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私たちのDNAは「自律と共有と平等」で出来ている ~遊びが学びに欠かせないわけ 読書レポ~

遺伝子学的に、私たちはみな狩猟採集民です。…もし、人類の歴史を100万年とした場合、その99%は狩猟採集民として過ごしてきたのです。
「遊びが学びに欠かせないわけ」より(以下同)

昔から、好きな動物は「オランウータン」。マレー語で森の人の意味。映画ナウシカで気になるのも、「森の人」。全てを悟ったかのように、森と共に生きる人に、なんとなく憧れを感じていました。

そんな私に、民俗学を学んでいらっしゃった先輩が紹介してくださったのが「遊びが学びに欠かせないわけ」という本。

狩猟採集民がこんなにも豊かな気持ちで生きていたのだと感銘を受けました。それから狩猟採集民系の本を読み続け、彼らの持つ技術や知識、精神性にメロメロに惚れました(笑)。さらに彼らの子育てのスタイルを、現代に生かせることも多々あるのではないかと思うようにもなり、親子キャンプ活動に繋がっているところもあります。

狩猟採集時代に戻る事だけが正解ではないと思っていますが、私たちのDNAに刻まれた記憶にちょっと想いを馳せることで、見えてくることもあるのではないかと思い、今年最後のnoteを綴ってみます。

自律・共有・平等の狩猟採集時代

「遊びが学びに欠かせないわけ」の著者は、アメリカ在住の、ピーターグレイ氏。ボストンカレッジ心理学教授です。この本では、狩猟採集時代から始まり、現代に至るまでの教育の変遷を辿っていきますが、その中で最も重要なパートを占める狩猟採集時代について、書いていきたいと思います。

狩猟採集時代の研究は、現存する狩猟採集民の生活を調査し、そこから昔の時代を推測するという方法でなされるそうです。

彼らはだいたい20~50人程度の集団で生活をしているそうです。男性は狩り、女性は採集や料理などをするのが一般的。狩り、採集ともに膨大な知識とスキルが求められるそうです。例えば足跡一つから、動物の種類、大きさ、いつそこを通ったのか、仕留められそうな健康状態なのか、などを見分けられるとのこと!恰好良すぎます。

しかし、労働は、一日、2,3時間くらい。自分たちに必要な分しか働かないそうです。食料を確保しすぎても腐るだけ。森と共存することが必要なのです。ですから、労働以外の時間は歌ったり、おしゃべりしたり、自由に過ごしたりするそうです。

そんな彼らの社会的な価値観は以下のようだったそうです。

彼らのことを調査したほとんどの研究者が言及する彼らの核となる社会的価値は、「自律(個人的自由)」、「共有」、そして「平等」です。近代的な民主的社会に生きる私たちにも、一般的にはこれらの価値をもっていますが、狩猟採集民のこれらに対する理解と重きの置き方は、私たちのとは比べ物になりません。

~自律~
…狩猟採集民の自律の感覚はあまりに強いので、誰かに何かをするように言うことは控えます。他人の自由に鑑賞しているように思われるのを避けるために、互いにおせっかいな忠告をいうことも差し控えるのです。子どもを含めて、誰もが自分の選択が他人の自由や社会的なタブーを犯さない限り、毎日何をするかは自分の判断で決めます。

~共有~
…経済的な観点から見ると、共有することこそが狩猟採集民のバンドの目的と言えます。…私たちにとって共有は将来的には何らかのお返しを期待しています。それに対して、狩猟採集民にとって、共有は気前のよさでも、潜在的な取引の要素もありません。単純に、義務なのです。他の人よりも多くをもっていた場合は共有することは当然のこととされており、それをしなかった場合は、冷やかされたり、軽蔑されたりするのです。

~平等~
…誰のニーズも同じように大切で、誰かが他の者よりも優れていると思われることはなく、誰もが他の誰かよりもたくさんのものを持っていることはない、という意味です。このような平等は、彼らの自律の感覚の一部なのです。…もちろん、狩猟採集民も、中にはいいハンターや植物を採集する人、いい交渉ができる人、いいダンスが踊れる人などがいることは認識しており、それらのスキルには価値を置いています。それでも、彼らは能力を見せびらかしたり、自分の優位性をあからさまに表したりすることは強く非難します。…自慢したり、共有しなかったり、タブーを犯したりしたときは、冷笑されたり、嫌われたりします。

自分のことは自分で決め、相手の自由も尊重し、食べ物やスキルなどすべて共有し合い、全ての人のニーズが同じように大切だと考えられて尊重される社会。もちろん生活自体は不自由や不快な事、病気など様々なこともあったでしょうが、なんだか夢のような社会に聞こえてしまいます。

「自由、共有、平等」と聞くと、まだ見ぬ新しい目指すべき社会のように感じてしまいますが、実は我々が本来持っていたものなんですね。だからこそ、現代とのギャップに疲れてしまう。心の奥底で、本当はそうありたいと、叫んでいるような気がしてしまいます。

