これが「嫉妬」と気付くのに時間がかかった。

s夕方に昼寝をしたら、夜に寝られなくなってしまった。寝れない夜だってラジオを聴けば即入眠。スマホの明るい画面を我慢しながら操作し、しょぼしょぼPodcastを開き、保存済みフォルダから「いんよう!」第205回を選ぶ。これはパーソナリティーの二人が大好きなSF作家、柞刈湯葉さんがゲストで出演した回だ。私も湯葉さんが好きなので、このレアな回は何度も聴いている。

「いんよう!」ではたびたび湯葉さんの話をしていて、全部は追えていないのだけど、柞刈湯葉第二短編集『まず牛を球とします。』の感想を言い合う回を聴いたことがある。これが面白い。まずタイトルだけで褒めまくる。それにしっかりと尺を取る。それから短編の一つ一つに触れていくのだが、ラジオ二回分収録するほど語る。へー!そこを見るんだ、おもしれー!と思って聴く。世の中は個人の力では気付けないことがたくさんあるから。


ラジオを聴きながら入眠した翌日、そういえば「いんよう!」での湯葉作品感想回を全部聞いてないぞ、と気がついてアーカイブを遡ってみた。すると、第一回が「未来職安を読んだうすい感想①」というタイトルである。え、初っ端から!?柞刈湯葉作品を語るためにラジオ始めた!?『未来職安』は湯葉さんの小説で、基本的に人間は仕事をしなくても生きていける世界での職安の話。この『未来職安』感想回もなんだかんだで二回にわたっており、最初からとばしまくっているのを今更知った。第一回は2018年8月の投稿だ。六年前じゃん。2018年って六年前なんだ。

この第二回の最後に、パーソナリティーのヤンデル先生が「SFを書いてみたけど書けなかった。そんな自分を差し置いて、中途半端な(サイエンスにリスペクトを感じられない?)SF作家もいて許せない。」という話をする。この時、もう一人のパーソナリティー、よう先輩が「『自分はそれに手が届かないからやらないんだ』って決めているのに、『お前がやるんじゃねえよ』っていう人がたまいる、ってこと?」とまとめているのが、もう、本当にこれですわ〜〜!とお嬢様になるくらい共感した。


最近、私は嫉妬するところが世間と違うだけで、嫉妬するときはするのだと気が付いた。多くの人が経験ありそうな嫉妬、例えば「リア充爆発しろ」と感じた経験がほぼ無い。これは他人に恋人がいることや他人の優れた恋人を羨ましく思う感情のことで、人前でイチャイチャされる不快感とは別である。恋人がいない期間ですら手を繋いで歩くカップルが目の前にいても、仲良しだね〜とほっこりしていた。人前でイチャつくことに関しては、お互いの相手が独占すべき表情を一般公開する行為なので苦手だ。

あとは「自分よりも可愛くないように見える人が、自分よりも良い扱いを受けていることにイラつく」ことも無い。「他者の容姿の美しさに嫉妬する」も無いし、「自分が似合わない服を着こなしている人が羨ましい」も無いし、「良いコスメをたくさん持ってて良いな〜」も無い。「自分には不可能なこともやれたら楽しいのにな〜」と思うことはあるけど、それは現状満足しているところに上乗せされる楽しさなので、嫉妬にならない。


じゃあ何に嫉妬するかというと「自分と同じくらいの裁縫技術の人が大勢にウケている」のがダメだ。圧倒的に上手い人には全く嫉妬しない。この人そんなに上手じゃないよ?って感じているのに、世間的にはすごいとされている、それが許せない。でも自分の持つ技術が拙いせいで、それより上のクオリティを提示出来なくて悔しい。ぐ、ぐ、ぐ、ぐぎぎぎぎ……と歯を食いしばる訳です。これが「嫉妬」と気付くのに時間がかかった。

この感情を薄める方法が二つ見つかっていて、一つは自分の技をもっと磨いて満足すること。大抵は継続によってなんとかなるけど時間がかかる。もう一つは技術ではなく、その人の自己プロデュース能力の高さに目を向けること。


私は自己プロデュース能力があまり高くない。簡単に言うと、作ったものの見せ方があまり上手ではない。他の人が見て気持ちいい方向よりも、自分がやりたい方向に舵を切ってしまうからだ。その方向が一致している人もいるのだが、私の場合はおそらくそうではない。微妙にズレている。そういう時は自信があるように見せることで、そのズレを誤魔化している。

他人目線では顔の左側の方が整っているのに、自分では右側を気に入ってるから右側を見せる、しっかりとメイクをしている、という状況。この場合、しっかりメイクした左側を見せると一番評価が高くなる。だけど、自分がそれをやりたい訳ではないからやらない。まれに右側の方が上手くメイク出来て、いつも通り右側を見せたら高評価を得られたっていうこともある。たまたま。

だから、その人自身の意思を尊重するにしても曲げるにしても、いつも高評価を得られる見せ方が出来る人は、私の持ってない能力を使っててすごい!と思える。自分の自己プロデュース能力がその人よりも低いと分かっているから嫉妬しない。

私は、自分が作らないとこの世に実在しないだろと思うものを、自分で作って実在させたいから作っている。それ以外にも作る理由は細々あるんだけど、一旦置いといて。自分で作りたかったものを他の誰かが先に作ったとして、それが自分の技術を遥かに上回るものだったら、嫉妬どころか感謝する。産んでくれてありがとうみたいな気持ちになる。分かりやすく格上の人とは同じ土俵に立てない。


つまり、恋愛も容姿も持ち物も自分の範囲内で満足しているので、他人のが気になるほど興味が無く、裁縫は興味が強いからこそ嫉妬心を煽られるということだった。ここ一、二週間はこのことを考えていた。そこに別の分野で同じ事態に陥っている人を偶然見つけて、他の人の言葉をきいて、自分への理解が深まったと思う。世の中は個人の力では気付けないことがたくさんある。

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