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【読書】アメリカン・ブッダ

ドーモ、ブラフ=サン、デス。

noteで怪談を書いているが、最近はお休みして他ごとを色々やっている。

アメリカン・ブッダという何かすごいSFを読んだので感想というか何かを書いておく。

本書は表題作を含む短編です。
表題作の紹介文はこんな感じ。

もしも荒廃した近未来アメリカに、仏陀を信仰するインディアンが現れたらーー未曾有の災害と暴動により大混乱に陥り、国民の多くが現実世界を見放したアメリカ大陸で、仏教を信じ続けたインディアンの青年が救済を語る……

いやこんなん設定だけで既に面白いですやん。
ちなみに僕達が子どもの頃はインディアンという呼び方は差別的で、ネイティブ・アメリカンというのが政治的に正しいとされていましたが、最近は本人達がインディアンを自称していたりしているみたいですね。時代というのは変わりますなぁ。まぁインディアンにしてみれば「俺ら、ここがアメリカと呼ばれる前から住んでるし」って感じですわな。

で、インディアンが語る仏教は生老病死の四苦だったり釈迦の生涯だったりで、そんなにインディアナイズされていないというか、割と普通です。コヨーテとか出てくるくらい。
では僕が気に入ってるのはどこかというと、物語の構造です。
この話の主人公は荒廃した現実世界を捨てて仮想世界に生きる白人です。
仮想現実では現実世界の何倍もの時間が流れていて、彼はそこで現実世界に残ったインディアンの演説を聞いたあと、何千年何万年もの時間を過ごし、仮想世界に自分だけの宇宙を作って宇宙の誕生から成長をシミュレートして文明の登場までを追体験するんですね。
そして彼はその仮想の宇宙で暮らす仏教徒のインディアンを導く。

これって世界が入れ子の繰り返し構造になってるんですよね。
入れ子構造は法華経の中の説話にもあって、常不軽菩薩という人がいるんですが、彼は臨終の間際に天からの声で法華経を聞くんですね。
でもこのエピソードこそが法華経の一部なんですよ。
入れ子構造じゃないですか?
まぁ作者が法華経を踏まえてこの物語を書いたのかというと、ちょっと穿ち過ぎのような気もしますが。

自分自身が中に入っている入れ子構造というのは、たどっていくと同じ構造が繰り返されるので無限ループなんです。
そしてその無限ループこそが仏教の永遠性を表している。

この本はSF短編集なんですが、作者の学生時代の専攻は民俗学だそうで、民俗学×SFというバキバキに最高な組み合わせの話ばかりです。
(ところで民俗学って今も学べるところあるんですね。大抵文化人類学とか社会学に吸収されてしまったかと思ってました……(失礼) 筑波大には民俗学・文化人類学コースがあるようですが)


あと他に面白かったのが「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」
これは文化人類学者の報告書という体裁の短編。

雲南省のスー族という少数民族は、生まれてすぐにヘッドセットを被せられて一生を仮想現実空間(VR空間)で過ごします。
スー族はソフトウェア開発を生業にしていて、その傍らに自分達の神話を具現化した世界をVR空間にせっせと作っている、と。
彼らにとってはそのVR空間こそが世界の全てであり、そこで感じた暑さや痛みなどは実際に身体に現れるといいます。
(とはいえ「その一部を撫でてみせるが、そこには火傷の痕など見受けられなかった」という文も出てくるのですが)

「磔刑時のイエスキリストが釘を打ち込まれたのと同じ身体位置(手のひらもしくは手首)に何もしていないのに傷が現れる」というのは聖痕現象として古くから知られています。(科学的に確認されてるのかは知りませんが)
あるいは映画のマトリックス。あれも精神世界の傷が現実に現れますよね。
あれを現代でも可能な技術に落とし込んで、さらにエスニックな信仰をミックスするとこうなるよなぁという。

面白いのは、報告者の存在までもが「果たして実在するのか?」と疑問を持たれていること。
夢と現の境界を彷徨う幻想的な物語です。


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