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アウトプットとそのボトルネックの解消

『ザ・ゴール』は名著である。少なくとも、数あるビジネス書のうち「読む価値がある一冊」に上げられる本なのは間違いない。

その『ザ・ゴール』にはTOCという概念が出てくる。Theory of Constraints(制約条件の理論)の略だ。業務プロセスが連結下にあるとき、全体のスループットは、各プロセスの中で一番低いプロセスに制約される、という考え方で、その一番低いプロセス部分が「ボトルネック」と呼ばれる。ビンで口の近くの狭くなっているあの部分のことだ。

たとえば、バケツリレーを思い浮かべてみよう。AくんからDくんまでが水の入ったバケツ回していく。しかし、Bくんが極めて非力であり、他に比べて半分の水しか持てないとする。すると、どれだけAくんたちが頑張ってもBくんのところで、バケツの水が半分捨てられてしまい、望むような結果にならない。むしろ回数を増やせば増やすほど捨てられる水の量が増えてしまう。工場運営においては、この水が加工処理待ちの原材料であり、過剰在庫となる。過剰在庫は、バランスシート的にマイナスに機能する。よろしくないのだ。

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さて、読書の話に移ろう。

バケツリレーの場合、A〜Dくんは別人であったわけだが、本を読み、そこから何かを生み出す場合(つまり知的生産行為の場合)それらは同一の人間である。

で、引用した記事にもあるように、アウトプット(≒価値ある何かを生み出すこと)は、基本的にとっかかりにくいものである。

インプットに比べてアウトプットは作業負荷が高い、心理的抵抗が強い、難易度が高い、からです。

そうなると、相対的に作業負荷が低く、心理的抵抗が弱く、難易度が低いインプットが取りかかりやすいタスクになります。

そうなると二つのことが起きる。一つは、時間と共に「処理していない本」が増えていき、それはいわゆる「膨大すぎるタスクリスト」と同じ効果をもたらす。実行をむしろ阻害するようなタスク管理現象である。

もう一つはひどく単純な話で、一人の人間が本を読む時間を増やせば、何かを書くための時間が減る、ということだ。つまり、Aくんが頑張れば、Bくんがこの世に顕現できる時間が減ってしまう。つまり、ボトルネックがさらに細くなる。

これでは「詰まり」はいつまでたっても解消されない。

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では、どうするか。

一つには、「連続したプロセス」という考えを捨てる方法がある。

無論、読めればそれで終わりなので、ストレスはない。
書きたくなったら書けばいい。

この方法であれば、心理的なストレスはたまらないだろう。ただし、アウトプットは増えてはこない。

では、アウトプットを増やしたい場合はどうすればいいか。たとえば、徳力メソッドがある。

1. タイトルで言いたい事は語り尽くしてしまう
2. 本文は単に思い付いたことをつらつらと。
3. 締まらない締め方、何もまとめずに終わる

別の言い方をすれば、「メモ」でいいと割り切るということだ。

たしかに、「インプットに比べてアウトプットは作業負荷が高い」わけだが、それは変更不可能なわけではない。私もR-styleに書評記事を書くのはなかなか気重だが、Honkureとなると少しマシになるし、ツイートやScrapboxへの記述なら、さらにぐっと楽になる。スループットが上がるのだ。

「いやでも、メモなんて知的生産としてはどうなの?」

という声が(心のどこかから)聞こえてくるかもしれないが、まさにその声がアウトプットの負荷作業を上げてスループットを落としている原因なのである。

もし、目的がアウトプットを生み出す中で、その対象についてより深く(あるいは広く)考えることであれば、それは書評記事という体裁をとっている必要はどこにもない。徳力メソッドの「メモ」でも十分に意味がある。結局そうした「メモ」を書く中でも、何かは考えているわけだから。

むしろ、「記事」を崇拝しすぎて、まったく手付かずになっているくらいなら、いっそ「メモ」の気分で、アウトプットの列車を走らせてしまった方がいい。こういう言い方はあまり好まないが「何も書かないくらいなら、メモを書いた方がはるかにマシ」なのである。

当然、それが「メモ」であっても、書くのには時間がかかる。つまり、Bくんを顕現させなければならない。総合的なインプットの時間は減るだろう。そういう覚悟は必要だ。

でも、私に言わせてもらえば、メモを書くような気持ちが起こらないものをどん欲に摂取したところで、知的生産的効果はあまり上がらないと思う。別に暇つぶしでそれをやっているならばそれで構わないが、何かを欲して行っているならば、インプットとアウトプットのバランスを考え、たとえメモ的であっても積極的に書き出していく選択をした方がよいだろう(少なくとも、最近の私はそうしている)。

ちなみに、文章を書くのが面倒なら、その本について話してみるだけでもずいぶん違う。それはポッドキャストであってもいいし、zoom読書会であってもいい。そうやって語ろうとすると、いかに自分が理解できていないかが痛感されて、よりその本の世界に潜っていきたくなるので実によろしい。むろん、それに値する選書ができていることが前提ではあるが。



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