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小さなお店屋さん

メルマガ 2017/08/28 第359号に掲載したものの再掲。全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

妻との散歩ついでに、近所のケーキ屋さんに入りました。10年近く続いている、いわゆる町の小さなケーキ屋さんです。

狭い店内を占めるのは、大きなディスプレイケースと少々古びたレジ。カウンターの向こうには整然と片付いたキッチンが見えます。営業時間は午後7:00まで。時計の針はすでに7:03を回っていますが、「いらっしゃいませ」と暖かく迎え入れてもらえました。

店内には先客のお客さんがいて、その若い女性がいくつかのケーキを注文しています。スタッフの女性(オーナーの奥さんかもしれません)は、注文を聞きながら一つひとつプレートの上に乗せていきます。

会計が済むと、その若い女性は財布からレシートを取り出して、「これと合わせて会員カードを作って下さい」と言いました。たぶん、購入金額500円分につきスタンプ1つ的な何かがあるのでしょう。

ケーキの包装も合わせて少々時間がかかりそうだと思ったのか、奥からエプロンを着た男性が出てきました。状況証拠と優れた人間観察力から導き出された結論は、その人がこの店のオーナーシェフ(という言い方でいいのでしょうか)だということです。まあ、誰だってわかります。

私は、濃厚チーズケーキ(妻)と、焼きプリン(私)を手早く注文しました。注文を決められる程度には待っていたのです。オーナーさんも慣れた手つきでプレートにケーキたちを乗せ、私に「ご自宅までのお時間は?」と訊ねます。いえ、すぐ近所なので、と私は返事しました。ドライアイスは不要です、という日本語の婉曲表現です。

オーナーさんはもちろん訊ねる必要のあることを訊ねていますが、そこにマニュアル的響きは一切ありません。それを訊くことが必要だから訊いている、というごく当たり前の感覚です。何度となく繰り返される、「ポイントカードはお持ちですか?」「いえ」のやりとりに辟易としている私にとっては、とても気持ちの良いやりとりでした。

チーズケーキとプリンを買って、だいたい500円。都会なら安く感じるかもしれませんが──テレビで東京のデザートの値段をみると仰天します──、田舎ではそれほど安くはありません。コンビニで買うのとほとんどいっしょです。少なくとも「お買い得」とは言えません。

小さな袋を片手に、帰路につきます。少し、ぼんやりと考えました。私はこの小さなプリンに180円を支払った。そのプリンは、あのオーナーさんが自分で作ったものだ。それをお店で売り、お客さんが買って帰る。とてもシンプルで、心地よい関係がそこにはある。不純なものはとても少ない。自分が美味しいと思うものを作り、そう思ってくれるお客さんが自分でお金を払って買っていく。そこにはレバレッジもなければ、ステルスマーケティングもない。機種代0円と複雑な通信費の計算もないし、細かい字で書かれた契約条項もない。

作って、売る。それを生活の糧にして、また仕事を続けていく。

そのとき、「自分がやりたいのは、こういうことなんだな」としみじみと感じました。あのお店のオーナーさんは、おそらく「日本一のケーキ屋になる」といったような野望は抱いていないでしょう。自分が納得できるケーキを作り、それを喜んで買ってくれるお客さんに売る。それで生計を立てていく。そのような「平凡」な想いで仕事をされているのだと思います。

しかしこの高度に集中化され、分業化が進む現代においては、そのような仕方で人生を成り立たせていくことそのものがある種の野望と言えるのかもしれません。こぢんまりとした、でも確固たる野望。そういうのも悪くないものです。

もちろんそれは「願えば叶う」的なものではないでしょう。新しいお店が開いては、ほどなくして閉店していく。そんなことが日本中で繰り返されていきます。「自分のやりたいこと」をやった上で、それを「仕事」にする、つまり生活の糧を得ていくというのは、努力だけではどうしようもなく、たぶん幸運みたいなものも必要になるでしょう。だからこそ、それは野望と言えるわけです。

でも、たぶん鍵は、「小さなお店屋さん」にあります。組織体、集団、グループといったものは非線形であり、規模が大きくなるとその性質ががらりと変わってしまいます。だいたいは官僚的になり、自己保存的になります。「組織のために」やらなければならないことが増えるのです。

もちろん、そうした大きい組織だからこそ達成できることはあるでしょう。その点を否定するのは、さすがに視野が狭いというものです。しかし、別の仕方を持っておくのはいつだって有効なです。特に、その大きな組織故の弊害が鼻について仕方がない人間ならばなおさらでしょう。

大がよいか、小がよいか、という話ではなく、自分がどちらを(あるいはさらに違う仕方を)選ぶのか。単にそれだけの話です。そして、私はこぢんまりした在り方を選び続けることになるのでしょう。

その選択はそんなに悪くはなさそうです。

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