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瀕死の公園

緊急事態宣言によって保育園が休園となって、もうどれくらい経ったのだろう。自宅保育を余儀なくされた2歳の娘とずっと一緒にいる。

ほんとにずっと一緒にいる。このごろの僕はすっかり名ばかりフリーライターで、恥ずかしながら今月に入って仕事はできてない。妻が週5でみっちりリモートワークに勤しんでいるので、その間は僕が娘につきっきり。朝のミーティング開始に合わせて午前中いっぱい娘と外出する日々を続けている。

緊急事態だから、どこの遊び場も閉まっていて、それで僕と娘は公園くらいしか行くところがない。
最初は近所の徒歩10分圏内の公園3つでやりくりしていたが、僕のほうが早々に飽きてしまったので、隣駅まで足を伸ばすようになった。

東京都には11930箇所も公園があるらしい。だから毎日場所をかえるくらいのことは造作ない。そんなわけで、Googleマップを見ながら行ったことのない公園を回っていた。訪問済となった公園には、Googleマップ上でハートマークをつけていく。この自粛期間中、20箇所くらいは行ったかもしれない。

公園はいい。娘はまだ2歳なので遊べないアスレチック遊具も少なくないけれど、ちょっとした滑り台やブランコ、動物を模したスプリング遊具さえあれば十分に楽しめる。
特に滑り台は娘も僕も気にいっている。ついこないだまで腰も据わらなかった娘が、自ら「さん!にー!いち!」とカウントダウンして滑り台をすべり、「もいっかい!」と言ってすぐに階段をのぼる様子を見ていると、いちいち感心する。
子供のエネルギーを発散させるのに公園は最適だ。安全で快適で親も安心できるし、子供が騒いでも誰も怒らない。無料なのもありがたい。

しかしそんな公園にも、“自粛”の魔の手は及んだ。

いつからか、公園もウイルス感染のリスクが高いとニュースなどで聞くようになった。それでも僕は、日常を維持したかったから、公園に行きつづけた。もちろん葛藤はあった。万が一子供が感染したら、僕は公園に行ってたことを後悔するだろうかとも考えた。後悔するかもしれない。しかし、自宅に娘を閉じ込めることのほうがよっぽど体や心に良くないだろうと結論した。保育園で遊べない娘を、せめて公園に連れてってやりたいと思うのは、悪いことじゃないだろう。
それにそもそも社会に生きるということは、さまざまなリスクを抱えながら生きるということなのだった。僕らはそのことを忘れがちだ。
だから僕はマスクをして、ウェットティッシュを持って、娘と公園に行きつづけた。

しかし4月25日、毎朝のごとく公園に行くと、遊具は規制線で縛りつけられていた。

ついにやられたか……と落ち込むと同時に、非常線の物々しさには憤りを覚えた。子供たちを日常からキープアウトする黄色の結界は憎たらしかった。目に見えない脅威への大人たちの怯えが、非常線という形で可視化されているようで情けなくもあった。
遊具で実際になにか事件や事故が起きたわけでもないのに、僕らは子供を守っているつもりで、危険を未然に防ぐために、遊具から子供たちを締め出した。

翌日以降も、歩いていける範囲の公園には行き続けた。どこの公園の遊具にも、非常線が巻きついていた。非常線が巻きつけられたカラフルな遊具の佇まいは、 まるで人死にでもあったかのように思えて、薄気味悪い。

ほとんどの公園において、滑り台の付いた遊具だけがキープアウトの対象となっていたのは不思議だった。鉄棒やブランコなどの遊具は通常通り使えるのだ。そういった遊具で遊ぶことだって感染のリスクはあるだろうに。非常線が感染リスクを考えての処置なんだったら、すべての遊具を使用禁止にすればいい。整合性の取れなさも腹立たしかった。
非常線はウイルスに怯える大衆の恐怖に場当たり的に対処する行政のテキトーさの象徴にも思えた。 

公園に着くなり駆け出す娘に「滑り台はダメなんだよ」と何度か教えたら、それ以降は遊具に近づかなくなった。たくましい娘は自分好みの石ころを探したり花を触ったり虫を眺めたりボールを追いかけて走り回ったりしている。遊具が使えないことにこんなに拘っているのは親の僕だけで、キープアウトの黄色い線は娘の視界には入らないのかもしれない。
それでも、僕はこの動揺を忘れたくないなと思う。なんで自分がこれほどまでに動揺したのかよく分らないが、あらゆる公園で立入禁止にされてしまった遊具の佇まいに落込まされる。

こんな日々がいつまで続くんだろう。非常事態宣言は5月中に解除されるらしいが、それでもってすぐに保育園が再開するとは思えないのが現状だ。公園の遊具が安全とされる日は来るんだろうか? 娘の「さん、にー、いち」のカウントダウンと何度も繰り返される「もいっかい!」を早く聞きたい。 


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