【歌舞伎のはなし】調べた方が早いなこりゃ。Wikipediaを都合よく使おう。

「日本文化のはなし」をしようと決めた後に、何から話すべきかを考えてみたんだが、やはりここは歌舞伎だろうと思う。浮世絵か焼き物という手もあったが、一番調べたことのある分野から行った方が、他の分野の調べる時間の猶予ができる。歌舞伎は卒論でやったから他の分野より知識がちゃんとしてるはず。ということで、まずは歌舞伎のはなしから始める。


歴史

歌舞伎の歴史については教科書でやった通り。出雲の阿国、出雲国出身のクニという女性が始めたかぶき踊りが歌舞伎の始まり。調べた方が早いなこりゃ。Wikipediaを都合よく使おう。

お国のかぶき踊りは、名古屋山三郎役の男装したお国と、茶屋の娘役として女装したお国の夫・三十朗が濃密に戯れるものであった。

お国のかぶき踊りについて、忘れてはいけないのが「猿若勘三郎」だ。彼は道化役、つまり面白枠の役者として登場し、活躍した。勘三郎というと、現在では中村勘三郎を思い浮かべるが、中村勘三郎、初代がこの猿若勘三郎である。

というのを知ると、現在の中村勘九郎、先代の中村勘三郎が、厳格な人(内容)というよりは少しくだけた人を演じる(のが多い)ことに理解がしやすい。演劇脚本家、演出家の野田秀樹と一緒に『桜の森の満開の下』などを歌舞伎化するといった、歌舞伎らしい新しさを生み出しているのが中村屋という印象。


ここから男装した女性による「女歌舞伎」になり、性的だという理由で禁止され、少年たちによる「若衆歌舞伎」に繋がり、これもまた性的だと禁止され、次は成人済みの男性による「野郎歌舞伎」が登場する。これが今に続いている。歌舞伎役者の世界が男性しかいないのはこういうことだ。


江嶋生島事件とかはあったものの、歌舞伎は順調に今も生きている文化である。江戸時代には庶民の文化として馴染んでいたが、現在ではどうか。かなり敷居が高いように思う。いや、最近になってちょっとずつ砕けてきた感があるが、まだまだ「ちょっとおめかしして行ってくるわね〜」感は無い。映画に行くレベルの感覚だったんじゃないかと思う。(普段映画に行かない人が出す例ではないが。)

どうしてこうなっているかというと、明治維新があったからだ。明治維新の際、歌舞伎は「日本文化」の代表とされて一気に地位を引き上げられた。演劇改良運動である。検索されたし。

それまでは天皇が観るようなものでは決してなかったのに、むしろ遊女などが頻繁に出入りするような低俗な場所だったのに、明治に入ってからはまさかの天皇劇場入りという大事件があった。


この時活躍したのが、9代目市川團十郎である。9代目は演劇改良に深く関わった人なので、割と重要人物。今、歌舞伎といえば市川團十郎と思ってしまうのは、この辺も関係してるんじゃないかなあと考えているが、それ以前より歌舞伎十八番があったし、人気も高かったからそれだけではないような気もする。ただ、市川團十郎が中村勘三郎より歴史が短いのは意外ですよねえ。

市川家は歌舞伎十八番というお家芸(家で引き継がれている伝統芸)を持っている。項目の入れ替わりがあったり、今では引き継がれていない(現在の市川海老蔵/今度13代目市川團十郎襲名予定が、残っている文献などを調べ、復活させようとしているらしいが)ものもある。この歌舞伎十八番というのが、十八番=オハコの語源になっている。

この歌舞伎十八番に『暫(しばらく)』というのがあって、その内容は調べれば出てくるので置いておくとして、私がペンネームで名字をつけるなら「斯波」にしようと思っている。「斯波らく」で、暫。暫が特別好きなわけではないし、どちらかというと中村屋の方が好みなのでアレだが、歌舞伎関連の単語なことと響きや字面がいい感じなことが「これ結構良いアイディアじゃない?」って思ってる。なんならカクヨムのアカウント名変えてこようかな。

この話したかったから今回歴史の話を始めたんですよねえ、お付き合いありがとうございました。



続けます。

江戸期歌舞伎の驚いたこと

卒論で調べていた時や授業で知って驚いたことをいくつか。


一日かけて一つの演目を上演していた。

ありえんだろう、そんなこと。ずっと見てないと筋がつかめないじゃないか、という心配もある(これは役者が説明用の長台詞を喋って、観客にそれまでの内容を知らせるということがちょこちょこある。)が、役者の体力的にも大変すぎる。じゃあ観客はずっと座っていたのか?というと、そういうわけではない。自由に出入りしていたし、席で弁当を食べていた。いつ入退場しても良い。今は開演の三十分前になるべく入場を済ませているが、このシステムなら遅刻しても気軽に入れる。

これを毎日のようにやるわけで、そりゃあ若くして亡くなるよなあって。役者の家に生まれただけなのにハードすぎる。


初日から一週間くらい(※曖昧です!)は役者が台詞を覚えていないので、黒子がこっそり教えていた。

だから「黒子はいないものとして扱ってね」って言われるのか〜!と納得した。黒子は結構堂々と舞台に上がってるから、気になってしまうんだよねえ。今は小道具の受け渡しとか衣装替えのためにいて大変そうだけど、台詞を教える役割がないのは楽になったなあ。これは確か『元の木阿弥』に書いてあった気がします。少なくとも黙阿弥関連の何か。


隈取のラインは血管や筋肉

あの線なんなんだ?って思ってたら、血管が浮き出た様子を表しているらしい。だから、勇ましい系の人にだけ隈取をする。先ほど取り上げた歌舞伎十八番の暫にも隈取がある。というか、市川團十郎家が勇ましい系をたくさんやってるから、歌舞伎十八番もそういうのが集まる。調べたら、隈取は市川團十郎が始めたという説もあるらしい。


隈取の赤は正義、青は悪役

全てがそうとは限らないが、だいたいそう思って差し支えない。そういうのを知っておくと、だいぶキャラクターの位置付けがしやすくて鑑賞が楽になるよね。


舞台の仕掛けは人力だった(今も残っている場所があるかも。金丸座とか?)

舞台が円形に切られていてその円の部分が回る「回り舞台」や床が四角く切られていてそこから役者が出てくる「セリ」など、舞台の下で裏方の人がめちゃくちゃ頑張って動かしたり押し上げたりしていたらしい。今はもう機械にやってもらっているところが多い。もし、歌舞伎座の怪人がいたらこの人力の仕事を一人で全部やってほしいね。照明割るほどの力あるならいけるでしょ。



まだ何かあった気がするけど、とりあえず今回はここまで。思いついたらその内書こう。まだまだ歌舞伎のはなしが続きます。一旦の目標としては、三人吉三の話まではしたい。

次回更新 8/1 :歌舞伎のはなしの続きをする予定
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。