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それはPV至上主義ではありません

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2019/09/09 第465号


はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

先週は、体調絶不調のため、ほとんど作業できませんでした。よって、今週のメルマガは緊縮号となっております。すいません。

体調次第ではもしかしたら、来週も似たようになるかもしれません。これまたすいません。

とりあえず、体調復旧を最優先課題とします。

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2019/09/09 第465号の目次
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○「それはPV至上主義ではありません」 #やがて悲しきインターネット

※本号のEPUB版は以下からダウンロードできます。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

○「それはPV至上主義ではありません」 #やがて悲しきインターネット

面白い記事を読みました。

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 でも私のなかでのPVは「人気を測る指標のひとつ」でしかなく、直接的なカネ稼ぎの道具としては考えられません。私にとってはいつまでも、古き良きアクセスカウンター時代の数字なのです。
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読みながら気になったのは、ここで書かれていることがはたしてPV至上主義なのかという点です。

もしある人が、PVを「指標のひとつ」でしかないと感じているならば、そしてそれが、アクセスカウンターのようなものでしかないと捉えているならば、そのような人がPVを欲することは、PV至上主義とは呼べないのではないでしょうか。

なぜ、こんなことに拘るのかと言えば、PVの獲得=悪、のような図式ができあがってしまうのはどこかおかしいからです。

それについてもう少し考えてみましょう。

PVが「指標のひとつ」でしかないのならば、それ以外にも指標があるということです。そして、それはPVとは別の価値があるという話にもつながってきます。

では、それ以外の価値とは何でしょうか。率直に考えれば、読んでくれる読者の存在でしょう。PVという数字の先に読者の存在が感じられるから、増えたら嬉しくなる。これは、アクセスカウンターとまったく同じ構図です。

いくらアクセスカウターの数字が増えたら嬉しいからといって、自分でF5を連打してカウンターの数を増やしても虚しいだけでしょう。それで喜んでいたら「自己満足おつ」と言われても仕方がありません。そこに読書は不在だからです。

そして、そのようなF5連打に虚しさを感じるならば、その人はPV至上主義者ではないでしょう。

PV至上主義者とは、「PVさえ増えれば何でもよい」「どのような施策をとっても構わない」と考える人たちのことです。ではなぜ、そのような考え方をするのか。それは、PVが増えることに価値があるからです。

PVの大きさが、直接的に金銭や物品に変換されたり、あるいは自身の人気を表すバロメーターとして機能するからこそ、PV至上主義者は、何をおいてもPVの獲得を目指します。

たとえば、一つのページを過剰なまでに分割してしまう。あるいは、お金を出してフォロワーを買う。そうした行為を通して行われるのは、自分が価値を提供した結果として得られるPVでもフォロワーでもありません。読者を何も喜ばせていないのに(むしろ困らせていることすらあるのに)、PVという結果を得ようとすること。これがPV至上主義です。

逆に、自分がコンテンツを提供し、その結果として応援や投資してくえる人が増えたらいいなと願う人は、決してPV至上主義者ではありません。

つまり、PV至上主義者とは何かの結果としてPVが上がることを目指すのではなく、PVが上がることそのものを目指す人たちのことです。

少なくとも、その観点から言えば、最初に紹介したブロガーの方は、PV至上主義者とは言えないでしょう。仮にPV至上主義者と呼んでしまえば、ほとんど大半のブロガーがPV至上主義者になってしまいますし、そうでない領域は「他の人なんかに絶対読まれたくない」というなんでブロガーをやっているのかよくわからない人だけが集まる場所になってしまいます。こうした分類には、ほとんど意味はないでしょう。

改めて確認しておきましょう。

人気を獲得するためならば、何をしてもよいと考える──つまり手段を選ばない──態度がPV至上主義者です。手段を選ぶかどうか。そこがポイントです。

「手段を使ってはいけない」という話ではありません。人気が出るように活動することは何も間違っていないことでしょう。各企業が自社の商品をプロモーションすることが何も道義的におかしくないのと同じで、ブロガーが自分のブログをひとりでも多くの人に読んでもらいたいと願い、そのために行動することは至極まっとうなことです。大いにやればよいでしょう。

しかし、その願いがある臨界点を超えて、人気が出るために活動することは正義であり、どのような手段をとろうとも理は自分にあると考え始めたら、それはイエローシグナルです。

選んだ手段において読者が軽んじられても構わないかどうか。自分と読者の関係が壊れても気にしないかどうか。それが、PV至上主義者とそうではない人たちの線引きだと思います。

ただし、ややこしいのは、PVを獲得するための方法論が、ごく普通のブログで話題にのぼらないことでしょう。むしろ、そうした方法論は、PV至上主義者の人たちのもとで多く流通してします。

すると、そうしたノウハウを獲得しようと思えば、その集まりに入らざるを得ず、知らず知らず自分のスタイルもそちらに引き寄せられてしまう。そうした傾向があるのかもしれません。

更新数を増やせばアクセスも増える。たしかにその通りでしょう。しかし、そのためにいやいや記事を書いたり、あるいは適当でよいかと記事を投げてしまうのは、はたして読者と自分の関係にとってよいことでしょうか。

もちろん、「想定読者」を気にするあまりまったく文章が書けなくなるよりははるかにマシですが、かといって誰が読んでも気にしない(≒PVが得られたらそれでいい)と適当な文章を大量生産してしまうことは、たぶん、いろいろなものの形を壊してしまうでしょう。

逆に言えば、人気を得たいと想う気持ちと、自分のブログだから自分の好きにやればいい、という二つの間をちょうどよいバランスで行ったり来たいできれば、ブログ更新との付き合い方も変わってくるのかもしれません。

最後にもう一度書いておきます。ブロガーが人気を欲するのは別におかしいことではありません。ただ、そのために、「どんな手段を使うのか」は大切な分かれ道です。

だから、むしろいろいろなブログが、「人気を獲得するために意識していること」をシェアするのは、良いことなのかもしれません。

○おわりに

お疲れ様でした。緊縮版の本編は以上です。

とりあえずの教訓。

「やることがあると思いながら休むのは休養とは呼べない」

以上です。

それでは、来週またお目にかかれるのを楽しみにしております。

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