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黎明期ポッドキャストとWebの法則/僕らの生存戦略奮闘記 vol.1

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/02/24 第489号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

はい、今週も短縮号です。短縮号といっても6000字くらいはあるので覚悟してください(何を?)。

体調自体は、心療内科医にいってからだいぶ(というかすごく)落ち着いてきました。ちょっとびっくりするくらいです。ただ、二週間は決して無理をすまいと心に誓ったので(おおげさ)、今週も仕事を詰め込まず、メルマガの原稿に文字も詰め込まず、ゆっくり、ゆったりいきたいと思います。

ちなみに、最近Twitterにあまり顔を出さないのは、体調不良からではなく、自宅のネット回線が激遅だからなので、あんまり心配しないでください。

〜〜〜「ゆっくり」を取り戻す〜〜〜

詳しくは来週号で書くつもりですが、最近の私のテーマが、「ゆっくり」を取り戻す、です。たまたまネット回線が激遅なので、いろいろなことがスムーズにできないのですが、逆に言うと私たちはテクノロジーによって絶え間なく「スムーズ」に動かされすぎているような気がしてきました。

その是非をここで論じることはしませんが、個人的にはなんとなく気持ち悪いというかもったいないような気持ちがしています。ネット断ちとか、そこまで極端な話ではなくても、さまざまなツールや時間の使い方を見直していこうと考えている今日この頃です。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 高性能なAIは「遊ぶ」でしょうか。あるいは彼らは「遊び心」を持つでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/02/24 第489号の目次
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○「黎明期ポッドキャストとWebの法則」 #やがて悲しきインターネット

○「僕らの生存戦略奮闘記 vol.1」

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「黎明期ポッドキャストとWebの法則」 #やがて悲しきインターネット

以下のポッドキャストを聞きました。

この番組の中で、ポッドキャストの良さが語られています。自分が興味あることを手軽に話せること。知人や家族には通じない話でも、それに興味を持つ人に届けられること。たしかにポッドキャストにはそうした魅力があります。

一方で、その魅力は、私がブログに感じている魅力とも見事に重なります。私にとってブログとは、周りの人に話しても関心を持ってもらえないことを、自由気ままに開示できる場所なのです。

この乖離と重複は一体どういうことなのでしょうか。

かつてのブログは自由な場所であり、今は自由な場所ではなくなっている。そして、今はポッドキャストがその役割を担っている。もしそうなのだとしたら、それはメディアの特製ではなく、黎明期にのみ存在できる時間限定の楽園の特性なのかもしれません。

■Webの法則

以前、「Webの法則」というものを考えました。

Webとは、Wild→Entertainment →Businessの頭文字をとったものです。

まず、荒野と呼べる状況があります。まだまったく何も整備されておらず、人もぜんぜん集まっていない状態です。そこで何か面白いことをやっているごく一部の人が盛り上がっているのがWild期です。

次に、その盛り上がりをみて人が集まり始めます。その際は、実に多様な人が集まり、まるで実験しているかのように多様性のあるコンテンツが広がっていきます。参加者同士の相互的な(あるいは連鎖的な)反応も起こり、さらに面白さは拡大していきます。これがEntertainment期です。

その盛り上がりが、ある閾値を超えると、「これはビジネスになる」と目を付ける人たちが現れ始めます。企業から──たいていは広告費の形で──お金が投下され、それを目的としてさらに人が集まってきますが、その反面コンテンツの多様性や、相互的な反応は減っていきます。

なぜなら、「勝つ」ための方程式が模索され、それが普及・固定化するからであり、さらに言えば、パイが限られているので「みんなでうまくやる」よりも「俺が独り占めする」力学が働き始めるからです。それがBusiness期です。

