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繰り返すこと

以下の記事を読みました。

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MECEは、整ったドキュメントを作る際には重要な観点であることは間違いありません。ある種の「整理」において必要な考え方です。

逆に言うと、そうした整理が要請されるくらいに私たちの思考はMECEではない、ということなのでしょう。MECEに考えることができないから、MECEで整理するわけです。

で、MECEにおいては重複は冗長と見なされて切り落とされます。だってもうあるから、要らないよね、と。

ところで、私はよく同一のテーマの新書を複数冊読むことがあります。ぜんぜん知らないテーマに飛び込むときは、このやり方が最適です。

で、同一のテーマの本を読んでいると、「ああ、これはあの本にも書いていたな」という記述にぶつかります。実験の紹介だったり、概念の紹介だったり、文献の紹介だったりと対象はさまざまですが、"よく出くわすヤツ"がそこにはいるのです。

まずその事実から、そうしたものがそのテーマにおいて重要であったり、基礎的であったりすることがわかります。ハイライトされていなくても、私の目(認知)にはそれが光って見えてくる、という寸法です。もし、前の本にも書いてあったから、この本ではそれを削除しますね、みたいなことをAIがスマートにやってくれたら、私のハイライト感はまったく生じないでしょう(AIならむしろ彼らが自動的にハイライトしてくれることはあるでしょうけれども)。

さらに、そうやって何度も同じ紹介に触れていると、なんとなく覚えてきます。「よし、覚えよう」という気合いを入れずとも、徐々に頭に染み込んでくるのです。そりゃそうですよね。だって、時間を置いて「復習」しているわけですから。

よくよく考えてみると、私たちの脳は何か情報に触れたときに一発で覚えることはほとんどありません。よほど生命の危機にかかわる要素でない以外は、何度もそれに触れることによって頭に浸透していくのです。

単純接触効果という概念もありますが、私たちにとっての重要度の判断においては、日常で接触する回数という統計的な処理が背後で働いているのでしょう。

でもってこれは、先ほどの複数冊同じテーマの本を読むというのとまったく同じことです。何度も目にするから、それが頭に入ってくる。人間のナチュラルな情報処理に沿って、話が進んでいます。

だからこう言っていいでしょう。私たちの頭はもともと冗長的に情報を処理するのだ、と。一度だけの体験からではなく、複数の体験から概念を構築し、情報を処理していく。そういう傾向がありそうです。

世界中で一番読まれているであろう聖書だって、毎週新しいストーリーが語られるわけではありません。多くの人たちは、時間を置いて何度も同じ話を読み、そうして心と体にそのストーリーを染み込ませていくでしょう。「読書百遍義自ずから見る」という言葉だってあるくらいです。

繰り返すことの力を侮ってはいけません。情報的に冗長であっても、いや冗長だからこそ為せることがそこにはあるはずです。

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