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老衰死は理想の死に方か?

こんにちは、らるです。

先日、こんな本を読みました。

(2024/7/1時点 kindle Unlimitedで読めます)

こちらの本は、
延命治療の(悲惨な)実態や
海外での医療における死への向き合い方などを
通じて「単に長く”死なない”ことは、いいことではない」
ということを伝えてくれる本になっています。

なかなかショッキングな内容が
書かれている本でしたが
必ず自分自身も向き合う問題だと考えると
目をそらすわけにもいかない…と
考えさせられる本でした。

今日は、この中から
理想の死に方として、よく名前の挙がる
「老衰死」について紹介します。

実際には「老衰死は生易しいものではない」
という話です。


メディアは伝えない、老衰死の現実

望ましい死に方として思い浮かぶのは、老衰死でしょう。十分に長生きをして、最後は眠るように亡くなる。なんとなく安らかなイメージがあるのでしょう。しかし、実際の老衰死はそんなに生やさしいものではありません。

久坂部羊. 人はどう死ぬのか (講談社現代新書) (p.108). 講談社. Kindle 版.

確かに、私も漠然と
老衰死=安らかな死 というイメージを持っていました。

これを読んでいる方も
似たようなイメージを持っている人が
居るのではないでしょうか?

ですが…

私は在宅医療で、老衰のため息を引き取った患者さんを何人も看取りましたが、老衰死は死ぬまでがたいへんなのです。それまで元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間、耐えたあとでようやく楽になれるのです。
 視力も聴力も衰えますから、見たり聴いたりの楽しみはなく、味覚も落ちますから美味しいものを食べてもわからず、それどころか食べたら誤嚥して激しくむせ、そのたびに誤嚥性肺炎の危険にさらされ、腰、膝、肘とあらゆる関節痛に耐え、寝たきりになって、下の世話はもちろん、清拭や陰部洗浄、口腔ケアなどを受け、心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸も苦しく、言葉を発するのも無理というような状況にならないと、死ねないのが老衰死です。

同上

元気なところから、
スッと…というわけではなく

長い間の「耐える」期間が発生します。

見たり聞いたりする力が衰え
楽しむこともできず

おいしいものを味わうこともできず

下の世話も含めて
あらゆることを人に任せる
ことになります。

呼吸も苦しく
言葉を発するのも無理… となってから
死を迎える
のが、老衰死だ

というわけです。

死なない、というより
死ねない、の方が近い
のでしょう。


こういう現実的な話を知ると

とにかく長く「死なないでいる」ことが
必ずしもいいことではないのだな…と
感じます。

いざ、死に直面したときにでは
考えるタイミングとしては遅いので

どんな手段を使ってでも
少しでも長く死なないでいたい…のか

そこまではせず、死を選ぶのか

その意思表示ができるように
準備をしておく必要があると感じました。


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