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タスクリストは本当に必要だろうか/最近の倉下のリスト事情/残業が当たり前になってはいけない/自分の時間がないんです

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/11/30 第529号

○「はじめに」

今週は告知がたくさんあります。

まず、寄稿した『SF雑誌オルタニア』が発売されております。

大阪をテーマにしたSFということで、自由に書かせていただきました。自分のような生粋の「小説家」でない人間が参加していいのかなと2秒くらい迷いましたが、やっぱり小説を書くのは好きなので、喜んで投稿した次第です。

最近は、めっきり小説を書く機会も減ってしまいましたが、今後もちびちび書いていきたいと思います。

次に、インタビューしていただいた記事があります。

継続的にタスク管理を行うためのコツ、ということで自分のなかではすごく大切なお話をさせていただきました。ポイントは、「続けられなくて当然」という前提から何を組み立てていくか、です。

さらに、ポッドキャストが複数あります。

beckさんとのポッドキャスト、ごりゅごさんとの本についてのポッドキャストも、これから定期的に行っていきますのでお楽しみに。

ちなみに、うちあわせCastでは以前メルマガに書いた「バザール執筆法」について一時間ほど話し込みました。もし、この執筆法に興味がある方は聞いてみてください。理解が深まるかと思います。

それにしても、われながら最近は活発に動いていますね。一年前とは大違いです。元気になってきている証左なのでしょう。

〜〜〜第一章の読み返し〜〜〜

新しく始まった企画の第一章のプロトタイプを編集者さんに読んでいただくために、まずは「通して読める程度の原稿」をこの一週間ずっと書き続けていました。

ラフに書き出し、「素材」を確認して、そこからアウトラインを立てて流れを編集し、それに合わせて文章をもう一度書き下ろす。そういう作業です。

さすがに一度素材を書き出してから立てたアウトラインは、それなりに強固さを備えているようで、二回目の書き下ろしでは、かなり整った文章ができあがりました。細かい部分で修正はわんさかあるけども、とりあえず上から下までつながっていると言える文章がそこにあるのです。

不思議なもので、そう言える文章と、そう言えない文章には、私の感覚として明らかな違いがあります。これはもう、言葉にして説明することが不可能なくらいに感覚的なものです。単に「違う」と感じるとしか言えないのです。

たとえばそれは、読み返しているときに感じます。

たとえばそれは、文章を直そうとするときに感じます。

それまでの、とりあえず素材はあるけども、流れが一本通っているとは言い難い原稿と対峙しているときとは別の感覚が立ち上がるのです。

この感覚のスイッチは、プロセスを一つ前に進めても良いサインです。「ここはとりあえずOK」と私の中の何かがささやいてくれているのです。

とは言え、原稿が十分に整ったからそのサインが出てきたのか、それとも私がそう認識しているからそう感じているのか、原因はわかりません。しかし、こうした感覚の差があることは──一つの目指すべき地点として──理解しておきたいと思います。

〜〜〜講談社文芸文庫〜〜〜

12月1日から、「講談社文芸文庫」の既刊100点がKindle Unlimited(アンリミ)に登録されるようです。これはアンリミのバリューがぐっと上がる案件ですね。

講談社文芸文庫は──文庫本ではありますが──、決して「お安い」とは言えない価格帯なので、アンリミに登録されることで財布に優しくなりそうです。

私は、すでに積んでいる本が山ほどあるので、今のところ登録はしていませんが、こういう古典を少しずつ読み進めていたい層にとっては魅力的なサービスになりつつありますね。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

『大学という理念: 絶望のその先へ』(吉見俊哉)

著者は、東京大学大学院情報学環教授ということで、日本の大学が直面している問題と、来るべき大学の未来像が論じられているようです。日本においては、教養の扱いが軽んじられるようになって以来、こうした問題の深刻さは日々大きくなっていると感じられますが、『独学大全』がすごく売れていることもあり、絶望する話ばかりではないなとも思います。

『「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学』(飲茶)

