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エッセイ:公共空間のベンチ

外出をすると、自分が世間から必要とされていない事を被害妄想気味に痛烈に自覚をして、ここが現世(うつしよ)なのか、夢なのか、意識はクリアなのに地に足が付かず前後不覚に陥ったような感覚になります。
それに付随する、芯を喰うような、恐ろしい孤独と焦燥感。
僕は、それが自身の心中にのみならず、人類普遍の現象であると感覚的に理解しているものの、それじゃあ世の人間はこの耐え難い灰色の思念の波に、いったいどうやって折り合いをつけているのか、不思議で仕方がありません。

基本的に僕は大体そんな感じで外出の際には最低な気持ちになりながら、猫背で人の目を避けつつ逃げるように街を這い回るのですが、そんな街中でも好きな物があります。
それがベンチです。
公園とか、駅とか、広場とか、そういう公共の空間に座って休憩できる場所があるということ。何故だか、たったそれだけで、存在を許されたかのような気持ちになります。休憩することを社会に許される稀有な場所。都会は街も人もあまりに生き急いでいて、立ち止まって何かをぼんやりと眺める時間さえもくれなくて、場所代が含まれた高いコーヒーを買わないと座らせてもくれない場所が多いから。
特に都内は酷くて、そもそもベンチがあまりないし、座る場所があったとしても、過密した人口のせいで常に奪い合い。僕は大抵そういう奪い合いに勝てた事がないので、いつも路頭に迷って、所在なさげに周囲をうろつき、困ったように近くの物陰に揺蕩うわけです。
ベンチを見つけた時のなにか許されたような気持ちは、もしかしたら街の中での自身の無価値さを許容してくれるように思えるからなのかもしれません。たとえそれが個人に向けられた優しさじゃないのだとしても。

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