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振り返り

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ふと過去を振り返って書いたもの置き場。
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12月31日、病室から1年を振り返る

一瞬だった2023年。 そして、とうとう高熱で動けなくなり昨晩から入院しています。 丁寧な暮らしとか、自己投資とか、勉強とか、読書とか 考える余裕がないほど、とにかく目の前にある毎日を 眠たい目を擦りながらこなしてきたがする。 10月を過ぎて、少しだけ余裕が出て来たかな。 マミーブレインと呼ばれる産後のボケボケが少しずつ良くなって来たし 本当に少しだけど勉強も再開。読書もゆっくりペースで再開。 友達と思いっきり遊ぶ体力も回復して来たのもこの辺り。 ゆっくり友達とお茶し

去年のKYOTO|2年8ヵ月ぶりの日本帰国③

2年8か月ぶりの日本帰国。私たちは京都へ向かった。 夫の地元京都。一方私は久しぶりの帰国、完全に観光客状態だった。 KYOTO!とテンションが上がり鴨川沿いを散歩するだけで嬉しい。 先斗町ののれん街を歩き、鴨川を見ながら昼食をとる。おそらく地元の人がやらないであろうことに付き合わされる夫(笑) この時すでに妊娠中だったにも関わらず、本当によく歩きよく食べた。 どうしても泊まってみたかった町屋に宿泊し、朝・昼・夜と景色を楽しんだ。今年は観光客で大賑わいのようなので、あの

ワタシの人生を彩った場所、福岡へ|2年8ヵ月ぶりの日本帰国②

地元が福岡に近いとは言え、実際に福岡市内に住んでいたのはたったの2年。20代も後半に差し掛かった頃だった。 もちろん働いていたが、とにかく趣味に明け暮れた。 写真友達ができ、毎週末のように撮り歩いた。念願の歌のレッスンに通い、ギターを弾いて遊ぶ友達もできた。当時の友達とは今も繋がっている。 一軒のカフェとの出会い。全てはここから始まった気がする。 学生時代の友達が数人いる程度。平日は会社との往復だった私に "行きつけのカフェ" ができた。(この出会いがのちに、仕事終わり0

新鮮に映った地元、全てがフォトジェニック|2年8ヵ月ぶりの日本帰国①

去年の今頃、私は2年8か月ぶりに日本に帰国した。 たったの3年弱。それでも生まれ育った地元は新鮮味に溢れていて、あれもこれも撮りたい欲でいっぱいになった。 犬の散歩に出かけると、ちょうど稲刈りをしていた。舞う煙が沈みゆく太陽に照らされて幻想的に見えるが、それも日常の一コマ。それを見て、あぁ秋だなと心の中で思う。 この写真は数年前に撮った、稲刈り後のわら焼き。夕方になると煙が夕日に照らされる。(最近は規制で燃やせない地域が多いようですね。私の地元は禁止にはしてないようですが

友達の友達とは友達になれる気がする。

3年ほどスマホため込んだ7000枚を超える写真の整理を始めた。2021年3月のある日、私はサトーンの素敵な洋館でアフタヌーンティーを楽しんでいたようだ。 ※The House on Sathornのアフタヌーンティーについてはこちらへ 一緒にアフタヌーンティーに行った友達は、友達の友達。 友達との会話の中で何度も何度も聞いた彼女の名前、彼女の話。タイで働いている彼女は、私が通っていたタイ語コースの上級レベルまで通い詰めたそうだ。そんな話を聞いた時から会ったこともないのに

爆竹の音、繋がる思い出、揃ってこそなんだな、と思った話を回想と共に

バンコクの片隅。家の裏で響き渡る爆竹音。「今年は1月22日だったような」とカレンダーで日付を確認する。今日は1月21日、春節前日の大晦日だ。 あまりにも自然に納得した自分に少し笑ってしまった。 かつては母が過ごした長崎での思い出話に「春節?中国のお正月?長崎では 爆竹を鳴らすの?ランタンって何?」と目を輝かせていた子供の私。 時は流れ、自分の中で "当たり前のイベント" になった春節に、今まで見てきたもの(体験)は宝物なのかもしれない、とふと感じた。 マレーシアのCN

憧れ。ヴルタヴァ川を目にした瞬間、涙腺がゆるんだ。

行ったこともない国に憧れを抱くことがある。私の憧れは、チェコはプラハだった。 衝撃を受けた中学1年生。そして13年越しに夢を叶えた2014年。 あの日の感動は一生忘れないだろう。 中学1年生、ある一曲が私を変えた スメタナ作曲 連作交響詩「我が祖国」より モルダウ。 中学1年生だった私は音楽の授業で オーケストラ演奏と川の流れを組み合わせた教材を鑑賞した。 たったそれだけだ。たったそれだけなのに、12歳の私は衝撃を受けたのだ。 楽器だけでここまで川の流れを、チェコという

12月31日なので、ふんわり振り返る

タイは2時間差があるためまだ12月31日。(あと10分で年明け!) ということで2022年のnote+αを振り返ろうと思います。 Instagram TOP9 写真 まずは写真活動のメインの場、Instagram。今年もたくさん撮りました。 タイでの写真や2年ぶりの一時帰国で撮った写真。いまだに整理できていない写真で溢れています。タイで新しい写真友達ができ、新しいカメラを持ってお出かけする頻度が増えた1年でもありました。 note再スタートな2022年 一度作ったもの

マレーシアを知りたいと思った時、少し距離が縮まった気がした

夫がマレーシア出張に行った日、「マレーシア行きたいな」という言葉が自然に湧き上がって来た。 2017年~2019年にかけて、私はマレーシアの首都 K L (クアラルンプール)にいた。"人のため" (夫の仕事の都合) に引っ越したのは人生で初めてであり、積極的にマレーシアに興味を持つことに苦戦していた。 本来「住みやすさ」を感じるはずが英語が通じる。整備されている。道が綺麗。モラルがある。治安がいい。 本来住みやすさを感じるポイントなのに、どことなく物足りなさを感じていた。

"そういえば現地の大学でインドネシア語勉強していた"な話。

8か月ほど、インドネシアに住んだことがある。28歳、思わぬ形で「イスラム教圏に住んでみたい」夢が叶った8か月だった。 昨日きたメッセージ、思い出した日々 ー「元気?インドネシアにいたころ、インドネシア語を勉強するために大学に通ってたのよね?どうやって申請したの?」 インドネシア時代お世話になったカウンターパートからのメッセージだ。ほんの数秒前まで忘れていたけど…、確かにインドネシア大学のBIBA(外国人留学生向けインドネシア語コース)プライベートレッスンを2ヵ月間受講し