飲茶さんと言えば、『史上最強の哲学入門』が有名ですが、今回は一冊まるまるニーチェをテーマにした本です。ニーチェの哲学は、むやみやたらに元気が出るタイプの哲学ではありませんが(そもそもそんな哲学があるのかも不明ですが)、不満や絶望に直面したとき、そこから目を逸らすことなく、強さを持って乗り越える際にきっと有効でしょう。

『人間の知恵の歴史 宗教・哲学・科学の視点から(復刻版シリーズ3近代篇)』(大槻真一郎)

「人間の知恵の歴史」。すごく射程の長そうなタイトルですが、実際三巻なる長編作品です。宗教・哲学・科学の営みは、人の生にまつわる謎と立ち向かうための知的な営みですが、そうした謎には客観的な答えが与えられないものも少なくありません。人間の知恵とは、そうした問題にいかに自分なりに答えを与えるのかという姿勢を指すのでしょう。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 日常的にどんなリストを、どんな風に使っておられますか?

では、メルマガ本編をはじめましょう。

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○「タスクリストは本当に必要だろうか」 #タスクリストのつくり方

いきなり挑発的なタイトルをつけてしまいましたが、もちろんタスクリスト(あるいはそれに類するもの)は必要だと私も考えています。

しかし、そのリストの必要性はどのような粒度で、どのような範囲まで広がっているのでしょうか。つまり、すべての事柄に詳細なリストが必要なのだろうか、という疑問が今回の議題です。

では、Let's Study!

■アウトライナーから生まれる疑念

その疑念が生まれたのは、アウトライナーからです。正確に言えば、Tak.さんのアウトライナーの使い方からでした。

アイデアと呼びうる項目に、「★」を記入しておき、あとから検索してそれを手繰り寄せる。この使い方は、きわめて示唆的でした。少なくとも、GTD以来の「inbox」とは別の路線を走っている感触があります。なぜならば、この処理においては、「リストに振り分ける」という行為が発生していないからです。

GTDにおいては、inboxに保存されたアイデアは、その後「これは何か?」という判断を経て、しかるべきリストに「移動」されます。つまり、inboxからはそのアイデアが消え去り、実体を持つリストに存在が移るわけです。

一方、Tak.式の管理では、一日ごとの項目の中に、そのアイデアは保存され、そこから移動することがありません。単に、一つの記号(★)が追加されるだけです。

デジタルツール上では、その差異は感じられないかもしれません。たとえば、GTD方式でも、inboxにある項目に表示されるアイコンをクリックするだけで、別のリストに移動してくれるものがあります。記号を追記するか、アイコンをクリックするかでは、ほとんど変わらないと言えるでしょう。

情報論的に言えば、アイデアにメタ情報を(片方は記号を、もう片方は所属するリストを)追加しているだけであって、その意味では二つの操作は等価と言えます。

しかし、やはりこの二つは同じではありません。なぜなら、Tak.式には実体のあるリストが新しく作られないからです。

■二つのリストの種類

アウトライナー上で「★」で検索した結果は、(よほど変なツールでない限りは)リストとして表示されます。少なくともリストを「要素を一列に並べたもの」だと定義するならば、そう言えます。

しかしながら、検索結果として表示されるリストは「実体」があるものではありません。

ここでデジタルツールにおける実体とは何か、というすばらしくややこしい、そして心躍る新しい問題が提出されるわけですが、たとえばその特徴を「それ自身として中身の操作が可能なもの」としておけば、検索結果のリストは実体があるリストとは言えません。

WorkFlowyやDynalistでは、検索結果として表示されるリストもまた操作可能──たとえば順番の入れ替えができる──ですが、実際やっていることはおおもとのリストを操作しているだけです。つまり、検索結果として表示されるリストを操作すると、検索結果ではないもともとのリストが操作されています。つまり、「それ自身として中身の操作が可能」ではないわけです。

