどのようなパターンがあるのかを学ぶのが最初の一歩になるでしょう。

■方法論としてのメモの扱い方

とは言えです。

他の人がメモ(≒思いついたこと)をどう扱っているのか、どう処理しているのかは、案外他人から見えにくいものです。何かを思いつき→それを書き留め→実行に移す、という一連の流れの大部分は、目に触れない場所で行われ、私たちが目撃するのは大抵最後の「実行」やその結果だけです。これでは「見よう見まね」で学ぶのは難しいでしょう。

そこで役立つのが、既存のタスク管理・情報整理法です。これらは、大雑把に言えば誰かが考えた「メモの扱い方」です。普段は目に触れない場所で行われることを、可視化し、体系的説明が行われているのがそれらのノウハウなのです。そうしたノウハウは、全体像が示され、どのようなステップで階段を登っていくのかが示されている点で、非常に「参考に」しやすいものになっています。

しかし、それらはあくまで他人の方法でしかありません。別の言い方をすれば属人性の高いノウハウです。ノウハウ提案者とまったく同じ生活スタイルを送っていない限りは、大なり小なりのカスタマイズやアレンジは必要となるでしょう。少なくとも、そういう心構えは必要となります。

■視線を重ねる

とは言えです。

最終的にカスタマイズやアレンジが必要になるにせよ──きつく言えば、所詮それは踏み台でしかないにせよ──他人をノウハウを実践するならば、そのときは真剣に取り組む必要があります。「まあ、適当でいいか」のような姿勢ではなく、自分の眼差しが提案者のそれに重なるように努めるのです。そうしない限り、パターンを見つけ出す目は養われないでしょう。

提案者はなぜこのような分類を立ち上げたのか。そこでどのような扱いを欲していたのか。それに肉薄できないなら、単にノウハウをなぞっただけに過ぎません。習字の宿題で下にお手本を敷き、重ねた半紙の上で筆を走らせるのと同じです。ざっくりした形は整っているが、筆遣いについて何も学んでいない。それではメモ力向上は望めません。

まず、提案者が求めていたことを(体感的に)理解すること。視点を動かすのはその後で十分です。

■よくあるステップとそれ以外のルート

よって、他人のパターン(patterns)の利用法は以下の三つのステップを踏むことになるでしょう。

・ある1つのパターン(≒ノウハウ)の実践を徹底する
・その後、他のパターンを複数試す
・さらに、何かのパターンを軸にしながら自分なりのアレンジを加えていく

おそらくこのように進むのが「王道」なはずです。多くの人が──特に読書によってノウハウを身につけている人が──通る道ではあるでしょう。

が、以上のことを加味したうえで、本連載では別の道を辿ってみます。パターンになりうるものを列挙し、自分でメモ扱いのためのシステムを組み上げる手助けをするのです。つまり、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』が辿ったのと同じルートです。

このルートは少々回りくどくはありますが、ゼロベースで自分の方法を組み立てていくには最適な方法でしょう。

というわけで、そこを最終的な着地点に見据えながら、次回からはさまざまなノート術を探索することにしてみます。

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