『男たちを知らない女』レビュー
『男たちを知らない女』
クリスティーナ・スウィーニー=ビアード (著) / 大谷真弓 (翻訳)
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新型コロナ禍の渦中に書かれたパンデミックSFです。
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とてつもない感染力をもつ、イギリスを発生源にしたこの疫病は、女性には健康被害を与えないかわり、感染した男性のじつに9割を死に至らしめます。
この疫病の第一発見者であり、早い段階で危険を察知し独力で感染経路までも特定した優秀な女医が警鐘を鳴らしたものの、関係機関(の男性たち)は女性特有のヒステリックなたわごととして一笑に付して取り上げませんでした。
結果、世界中にパンデミックが巻き起こり、男性はその9割を、人類はその構成のおよそ半数を失うことになってしまいます。
イギリスはもちろん、男性社会である世界の国々のすべてがまたたくまに機能不全に陥り、軍隊も行政も警察機関も、医療現場も機能しなくなっていくのでした。
この悪夢としか言いようのない悲劇に、最愛の夫、息子、父、兄や弟を喪っていった多くの女性たち(一部男性あり)の視点を切り替えながら綴られていくモキュメンタリー(架空のドキュメンタリー)です。
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新型コロナウイルスによるロックダウン中の2019年に書かれたこの小説は、見るからにパンデミックもので、タイトルからはジェンダー&フェミニズムSFなのだろうと当初思って読み始めたのですが、(そうした視点もたしかにあるものの)パンデミックによる社会パニックの様子はわずかで、あとほとんどは女性個々人による、個人の中での、世界全体から見ればとても小さくて、しかし個人の観点からみれば巨大な(それこそ人生や自分の命と引き換えにしても惜しくはないほどの)「喪失」の思いが次々と描かれて続けていく、なかなか心にクル小説でした。
9割という絶対的な死亡率そのままに次々と舞台から去って行く男性たち。自分は安全で生き残れると解っていても、パートナーらと死別することが納得できない、できっこない多くの女性たち。
幸運にも夫や息子が生き残っている夫婦に対して嫉妬や怨嗟の目を向けることを、いけないとわかっていてもやめられない未亡人たち。
彼女らのこうした気持ちや心の動きは、感情というより人の本能に根ざしているのでしょう。
管 浩江さんの解説に『この作品に対する感想によって、読者それぞれの人生の幸福度が計れてしまうと思う』という言葉がありました。
女性でも、男性でも、自分の性が、またはパートナーの性がいやおうなく世界から消えてしまうのが現実であると知ったとき、人はどう行動し、自分や相手、そしてその先にある社会を守ることができるのでしょう。また、その喪失の衝撃をどう乗り越えていったら良いのでしょう。
すべてにふさわしい完璧な答えなんてものはないと思いますが、男を失っていった女たちが、その喪失という衝撃と深い悲しみを経て、小さな歩幅の歩みであったとしても、やがては雄々しく(って日本語どうなの? って思うけれど)立ち直り未来へと歩いていく姿は、読者が女性か男性かにかわらずカタルシスを感じられることとおもいます。
同時に、社会が変わっていくことで、「人間」と言えばすなわち「男性」(man)だった時代は去り、「女性」のことを、いえ、女性を主とした人間種を指す。と、社会通念が変わっていきます。もちろん、とてつもない犠牲を払った上でのささやかな改革なのですが……。
本書の原題、"The End of Men" に込められた意味もあわせて考えると、この意識の改革には多くの(知らず知らずのうちに)抑圧され虐げられている人々に、本来当たり前であるはずの解放感も与えてくれているのだと思えてきます。
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ようやく、現実世界でもコロナ禍は過ぎていこうとしています。(事実上去った、とされているようですが、ほんとかな?)そんなことあったっけ? と、まるで過去のことにしようとしていますが、世界や社会にも、我々の心にも、やはり傷跡は残されているように思います。その傷の記憶を忘れるのではなく、なんとか折り合いをつけて乗り越えていかなきゃという時代ですね。
本書は、現実世界よりも過酷だった性質の疫病禍を乗り越えた、弱弱しくとも、女性なりのしなやかでしたたかな事例の数々が、ごくごく身近な人々の営みとして記されています。
コロナ禍が過ぎた(ことになっている)今こそ、このありえたかもしれないモキュメンタリーは、男女の性別に拘らず、人類を構成する人々個々の心のありようとして読んでおくと良いのかも。とおもいます。
※現在進行形だったり、まだ喪失の記憶が生々しい人には、つらい出来事をおもいだすかもしれず。あえて必読とは言わないでおきます><
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