よって、このような一列表現もまたリストとするならば、リストには少なくとも二つの種類があることが見えてきます。非実体的でテンポラリーでシンボリックなリストと、そうでないリストです。

私たちが通常「リスト」と呼び、作成し、操作し、編集しているのは後者のリストで、基本的にGTD系ツールではそうしたリストが主役になっています。一方で、前者のリストは、デジタルツールだからこそ作れるリストであり、(すごくおおげさな言い方をすれば)人類にとって新しいリストであると言えます。

とりあえず、ここでは私たちにおなじみなリストを「パーマネントリスト」、デジタルツールならではのリストを「テンポラリーリスト」と呼んで区別することにしましょう。

■二つの差異は

テンポラリーリストもリストであり、デジタルツールではそれが簡単に使える(≒検索によって情報の抽出が可能)ならば、それをどんどん使っていけばいいのではないか、という仮説が立ちます。

この仮説に反論するならば(仮説を強化するためには、まず反論することが大切です)、パーマネントリストならではの効果があるのではないかを検討する必要があるでしょう。つまり、二つのリストの「効果としての差異」を検討するわけです。

まず、最初に挙げた特徴として「リストそれ自身の編集性」の違いがあります。項目の順番を入れ替えたり、要素を追加できるかどうかが異なるわけです。逆に言えば、そのような操作が不要であれば、二つのリストに差異はなくなります。つまり、「書き込んで、あとから一定のコンテキストに応じて情報を引き出せばよい」という観点においては、どちらのリストでも変わりはありません。

では、他はどうでしょうか。

実は、すでに項目が出そろっている場合では、見えてこない違いがあります。

■リストを書き下ろす

パーマネントリストとテンポラリーリストの一番の違いは、前者はそれを作ることが意識・自覚・意図されている点です。

たとえば、デイリータスクリスト(今日やることを集めたリスト)について考えてみましょう。

それが、パーマネントリストとして作成される場合、新しいリストを立ち上げ、その中に今の自分が今日やろうと思っていることを加えていく操作が行われます。自覚的、自発的、意識的な操作です。

一方で、自分のやるべきことがデータベース的に保存されており、その中で締め切りが今日になっているものや日付が近いもの、あるいは前日の自分がこの日やっておいた方が良いという印をつけたものだけを抽出して、テンポラリーリストを作ったとしましょう。もちろん、そのリストには統一的な自覚はありません。単に、情報が抜き出されているだけです。

つまり、ある項目(タイトル)の元において、パーマネントリストを書き出すことは、ある統一性のもとに情報を確定させていく行為だと言えます。言い換えれば、そこでは思考や気持ちの「整理」が発生しています。

テンポラリーリストには、そのような知的作用・精神作用は発生しません。単に、過去に書いた情報を呼び出しているだけです。

■それぞれのリストの効果的な使い方

以上のようなことを考えると、それぞれのリストの効果的な使い方が見えてきます。

たとえば、パーマネントリストであっても、すでに項目があり、inboxからただコピペなどして移動してくる運用しかしていないなら、テンポラリーリストに変更しても問題ないことがわかります。やっていることが、根源的に同じだからです。言い換えれば、そうしたリストと「検索結果」のリストには違いがありません。

たいていのデジタルツールには検索機能がついているのですから、テンポラリーリスト中心の運用にすることで、どんなツールを使っていても運用が可能となります。タスク管理ツール、情報整理ツールでなくても「管理」ができるのです。

一方で、ある項目や対象について自分の考えをはっきりさせたい、気持ちを整理したい、操作などをして編集していきたいと願うなら、そのときはパーマネントリストの出番です。新しく項目を立て、そこに考えや情報を書き下ろしていきましょう。その行為は、検索結果では決して代替できないものです。

■Go to next

上記のような論考を経て、私のリスト作りやリストの使い方もかなり変わってきました。多くのことは、パーマネントリストを作るまでもなく、テンポラリーリストで事足りるのです。

その辺の実際例については、引き続き下の原稿で紹介していきます。

(下につづく)

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