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既成現実論 -世にも不思議な人生経験-その1

人生長く生きていると、色々と不思議な出来事にも出会うものです。
私にももちろんそういう経験がいくつかあるのですが、今日はその中のひとつ、競馬にまつわる話をご紹介したいと思います。

若い頃から競馬は好きで、楽しむ程度に買っています。高配当な馬券はなかなか当てるのが難しいですが、並の万馬券程度であればそこそこ取れるので、宝くじよりは全然回収率は良いと思っています。
そんな私が、日曜日のある朝、いつものようにスポーツ紙片手に朝食を摂っていた時のこと。
その頃、本好きの妻はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」という小説にはまっていました。私は、特に文学に詳しいわけではないのですが、たまたまそれ以前に同じ著者の「罪と罰」を読んでいたので、興味があると思ってくれたのか、毎日のように感想やその内容について、語ってくれていました。そして、その日も同じように、私の横で妻のカラマーゾフ談義が始まりました。私は、いつものことなので、スポーツ紙を見ながら、なんとなく聞き流していたのですが、妻の話の途中でふとひらめきます。

「カラマーゾフの兄弟」>>「ドストエフスキー」>>「ロシア文学」>>「ロシア」>>「ロシアの酒」>>「ウォッカ」

その日、ウォッカという名の馬が走ることが頭に入っていた私は、読んでいたスポーツ新聞の競馬のページを確認します。土曜日のうちに、ある程度の予想を立て、すでにウォッカを含めた何頭かまでは絞り込んでいたのですが、軸馬はまだ決めきれずにいました。

(競馬が分からない方への解説)
競馬には馬券の買い方が色々あり、大きく分けると1着だけを当てる単勝、1着と2着を当てる連勝、3着までを当てる3連があります。もちろん1頭より2頭、2頭より3頭当てた方が配当は高くつきます。但し、頭数が増えればもちろん組み合わせも多くなるので、当てるのが難しくなります。
だいたい多くの方は、2頭以上で予想する場合、軸となる1頭、軸馬を決めてから残りの馬で来そうなのを何頭か選び、買います。

私は、これはもしや神のお告げ?と思い、軸馬をウォッカにしようかと心が揺れ動きました。しかし、私は穴派なので、当時1番人気だったウォッカを軸にしてしまうと、配当が安くなるため、少し抵抗がありました。
話し続ける妻そっちのけで、あれこれ悩んでいるうちに妻のカラマーゾフ談義は終わり、妻も新聞を読み始めました。すでに私の頭の中は予想モードに入ってしまっていて、妻の話が終わり、「これで集中できるぞ」と若干ホッとしていました。
すると、新聞のテレビ欄を見ていた妻が叫びます。
「今日、『ボーン・スプレマシー』あるで!」
マット・デイモン主演の映画「ボーン」シリーズの一つですが、なぜここで妻がわざわざ叫んだかと言うと、実は前日に別のチャンネルで同じシリーズの「ボーン・アルティメイタム」をやっていて、前日の朝も同じように妻がテレビ欄を見てそれを教えてくれていたからです。
2人とも特にマット・デイモンのファンとかではないのですが、映画は好きなので、ひとつの話題として妻なりに2日連続で「ボーン」シリーズがあったことが小さな驚きだったのです。

ともあれ、その叫びは私の頭に衝撃を与えました。なぜなら、競走馬の中に「スクリーンヒーロー」という馬がいたからです。「ボーン」シリーズは観たことがないけど、きっとマット・デイモンが大活躍するスクリーンの中のヒーローに違いないと思っています。私は急に面白くなって、次に妻が何を言い出すか、聞き逃すまいと様子を見守りました。

しばらく新聞を読み流した妻は、次に新聞広告に目をやります。色々な広告を見ていたのですが、ある広告をしばらく見て、ついに言葉を発しました。「ええ求人ないなぁ」!! 妻は、求人広告を見ていたのです。そして、

「求人」>>「求人募集」>>「会社」
すぐにつながりました。
競走馬の中に「カンパニー」という馬がいたのです。

天のお告げか偶然か?私は、迷いに迷いました。このカンパニーという馬は当時8歳で、人間で言うと大体35、36歳です。競走馬の最盛期は3歳~6歳頃が主流で、8歳ともなると、一線級のレースで上位に食い込むのはどちらかというとレアなケースです。
結局私は自分の予想をメインに、妻の暗示によるオカルト馬券は、念のため抑える、という形で何点か購入しました。果たしてレース結果は?


1着がカンパニー、2着スクリーンヒーロー、3着ウォッカで見事的中です。
抑えでしか購入していなかったとはいえ、生まれて初めての10万馬券を的中させることができ、諸々含め15万の臨時収入です。1着に来たのが人気のウォッカでなく、8歳のカンパニーだったため配当が高めにつきました。しかし、8歳馬がGIレースで1着というのは驚きでした。
もちろん、その後、妻にごちそうしたのは、言うまでもありません。

これ以降、私は妻の発言に注視して、馬券を買い続けましたが、なかなかそうはうまくいかず、柳の下のどじょうが再び現れることはありませんでした。しかし、今では、既成現実を信じているので、この出来事が偶然だとは思っていません。この時は、理由は知りませんが、少し先の確定した未来を何かが教えてくれたのだと、そして、そこにはきっと何か意味があったのだと信じています。

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