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【雑記】私、イヤイヤ期の2歳児。こっちは集合論の危機。

 息子(2歳)が絶賛イヤイヤ期である。
 自己の確立過程で多くの子どもに現れ、数多の保護者を悩ませてきた、あのイヤイヤ期である。

「ご飯食べよ」「ご飯食べるのヤダ!」
「牛乳飲む?」「牛乳飲むのヤダ!」
「あっちで遊ぼ」「あっちで遊ぶのヤダ!」

 とにかく何でもヤダヤダなのだ。

 今日も夕方はヤダヤダタイムだった。
「テレビ見る?」「ヤダ!」「でーやん(お父さん=僕のこと)と遊ぼ」「ヤダ!」
 あまりにもヤダヤダで面白くなってきたので
「じゃあヤダヤダする?」と聞いてみた。

 帰ってきた答えは案の定「ヤダヤダするのヤダ!」だった。
 僕は返す刀で「ヤダヤダするのイヤなの? でも今ヤダヤダしてるよ?」と聞いた。
 息子はハッとして、この世の真理に気づいてしまったような顔で黙り込んだ。

「ヤダヤダするのヤダ」
 そう、この文は自己言及のパラドックスになっている。
 自己言及のパラドックスとは「『クレタ島人は嘘つきだ』とクレタ島人が言った」というような文に生じる矛盾である。
 クレタ島人が本当に嘘つきであるならば、当のクレタ島人が言った『クレタ島人は嘘つきだ』という言葉も嘘になる。であるならば、クレタ島人は嘘つきではない。そうなれば『クレタ島人は嘘つきだ』という言葉は、嘘つきではないクレタ島人が言った言葉なので真実である。ということはクレタ島人は嘘つきということになる。
 このようにある種の文(命題と言い換えてもよい)が自分自身に言及している場合、その文が正しいか正しくないかを判定することが出来ない。

 自己言及のパラドックスは数学史における大問題である。
 自己言及のパラドックス自体は古くから知られたものだったが、数学の歴史においてはイギリスの哲学者バートランド・ラッセルによって改めて指摘された。
 ラッセルは、二十世紀初めに確立されつつあった集合論がこの種のパラドックスを含んでいることを指摘し、当時の数学の根幹を揺るがしかねないほどの衝撃を与えたのだった。

 そして今、数学の深淵に触れて、息子のイヤイヤ期は終わった……ら良いなぁー!!!
 ラッセルーーー!!!
 イヤイヤ期どうにかしてくれーーー!!!
 ノーベル文学賞のパワーで!!!
 頼んだぞラッセルーーー!!!


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