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正反対と深呼吸

おおむね、私と妻は性格が反対である。

計画を立て、時間に細かく、将来のことをいちいち気にするのが私で、その逆が妻だ。

警戒し、まず距離をとって人と接するのが私で、インファイターのようにぐいぐい踏み込んでいって、あっという間に知らない人と仲よくなるのが妻だ。

結婚して15年くらいになるが、正直にいって最初の頃はそのような彼女の性格にイライラしたことはある。特に、時間わりの話は自分たちだけでなく、約束している相手も関わってくるのでなおさらである。

でもあるとき気がついた。結局それは、自分の正しさを相手に押し付けているだけなのだ、と。

もちろん、私が認識する世界は私にとっての「正しさ」でできているので、それと違うことは間違っているように感じる。でも、その「正しさ」は、正しく感じるだけであって、真理でもなんでもない。

でもって、私は妻とイヤな気分を味わうために結婚しているわけではない。私にとって「正しくないこと」がそこにあるからといって、それを糾弾し、ギスギスした空気を生み出すことが、本当に私たちの生活にとって必要なことなのだろうかと考えたときから、もうイライラは感じなくなった。あるいは、感じたとしても、深呼吸して落ち着く時間を持つことができるようになった。

そうやって、深呼吸してどうでもよくなることは、どうでもよいことなのだ。もちろん、そうやって落ち着いてもどうでもよくないことは、きちんとその胸のうちを相手に伝えた方が良い。でも、そうでないならば、わざわざ自分からトラブルの種を蒔く必要はない。

熱くなっているときに感じていた「でも、正しいのは自分だし」という気持ちがなくなれば、人と人との諍いはずいぶん減らせるものである。

でもって、まったく違う性格をしている人と長年生活をしていることで、自分の性格も結構変わってきたところがある。そう。性格は、生活環境によって形成され、生活環境が変われば、性格もまた変わっていく。それは、永遠に仮固定なものなのだ。

自分が正しいと感じていればいるほど、自分と逆の人たちと付き合うのは難しくなる。でも、自分の逆の人たちと付き合うと、世界はその色合いを増す。見えなかった世界を連れてきてくれる。それは端的にいって素晴らしいことであろう。

だから、イライラしたときは、まず深呼吸することだ。そして、それがうまくできるかを確認することだ。緊張して、息が浅く、早くなっているときは、深呼吸ができない。

イライラを避けることではなく、深呼吸をする余白(マージン)を生活に取り入れることが、「自分」という枠組みを超えていくためには必要ではないだろうか。

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