寛大さと信頼にあふれた子育て


そんな狩猟採集民の子育ては、寛大で信頼にあふれた子育てをしているそうです。

狩猟採集民の社会で、親の子どもの扱い方を説明する際に、研究者によってよく使われる言葉は、「寛大」です。しかし、より適切な言葉は、「信頼にあふれた」だと私は思います。…
子育てと教育観の中心になる信条は、
・子どもの生まれもった才能を信じる
・本人の意思に従って行動できるようにすれば、子どもは学ぶべきことを学ぶ
・子どもがスキルを身につけ、十分に成熟した段階で、子どもは自然にバンドの経済的活動に貢献し始める。

…具体的に言うと、(以下抜粋)
・狩猟採集民は子どもに命令をすることはない。たとえば、寝る時間を知らせる大人はいない。
・ブラジルのパラカナの大人たちが、子どもたちの生活に干渉することはない。大人たちは、子どもをたたいたり、叱ったり、肉体的にはもちろん言葉によっても攻撃的に接することもない。あるいは、褒めたり、子どもの成長の経過を迫ったりすることもしない。
・カナダのイヌイットは、自分の肉体的な能力が許す範囲で身の回りの環境を探索することを許されている。子どもが何か危険なものを拾ったとしても、一般的に子どもが気のすむまで探究させている。子どもは自分がしていることを理解しているとみなされている。
・アボリジニーは過剰なほどに甘やかされている。授乳を4歳か5歳まで続けることもある。

生まれ持った才能を信じ、子どもの自主性を重んじる。まるで現代の子育て本で書かれているようなことを、実践していたそうです。

本来はこういった世界観をDNAに持ちながらも、現代社会に適応するために、子どもたちは様々な能力を獲得していかねばなりません。そこにしんどさを感じる事があっても当たり前だなと思うのです。

また、狩猟採集民はその集団内で子どもを分け隔てなく育てていたそうです。むしろ子育てを共有することで、発展してきた私たち。子育ても共有しあって生きていきていくことを、本来我々は望んでいるんだと思います。

遊びを通して学ぶ子どもたち

大人になってから必要な知識とスキルを子ども達は遊びながら学ぶそうです。

狩猟採集民の男の子と女の子は、多くの場合、性別で分かれます。
男の子は、3歳ですでに小さな動物や互いを追跡したり、つけ回して遊びます。小さな弓矢で動かない的や、チョウやカエルを打ちます。
8歳か9歳までには、すでに小さな食べられる動物を殺しています。…そして16歳ぐらいまでには、遊びの感覚をまだ残しながらも、狩猟旅行の完全な一員になっています。

植物性の食料の採集にも同じようにたくさんの知識とスキルが必要です。…女の子たちは物語を聞きます。母親や他の大人の収集旅行に参加します。キャンプで大人たちが料理しているのを見ます。そして、可能ならば手伝います。…女の子は収集をしたり、食事を作ったり、赤ちゃんの世話をしたり、主に女によって行われる活動をして遊びます。

彼らの遊びはすべてが異なる年齢の子たちが混ざったグループで行われます。遊びの中で、小さい子は大きな子からスキルを学び、大きな子は小さい子の面倒をみることで、リーダーシップや心遣いの仕方を練習します。
…異年齢での遊びは、競争的な部分は弱く、互いに育て合う部分が強いのです。…誰もが見えるような形で他の子に勝ったり、打ち負かしてはいけないという特徴もあります。
遊びを通して、互いが対等に、全員のニーズと欲求をみたすという価値観を学んでいきます。

見本となる大人がいて、それを遊びながら真似をして学んでいく。
目の前にいる大人の真似を、自分たちなりに創意工夫して真似ていく。そして、異年齢での遊びによって、互いに助け合ったり、共有したり、互いのニーズを満たすことで、社会的な価値観も学んでいきます。

無理に何かを教え込まなくても、憧れとなる人がいて、助けられ、大事にされる中で、今度はそれを自分より小さな子に伝えていく。そんな循環が出来ていたんだろうなと思います。

「自由、共有、平等」という価値観を持ちながら、憧れる大人やお兄さんお姉さんがいる。そんな中で、自分のやってみたいように存分に挑戦できるという環境。そんな環境を子ども達に作っていきたい。その想いが、私が今行っている「きのこのこのこキャンプ」という活動理由の一つでもあります。

最後に

狩猟採集民の世界、私たちの祖先が生きてきた世界。私は誇りに感じるようになりました。この後の農耕から貧富の差が生まれるという話になっていきますが、でも、全ては先人たちが目の前の困りごとをひとつずつ解決してきた結果。なんとかよりよい生活に、より幸せにと願って歩んできた道の先に私たちはいる。

そんな人類の歴史も、地球の歴史からすればほんの一瞬。
そんな地球のちょっとした気まぐれで大噴火が起きれば、多くの生命はあっという間に命を失うし、宇宙の気まぐれで隕石が当たれば地表の生命は全滅するかもしれない。

私たちは、どれだけ宇宙に、地球に、他の命たちに、先人たちに守られて、今生きているんだろうと気が遠くなりそうになります。

自分が生かされていることに感謝をする。そして、よりよい未来に向けて、一歩一歩進んでいく。DNAに刻まれたものを感じつつも、新しい世界にわくわくしながら。
そんな風に過ごしていきたいなと思っています。

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