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人は安心の場があると自立していく
安心の場で自己変容する
地元ITメーカーで技術者として働いていましたが、1992年に労働組合専従役員をする事になりました。
その頃は「バブル崩壊」の頃で製造業は中国など海外に工場を移転するのが当たり前となりました。
さらに95年に経団連は【雇用ポートフォリオ】と言う考を示し、企業で働く社員を
①正社員グループ
②専門職グループ
③雇用柔軟型グループ
に区別して、人件費対策をするようになり、国も労働者派遣法を改正し、製造業を含め多くの業種での派遣が可能となりました。
私が勤務していた会社も海外に工場を設立し、国内工場を閉鎖する…との計画が始まりました。
労働組合役員をしていた私は「工場閉鎖した時に社員はどうなるか?」「転職できるのか?」「会社はこのまま赤字体質でいいのか?」などなど考えて「働く場を確保する方が生活の安定になる...」と考え、会社と協議して工場内に別会社を作り、働く社員の雇用の場を確保する事とし、その時の条件として
①賃金は下げる
②特別退職金を支給する
③別会社では定年を65歳に引き上げる
として、一人ひとりの面接をする事になりました。
対象になった社員と、面接するときに多くの方々から
「何で俺が辞めなくてはならないのか?」
「定年まで、いたかった。悔しい」
などのお話しをおききし、私は
「社会の流れだから仕方ないですよ」
などとは言わずに、ひたすら共感の言葉を伝えると皆さんは自分自身と向き合うことができ自己理解が深まってきます。
すると周りの環境を考えるようにプロセスが変わり
「実は新しい最先端の設備は使えないんだ」
「給料が下がるけど退職金の上乗せがあるし、定年延長になるし、子どもも育ったのでまあいいか」
などと発言する方々でてきました。
このような面接を来る日も、来る日も繰り返し、100パーセント全員了解と言う状況では、ありませんでしたが皆さんの承認を取り付けて事業構造改革を行ってきました。
この間私を支えてくれた労組役員の皆さんや家族には感謝しかありません。
このリストラ最中から労働組合として「会場が潰れても生きられる人になろう」を合言葉に、本体の会社に残る中堅社員に【キャリアデザイン研修】を行い、さらに研修後には一人ひとりとキャリアカウンセリングを行って、これからの人生を見つめモチベーションアップの取り組みを行ってきました。
毎日毎日行ったリストラ面接の中で学んだこと
【人はアドバイスでは変わることは出来ない。その置かれた厳しい環境の中でも安心感を感じると、自己変容していく】
との確信を得ることができ、その後のカウンセラーとしての信念となっています。
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