ブログはまさにこのルートを辿りましたし、ニコニコ動画・YouTube・Instagramなども、程度の差はあれ似た道を辿っていくのでしょう。

そのこと自体は、避けがたいものかもしれません。お金が入ることでプラットフォームが維持される側面もあるでしょうし、クリエーターに対価が支払われることは悪いことではありません。しかし、そのようなマネーが流れ込んでくることで、プラットフォームの力学が動き、それに伴い価値観も変動してしまうことが気になります。

■支配される価値観

現に、いまだってブログは自分が興味あることを手軽に開示できる場所ではあります。そのように運用している人だって少なからずいらっしゃるでしょう。でも、その人たちの心には、「自分は何か間違ったことをしているのではないか」「自分は負け組なのではないか」という影がさしているかもしれません。それが価値観が変動してしまう、ということの意味です。

ゲームの世界では「ガチ勢」という言い方をします。そのゲームの攻略に本気で取り組んでいる人、という意味合いです。対比されるのは「カジュアル勢」で、こちらは単に楽しめればそれでOKで、とことんまでやり込むつもりはない人たちを指します。

もちろん両者に優劣はないでしょう。ゲームに対する姿勢が違うだけです。

しかし、言葉は怖いものです。「ブログ」(ないしは「ブロガー」)という言葉の流行と力学の変動に伴って、それに内在する価値観や姿勢も一緒にシフトしていきました。今では、ブロガーとは積極的に情報発信をして、それでお金を得ることを「目論んでいる」(露悪的に書きました)人たちのことなのです。その価値観が、一つの物差しになり、他のブロガーも自分を測ることなります。

それって、ほんとうに、考えうる限り、最大限に、目一杯に、つまらないことです。

片方にブログでお金を稼ぐ人たちがいて、もう片方にブログでお金を稼ぐことを特に目指さない人たちがいる。それぞれに姿勢も価値観も異なる。

ただ、それだけのシンプルな事象が、「ブロガー」という言葉で統一された世界では発生しません。むしろ、ぐいぐいブログでお金を稼ぐ人の方に引っ張られていきます。なぜなら、(大きな声では言いたくないですが)お金には力があるからです。流れ込んでくるマネーパワーの前で、人の声は自然と大きくなります。沈黙は金なりという言葉がありますが、金は人を雄弁にさせるのです。

それまで楽しい喫茶店だった場所が、あらくれものが集まるギルドの集会場になるとき、力を握るのは一番大きな声で場を動かせる人たちです。そんな場の中で、これまで和気藹々とやっていた人たちは隅の方で肩を竦ませているしかありません。

もう一度言いますが、それって本当につまらないことです。

■隠れ家的

現状のポッドキャストは、検索で見つけにくく、またお金を生み出しにくい状況になっています。おかげでイケダヤハトさんを筆頭とする人々が「今はポッドキャストの時代」などと叫ぶ状況にはなっていません。

これはポッドキャストを運営している人間にしてみれば、少し寂しい状況かもしれません。でも、着実にポッドキャストを運営する人は増えていますし、Wild期からEntertainment期に移行しつつある感触も感じます。ブログに置き換えれば、一昔前のアルファブロガーがいた頃が近しいかもしれません。

今このタイミングだから生まれるコンテンツやコミュニティーというものがあるのでしょう。しかし、より多くの人が集まり、一度そこにお金の匂いを嗅ぎとった人たちが集結し始めれば、再び力学はシフトを迫られるでしょう。

だとすれば、隅で肩を竦ませている私たちのような人間は、流転し続けるしかないのでしょうか。荒野からまた荒野へ。そういう旅自体も、少し楽しいものではあります。

ただ、テキスト→音声→写真→動画と、主流のメディアがよりリッチな方へと動いている中で、再び音声というさほどリッチでもないメディアが復興しつつある点は、多少の期待を持たせてくれます。

もしかしたら、ポッドキャストは今のままで楽しく・面白く発展し続けるのではないか?

もしそうだとしたら、Webの法則とは別の分岐が待っているのかもしれません。そうなることを強く願っています。

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