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#7 大好きだった人に会いに行こうと思います

こんにちは。昨日からぐっと暖かくなりましたね。花粉症なので春は苦手ですが、桜が咲くのが楽しみです。

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突然ですがみなさんは、誰かの死に直面したことがあるでしょうか。誰しもが歳を取るし、病気にもなりうる。死というのは平等に、必然的に訪れるので、そこに立ち会うことも大人になるにつれ多くなると思います。

わたしも覚えているだけで4回、お葬式に行きました。

父方の祖母、祖父、友人のお父さん、そしてもう1人は、幼馴染のお母さん。幼馴染はY君といい、兄の同級生でした。Y君の家は、わたしたちの家から徒歩1分。兄だけでなく、わたしとも、妹ともよく一緒に遊んでくれる優しいお兄ちゃん的存在でした。だけど彼以上に、わたしは彼のお母さんに懐いていました。

優しくて穏やかで、褒め上手で、温かい人でした。クリスマスにもらったプレゼントも、学校でとれた野菜も、褒めてもらえるからと彼女に見せに行っていました。「かわいいね」「すごいね」と頭を撫でてくれる彼女のことが大好きでした。

ある日、Y君の家に、コーギーの”イヴ”がやってきました。小さくて可愛い子犬に、Y君も兄やわたしも大はしゃぎで、毎日一緒に散歩に連れて行きました。庭には、Y君のお父さんが作ったという立派な犬小屋もありました。
休日には、「海に行くから一緒においで」「博物館に行こう」とY君家からよくお誘いがありました。

可愛いワンちゃんがいて、毎週のように遊びに連れて行ってもらっているY君のことが、すごく羨ましい。一人っ子っていいなあ。わたしは当時そう思っていました。

Y君のお母さんと一緒に出掛けた最後の思い出は、鳥栖のアウトレットのプレオープンの日です。冬の寒い日、イルミネーションが光るお店の間を、一緒に歩きました。”銀だこ”を初めて食べました。あの日の記憶は、驚くほど鮮明です。

そのすぐ後から、彼女と会えなくなりました。
「病気になっちゃったから、しばらく入院するんだよ」と母から聞きました。Y君はよくうちにご飯を食べにくるようになり、Y君のお父さんは毎日忙しそうに見えました。

彼女は、末期の乳がんだったそうです。

わたしが次に彼女に会ったのは、彼女のお葬式でした。
2004年の年末、祖父母の家に遊びに行っていた時、母のもとに電話で訃報が入りました。母は泣いていました。わたしは、母が泣いていることが悲しくて泣きました。「彼女がもういない」という事実は、その時のわたしには信じがたいことでした。

お葬式には、たくさんの人が参列していました。
「お母さんは、自分が長く生きられないことを知っていたから、たくさん遊びに連れて行ってくれました」涙ひとつ見せず長い"お別れの言葉”を述べたY君は、この数年間、どんな気持ちで彼女と過ごしてきたのでしょうか。彼女は、どんな気持ちでY君と過ごしたのでしょうか。

わたしはそれから、Y君の家に行けなくなりました。家の前を通るとイヴが駆け寄ってきましたが、それすらも辛くて、日課だった散歩にも行かなくなりました。

彼女が亡くなった年、ORANGE RANGEの「花」という曲が流行っていて、テレビでもよく流れていたし、Y君のお父さんの車でもよくかかっていました。

わたしたち家族は、しばらくこの曲を聴くことができませんでした。特に母は、この曲が流れるといつも泣いていました。

あれから17年が経ちました。

先日この曲がテレビから聴こえてきたのをきっかけに、母と久しぶりに彼女の話をしました。母はやっぱり寂しそうな顔をしていましたが、でもようやく「楽しかった思い出」を話すことができました。

いつの間にかイヴはいなくなり、犬小屋もボロボロになっていて、Y君も県外に住んでいると聞きました。
それくらい、たくさん時間が経ってしまいましたが、次の彼女の命日にはお線香をあげにいこうと思います。

花びらのように散ってゆく事
この世界で全て受け入れてゆこう
君が僕に残したモノ
“今"という現実の宝物
だから僕は精一杯生きて 花になろう

花/ORANGE RANGE

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一生懸命に生きる人がいる一方で、罪のない人の命を奪う戦争が起きていることを本当に苦しく思います。みんなが暖かい場所で、家族と安心して眠れる日が一刻も早く訪れることを願っています。

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