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梅棹のカード法/贔屓レビューのはざま

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/10/21 第471号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

今週は体調不良のため、緊縮号です。二つの連載でお送りします。

「はじめに」もカットでございます。

では、まいりましょう。

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2019/10/21 第471号の目次
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○「梅棹のカード法」 #メモの育て方

○「贔屓レビューのはざま」 #やがて悲しきインターネット

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「梅棹のカード法」 #メモの育て方

前回、前々回とカードを使った情報整理・管理法について見てきました。板坂のカード法も、PoICも実用的な見事な方法です。しかし、この二つだけがカード法ではありません。今回は、また違ったカード法について紹介してみます。

■梅棹のカード法

さて、カードを使った情報整理・管理法といってまっさきに思い浮かぶのが梅棹忠夫のカード法かもしれません。なんといっても『知的生産の技術』は有名ですからね。

ではなぜ、梅棹のカード法を最初に取り上げなかったかと言えば、その管理法について梅棹の言及が非常にざっくりしているからです。彼は、なぜノートではなくカードを使っているのかを力説していますし、カードをどのように書けばいいのかも解説してくれていますが、その「取り扱い方」についての言及はたいして多くありません。その意味で、「メモの育て方」を研究する出発点としては不十分だと感じ、あえてあとに回した次第です。

では、梅棹がカードの取り扱い方についてどのように述べているか、少し引用してみましょう。

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 さて、カードができたらカード・ボックスにいれる。
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 こういうわけだから、カードが何枚たまっても、その分類法についてあまり神経質になる必要はない。
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 ある意味では、それは分類というようなものではないかもしれない。知識の客観的な内容によって分類するのではなく、むしろ主体的な関心のありかたによって区分するほうがいい。
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 くりかえし強調するが、カードは分類することが重要なのではない。くりかえしくることがたいせつなのだ。
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どうでしょうか。これらの文章を読んで、どのようにカードを取り扱えばいいのかの具体的なイメージが浮かぶでしょうか。なんとなく、「大きなカード・ボックスにカードを入れ、それをくりかえしくる」というイメージは浮かびますが、もう一歩踏み込んだ状況まではわかりません。

たとえば、「主体的な関心のありかたによって区分する」とありますが、その区分はどのように実装されるのかが曖昧です。区分ごとにカード・ボックスを分ける? それとも仕切り板などのようなものを設けて一つの箱に収める? どちらともとれる表現なので、はっきりしたことはわかりません。

■多様なカードの用途

さらにやっかいなのが、梅棹が想定するカードの用途です。以下のようにあります。

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 知的生産の技術としてのカード・システムは、さまざまな場面で、さまざまな方法で、つかうことができるだろう。研究の過程も、結果も、着想も、計画も、会合の記録も、講義や講演の草稿も、知人の住所録も、自分の著作目録も、図書や物品の貸出票も、読書の記録も、かきぬきも、全部おなじ型のカードでいける。
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たしかにその通りでしょうし、実際私もEvernoteに上記のようなさまざまな「情報」を保存しています。これらの情報を「全部おなじ型のカード」で保存することはまったく問題ありません。しかし、そうした多様なカードはどのように保管されるのでしょうか。

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 かくときには、内容による区別をいっさいしないほうがいい。おなじ種類のカードに、とにかく、とりあえずかくのである。分類するなら、カード・ボックスにいれるときにする。
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ここでまた、分類についての言及があります。この〈分類〉も、おそらく「客観的な内容」にもとづくものではなく、「主体的な関心のありかたによって」なされる〈区分〉のことを意味しているのでしょう。

しかし、仮にそうだとしても、「分類するなら、カード・ボックスにいれるとき」という行為の具体的なイメージは湧いてきません。いったいたくさんの用途で作成されたカードたちは、どのように保管されるのでしょうか。

■持ち運ぶ?

ここで、ヒントになりそうな一文を引いておきます。

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 それから、カードをじょうずにつかえばつかうほど、カードの枚数がふえる、ということがある。場合によっては、二、三百枚ものカードを、もちはこびしなければならぬことがある。
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たとえば、この「二、三百枚ものカード」は、書籍や論文のネタになるようなカード群でしょう。少なくとも、会合の記録や知人の住所録や図書や物品の貸出票が含まれていることはなさそうです。

だとすれば、梅棹のカード法は、すべてのカードを一つの箱に収めて管理するのではなく、ある程度の〈区分〉ごとにカード・ボックスを持つタイプだと予想できます。使うカード自体は一種類であり、そこにあらゆることを書き込むが、その保管については、〈区分〉にもとづいて、別の箱に収納する。おそらくは、そのような形でしょう。

■カードとデジタルツール

先ほども書きましたが、そのような管理方法は、デジタルツールであるEvernoteにおいて簡単に実現できます。一つのアプリだけで多様な情報を管理でき、さらにそれをノートブックという箱に仕分けして管理する。まさに理想的な形でしょう。

ただし、そうして作られるノートブックが、「知識の客観的な内容によって分類するのではなく、むしろ主体的な関心のありかたによって区分」しなければいけない点には注意が必要です。案外、情報整理・管理で躓くのはこの点かもしれません。

もう一つ、大きな問題は、Evernoteでは、カード(ノート)を「くれ」ないことです。

カードを使う一番の目的である「くる」ことができない以上、Evernoteは(なかば必然的に)情報を貯蔵するためだけのツールになりがちです。この点には注意が必要ですし、またEvernote以外のツールを使う上でも気に留めておきたいところです。

■さいごに

梅棹のカード法はあまりにも有名なので、今回は詳細には触れませんでした。詳しく知りたい方は、ググるか『知的生産の技術』を直接参照してください。現代においても、十分読む価値のある一冊です。

さて、これで主要なカード法は紹介できました。次回はいくつか拾い切れなかった話をまとめておきます。

(つづく)

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