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誇張し、断言し、反復せよ!

こんにちは、らるです。

今日は「群衆」を動かすには
誇張、断言、反復 が必要。

という話を含めて
『群衆心理』
第一篇 第二章 群衆の感情と徳性 
紹介します。

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前回は前半2つをとりあげたので
今日は後半の3つをとりあげます。

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・感情が極端、単純

疑いも口に出されると
それが、たちまち異論の余地ない
明白な事実に化してしまう

群衆には
感情の「グレーゾーン」が存在しません

常に白か黒か、です。

絶えず極端な感情を持ちます。

ちょっとした疑念…
白か黒かわからないグレーのものを
真っ黒の事実と決めつけてしまう
ということです。

この性質の影響で
あることに対する
反感や不服があったとき
個人であれば我慢するような
ちょっとしたこと
でも
群衆の中の個人になると
たちまち激しい憎悪をもつようになります。

(SNSを見ていると、よく観察できますね。
ちょっとした刺激だけで
恐ろしい憎悪が発生してしまう現象…。)

この「感情が極端」という性質は
「群衆を動かしたい」人にとっても重要
なものになります。

群衆は、過激な感情のみに動かされるので
その心を捉えたければ

誇張し、断言し、反復すること
そして、
推論から何かを証明しようとしないこと

これらが大切になります。

また、「群衆」には、それぞれに好みがあります。

ある国では大変ウケた劇が
他の国ではサッパリ… というのがその例です。

この「群衆の好み」は
その「群衆」の「種族性」に由来しています。

(「種族性」についてはル・ボンの前著である
『民族進化の心理法則』に詳しく書いてある
そうなので、今度読んでみようと思います)

・心が狭い、横暴

暗示された意見や思想や信仰は、
大雑把に受け入れられるか、
斥けられるかであり、
そして、それらは、
絶対的な真理と見なされるか、
これまた絶対的な誤謬と
見なされるかである。

「群衆」は真理or誤謬と信じることに
何の疑いも持ちません。

そして

「群衆」は、
一度信じたことに対して
反対意見を受け入れられない
のです。

イメージとしては

宗教の集まりの中で
一人が反対意見をいうと
「それが真っ当なものであっても」
大変な避難を浴びせられる

…と言った感じでしょうか。

この性質には、
もう一つ面白い面があります。

それは「群衆」は自身が横暴なだけでなく
「指導者」の横暴を受け入れる 
ということです。

群衆の同情は、決して
好人物の指導者たちには注がれず、
自分等を猛烈に圧迫した専制君主たちに
注がれた。
群衆は、弱い権力には
常に反抗しようととしているが、
強い権力の前では卑屈に屈服する。

「良い人」には心を惹かれず
「独裁者」的な「強い権力」に
「群衆」は惹かれてしまう。

ということです。

時には、圧迫しすぎて
革命が発生することもあります

しかし…

反抗心、破壊心の激発は、
常に極めて一時的なものである
群衆は、そのまま放任されていても、
やがて自己の混乱状態に飽きて、
本能的に隷属状態のほうへ赴く

「一時的」…すなわち「飽きっぽい」
というのも「群衆」の性質の一つです。

「群衆」の基本は「隷属」
「革命」的な行動は、
一時
的なものに過ぎません。

・「徳」はどうなる?

「徳」という言葉を

社会のしきたりを常に尊重する 
利己的な衝動を常に抑制する

という意味で考えるなら
「群衆」には全く当てはまりません。

しかしながら
「常に」ではなく
「一時的」なら

かえって
非常に高度な「徳」を発揮できる
のが「群衆」です。

ル・ボンは十字軍や義勇兵を
例にして以下のように言っています。

単独の個人がなし得るよりも
はるかに高度の、犠牲的な
無私無欲な行為をも行い得るのである。
光栄とか名誉とか宗教とか祖国とか
に対する感情
にうったえれば、
とりわけ群衆中の個人は動かされる。
集団のみが、偉大な献身的行為や
偉大な無私無欲の行為を
行うことができる。
どんなに多くの群衆が、
自分たちには
ほとんど理解できなかった
信仰や思想のために、
壮烈な死をとげた
ことであろう!

崇高な感情に訴えれば
「群衆」は思想を理解せずとも
「偉大な献身」をする
ことができる

という話です。

そしてまた、こうもいい切っています。

もし群衆が、しばしば推理をし、
直接の利益を打算するようであったならば、
恐らく地球の表面上に、どんな文明も
発達しなかったろう
し、従って、
人類は、歴史というものを持たないであろう

もし「群衆」が、
自らの利益にこだわる集団だったら
「歴史」は存在しなかった

つまり
「考える」より「行動」した
「群衆」たちこそが
歴史を作ってきた
 ということです。

今日のまとめ

「群衆」は極端で単純なので
断言、誇張、反復して
強く表現しないと動かない

「群衆」は好人物よりも
圧政を敷く強い権力者に
従ってしまう

「群衆」の「打算抜き」の行動が
なければ、人類に歴史は無かった

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

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