主観と客観と対象関係と類型のハザマ

こんにちは~

このところ
なんかモヤモヤというより
無になっていて
何にもやる気がでないのだけど

エニアの親の定位
(英語だとObject-Relations
"対象関係"と言うことが多い)
ちょっと気になって
調べたりはしていて

エニアでは
"対象関係"はリソが提唱したものが
一般的だと思うけど

父親的存在・母親的存在とか
生育時期とかフロイトとの兼ね合いとか
異なる説を唱えてる方もいたり

それで見つけたこのサイト

なんか
科学的手法で
客観的態度(振る舞い)から
エニアのタイプを診断する
サービスもやってるんだって

えええ~?

私的には
エニアのセッションは全然ありだけど

最終的には内省して
自分の動機(根源)をよく見つめて
自分で決めるのが
一番だって思うのだけど…

それはそれとして
ちょっと面白いかも

私が体癖を面白いなって
思ったのも
客観的な材料が
性格と繋がっていくところだから

科学ゥ~~?
ふ~~~~ん????

とかつい思っちゃったけど
我ながら
中立じゃないな~とか
思ったり

でもさ~

いっつもってこともないけど
思うのだけど

主観と客観の世界って
すごく隔たりが
大きいなって

主観世界の出来事って
主観世界の住人しか
つまり
自分しか
分からなくない?

だから
自分の心が何かって
答えって
自分しか持ってないでしょ

どんなに"外"の世界で
"客観"的に
これこれこうだから
そうなってとか

言ってみても

それが真実かどうかって
本人だけだよ
分かるの

そう考えてみると
"科学"って
"客観"で
批判と検証を重ねて重ねて
積み上げた知識で

"疑い"が世界観の根底にあるんだよね

だけど
"主観"って
ただただそこにあって
それを"外"から眺めてる人が
納得するかどうかって

"信じる"かどうかだけなんだよね

だから
どうしてもこの二つの世界って
繋がらないのだろうなって

何いってるの?って
思うかもだけど

例えば
自分の家族のことを
赤の他人が
あーだこーだ
言ってたら

例えば
日本の文化のことを
海外の人が
あーしろこーしろって
言ってたら

その視点は
参考になるかもだけど

勝手な事言ってるのって
なっちゃう

だから?
私は"科学的手法"とか謳って
振る舞いからタイピングします

とか言うのに
主観世界の侵害を
感じちゃったのかも

あるいは
理解する気がないのに
相手にやたら
質問を浴びせる気持ち悪さと
同じような?

エニアは内面の変容を謳うのだから
内心を踏み荒らすなんて
ダメだよって

でも

前にやった特性論的アプローチの
オンラインテストも
ちょっと違うかもだけど
内省とは切り口が違って
面白かったし

主観世界と
客観世界の
橋渡し

そこを穏便に
果たすことできたら

私もすごく
面白いって思うのだけどな~

"確認"も"検証"もできない
他人には永遠に"未知"の
"証拠"もない世界

"科学"と仲良くできる日は
来るのかな?

来るといいけど
でも
私の世界は
私だけの方がいいかもね

おしまい

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