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わすれられない患者さん

「がんサバネット通信」に寄稿したエッセイです。

第二次ベビーブームの頃、子宝に恵まれない若い夫婦がいた。当時は不妊治療の黎明期。妻は丸一日溜めた尿を検査容器に入れて、毎週、満員電車で「お茶の水医大病院」へ通った。その甲斐あってか、男の子が誕生した。

その時の担当医であったA先生を、「もうひとりの父」として母から刷り込まれて育ったその男の子は、後に医師を志し、お茶の水医大を目指した。
男の子は念願叶い入学したものの、大学内にA先生を知る人はすでにおらず、その足跡をたどることは出来なかった。それでも彼は、臨床実習で産科を回った際に医局を物色し、過去にAという医師が在籍していた形跡を見つけ、名字しか知らなかったA先生の氏名を脳裏に焼き付けた。

それから数ヶ月後、彼は実習で回った外科病棟に、A先生と同姓同名の入院患者がいることを知った。
指導教官に、Aさんはかつて当院の産科医だった方では?とさりげなく尋ねると、なぜ知っているのかと問いただされた。彼が観念して白状すると、教官は無言で彼を最上階の特別病室へ連れて行き、「この医学生が先生に話があります」とだけ言い残してその場を後にした。

初対面のA先生は、末期がんで死の床にあった。
彼が自分の母親の名を告げると、A先生は息も絶え絶えに、「ああ、覚えているよ」と笑顔で頷いた。そして、「俺はすごいものを作っちまったんだなあ」と呟き、そのまま目を閉じた。それから数日後、A先生は穏やかに旅立ったという。

あれから二十余年。その時のA先生の笑顔を思い出しながら、今夜もひとり、盃を傾けている。

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